紀元前5世紀のギリシャの人、エンペドクレスは、万物の構成要素(ストイケオン)は火と水と土と空気であると考えたという。そして、そこに「愛」と「憎しみ」が働くのだという。
「あるときは『愛(ピロテース)』によって、すべてのものはいっしょに集って一つになり、あるときにはまた、『争い』のもつ憎しみによって、それぞれが、離ればなれにされながら」
(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学列伝』岩波新書)
現代的な環境問題を論じるようになった私たちが、たとえば環境汚染を「水汚染」「土壌汚染」「大気汚染」のカテゴリーで考えること、また化石燃料による発電を「火力発電」と呼び、それに代替する発電方法も結局のところ「太陽(火)発電」「水力発電」「風力発電」と呼んでいることに注目していただきたい。
昨年度の授業から、中尾ハジメは、多くの学生のなかで「ジャーナリズム」がすでに味も臭いもないほどに抽象的になって狭められてしまった概念であることを学んだ。今年度は、「ジャーナリズム」ついての狭い思いこみをあらかじめ意識し、まずその偏見の息の根をとめてしまおうと準備している。また、私たち自身がジャーナリズムの現場に居あわせていることを感じられるよう、素材の提示も工夫をしている。そして学生諸君が「ジャーナリスト」としての自覚を持たなければ、ジャーナリズムを実践する立場に近づいてみなければ、ジャーナリズムを理解できないことを説く。2002年度「環境ジャーナリズム」の命運や如何に!?
■2002年前期の授業計画
中尾ハジメ:聞こえる? 大丈夫? そしたら始めますよ。始めていいかい? 戦闘態勢入ってよ。この授業はものすごく評判が悪くて…殴られるとか…。筆記用具用意しないとダメだよ。全然戦闘態勢に入ってないやろ? 講義概要に皆さんが見た講義内容は、途中で切れてるようだね。実際前期は、15回は授業取れないようですが。15回やるつもりで書いてあったんだよね。抜けてる部分を言いますから書いといてください。講義要項持ってる人いるかい? 講義要項を見た人いる? いるのかいないのかどっちだよ!? 見た人いる? 見てない? 後で見といてね。何て書いてあるのかちょっと読んでみようか。環境問題についてのジャーナリズムというのはあるようですが、「これまでどのように存在してきたのか、を検討する。」分かった? 「一方で、ジャーナリズムとは何かについて社会理論的な位置付けを試みる。」社会理論てなんのことだかちょっと分かんないよね? 「他方でジャーリズムと他の言語表現ジャンル…。」難しいこと言ってるか? ジャーナリズムは小説とは違うかな? 同じかな…。あるいは詩っていうのもあるよね。他の言語表現ジャンルと違うかどうか。わざわざジャーナリズムという言い方あるよね。どこがどういう風に違うのか、を論ずることができるかということも考えたい。何のことだか分かりますか? 分かった? 前期はそういうことを目的にすると書かれています。
それから授業内容の方にはね、「環境問題を人間社会の問題として捉える立場から、過去から現在に至る文芸作品、評論、報道、などのいくつかの典型例についてそれぞれの背景を捉える」と書いてある。分かった? メモしなくていいの? 大丈夫? 「また個々の作家、ジャーナリスト、あるいは論者の社会的、政治的立場がいかなるものであったか検討する」って書いてある。だからこれで授業終わりです(笑)。ということぐらいなんですが、僕自身がどういうふうに考えているのか、ここで皆さんに示さないといけないということが中身になっていく。
順番がありまして。一番初めに、ジョン・ハーシーという人がいます。──(遅れてきて、後ろの方に座った学生に向かって)こら! そんなトコ座ってるな!──ジョン・ハーシー知ってる? 知らないね? ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』という本があります。カタカナで『ヒロシマ』と書きます。一番最初にします。2番目は重松いう人がいますが。後でどういう漢字で書くかは紹介をします。『重松日記』というのがあって、これが本になっています。で、重松静馬の日記──というか、日記の様に書いたわけですが──、重松日記をもとに井伏鱒二という人が『黒い雨』を書きました。知ってますね? で、二つの本を並べて検討をします。それから3番目、リチャード・ローズという人がいますが、今も生きています。ジョン・ハーシーも死んだし、重松も死んでしまったし、井伏鱒二もいません。リチャード・ロ—ズが、『死の病原体プリオン』──知ってる? 知らないと思いますが。それより前に書いた『原爆から水爆』というのをテキストとして検討していましたが。考えを変えて、『原子爆弾の誕生』を対象にしたい。リチャード・ローズの本。
それから、その後今度は、あーでもないこーでもないということを、いろいろ言おうと思います。5番目になりますが。ジャーナリズムとは何か、という問題です。科学それから事実ということを軸にして、ジャーナリズムを考えたいと思っています。それから、同じくジャーナリズムとは何か──第2回目ですが、事実と虚構。科学と事実という風に考えると、皆さんは科学は事実を対象にするように思うでしょうね、おそらく。それから、例えば、ジャーナリズムという文脈で事実という言葉をきけば、ジャーナリズムは事実を伝えるものとみなさんは考えるでしょうね。科学は事実だろうか、という問題が第1回目。第2回目は、事実と虚構ということですが、なかなか難しい問題がある。3番目、同じくジャーナリズムとは何かということですけど、主張という言葉…。主張というのは、私はこういう考えを持っている、こうすべきだ、というようなことを主張と言いますね。主張ということと宣伝というのは、違うのか違わないのか。主張と宣言。というように3回にわたってやろうと思います──ジャーナリズムとは何かということを。
その次、第8回目は今度はジャーナリストとは誰か、どういう人をジャーナリストと言うのか、という問題です。1回で終わらないので2回ぐらいやりたいと思ってます。第1回目は、専門家と素人、というふうにしたいと思っています。それから、ジャーナリストは誰かの第2回目は、イプセンという人に「人形の家」というのがあるの知ってる? 本城さん知ってる? 知らない? 「人形の家」は有名ですが、「民衆の敵」という戯曲があります。「ジャーナリストは誰か」の第2回目は、イプセン「民衆の敵」を読んで考えたいと思います。ここまでが前段です。
だんだん、もう少し皆さんが環境ジャーナリズムに間違いないなと思われるようなものが出てきます。第10回目というふうに、考えておりましたが足尾銅山事件というのがあるね。足尾銅山事件をめぐるジャーナリズムを少し取り上げる。最初は荒畑寒村という人の『谷中村滅亡史』。昨年は全員買わせた──今年もそうしようかな。岩波文庫で500円ぐらい? 800円もしないと思う。その次が11回目になるんですが、足尾鉱毒事件の2番目で、これは一番近いところで考えると立松和平という人がいますが、『毒 風聞・田中正造』という本があります。『谷中村滅亡史』から始まって立松和平の『毒』まであるわけですが、その間に山ほどいろんな人がいろんなことをしてるね。全部は取り上げませんが流れを掴みたいと思ってます。
12回目、13回目は、石牟礼道子という人がいますが、『苦海浄土』という本があります。『苦海浄土』(講談社文庫)も安く手に入る。昨年は買いなさいと言って、三分の一ぐらいしか買わなかったなぁ。それからその次、14、15回目ですが、宇井純という人がいます。沖縄大学にいますが、彼の『公害原論』(亜紀書房)という本があります。3冊か6冊に別れてましたが全部やるということではありません。『公害原論』という本がどういうふうに作られたか。『公害原論』というのは実は授業、自主講座だったのです。正規のカリキュラムの中にない講座を設け、その記録です。それで前期おしまい。
後期については言いませんが、家に帰ったら、講義要項ちゃんと読んどいてね。講義要項を読んで最後の方に付け加えて欲しいのですが、15番が途中で切れています。アンドリューまで書かれて、抜けている。レヴキンという人の『熱帯雨林の死』という本があって、ここまで書かれてた。前期の方も最後の14、15の宇井純の『公害原論』を読むというのが抜けています。書き加えておいてください。それから、さっき言ってたリチャード・ローズ(『原爆から水爆へ』)というのは、『原子爆弾の誕生』を中身に変えます。メモしてくれたかい?
■しなければならない授業の準備
さて、その予定通りするなら今日はジョン・ハーシーの『ヒロシマ』をやらねばならないが、やりません。今日はこれからどういうふうに進めるかということで、皆さんの考え方を改めてもらおうと思う。まず、鉛筆、ペン持ってきて。出して手に持つ! ノートですが、皆さんは趣味の問題だというかも知れませんが、必ずノートを1冊この授業のために持っててください。ルーズリーフみたいなのはダメ。それから、資料をたくさん配ります。ほんとは皆さんが本を買うといいんだけど、本は高い。で、本買ってたらご飯食べられなくなるようなるので、出来るだけコピーをして輪転機を回してたくさん刷ってですね、コピーした資料を渡す。コピーした資料をファイルしないといけない。分かった? なくさないよう、ファイルをしないといけない。毎回のように持ってきてください。毎回持ってこようと思ったら。カバンみたいなのいるよね。それからもう一つ、テープレコーダーか最近ではMDとかいろいろあるよね。そういうふうに録音をするための機材を少し余裕のある人は手に入れて欲しい。それから、カメラ。ビデオカメラの方がいいかもしれませんが、でもあんまりここは強くは要求しません。が、筆記用具だとか録音するための機材とか、ファイルをするためのそういう道具などは、勉強するためにどうしても必要です。真面目に考えたほうがいいよ。ジャーナリストは当然必要な道具がないと仕事できない。ジャーナリズムの授業というのも、そういうものが必要なやりかたにしようと思う。そこまでは持ち物について、あんまり僕は強くは要求しません。要求はしませんが、筆記用具だとか、録音するための機材とか、ファイルをするための何でもいいんですがそういった道具はね、勉強するためにどうしても必要です。真面目に考えてみりゃほんとに必要です。で、ジャーナリストは当然それが無いと仕事が出来ない。そういう代物だね。で、ジャーナリズムの授業ってのもできるだけそういう道具が必要なものにしようと思ってます。
■いちばん最初の仕事は、この授業を「公開」すること
ここまでは持ち物の話。その次はね、この授業はウェブサイトで公開をされます──誰が何をしゃべったかということが全部公開されます──そういう授業です。ジャーナリズムってのは、あたりまえだけど記録しないといけないのね。記録して、それを伝えるのというのがジャーナリズムです。それでですね、去年はね、大失敗したの。どういう失敗したかっていうと、後期は実践編という風に考えて、学生諸君が実際に色々自分で持っているテーマを追いかけてね、それを何らかの形で発表する、公表する、というのが課題だよ、と。まあ皆さんやったんですけどね、残念ながら、いわゆる「課題レポート」みたいなものにしかならなかった。ジャーナリズムにならなかった。やっぱ、ちょっと無理なんだね。そのかわりに今年はどういうふうにしようかと考えたんですが、記録をするっていう実際の仕事をみなさんがやれるように、この授業を録音するでしょ。録音したものをテープから書き起こす。そういう仕事をみんなに割り振ります。94人いるんですが、多分脱落をする人が数人いるでしょう(笑)。で、仮に90人だとするとね、前期13回ぐらいの授業があるということは、90人全部に回そうと思ったら、1回の授業に、90割る13──7ぐらいになるね。7人の人が1回の授業を担当してね、テープ起こしするの。授業は90分です。ほんとはもっと続けたいのですが、一分超えたらブーブー文句いわれるから、できるだけ90分以内で収めますが、90分を7で割るといくつになる──13分くらいだよね。だから、ひとりでテープ起こしをする時間の長さは13分くらいです。プロだとね2倍くらいの30分くらいでテープおこしができるんですね。ワープロと、テープレコーダーを使って。で、はじめての人は5倍とか6倍とかかかるかな。で、仮に5倍かかったとしても、1時間でできちゃいますね。1時間ちょっとかかるかな。でもそんなもんだと思います。そうすると火曜日のこの授業の後で、テープを渡して、何分から何分まであなたがやりなさいって言って。そうするとその日の内にテープ起こしは終わりますね。次の日にそれを寄せ集めて編集して、例えばホームページに載せられますね、そういうふうにしようと思ってます。
そいで、今日の分のテープ起こしをしなければいけない人。飯島由香里さんいるかい。いた。関根優一はいたな。田上紀子さん。これで3人だね。今日はね4人にしよう。えーと武市はいたか。いないな。谷口名緒子さんいるかい。いた。よし。じゃあ、ああ(武市遊がいることに気づく)、そこまでか。武市までで、谷口さんは今日はなし。後でテープ渡します。
■いつ勉強するのか
今は、何を持ってくるかってことと、それから、これは公開される授業で、それは皆さんが実践の…ちょっとした事でもテープに残して…こんなものだと分かるように録音したものを、テープから起こす。そういう仕事があるよということでした。それだけじゃなくてね、もっと肝心な部分、もっと大変な仕事があります。皆さんは仕事をしなければいけないんですが、それは何かというと、考えないといけない。考える。それがなかなかむつかしいんですが、えー授業の時間というものがあって、大抵の人は週に10コマぐらい取ってんのかな。そんなもんですか、だいたい。例えば一講時目に来て、あとは午後の三講時目まで授業がない人がいたりするね。それを皆さんは大変不服に思ったり、なにすればいいのって思ったりするかもしれないけれども、その間に勉強すんだよ。授業の間は、例えば中尾ハジメは何を考えているかということを必死で追いかける以外のことはできないです。自分の仕方で考える事は難しいです。で、自分の仕方で考える時間というのを必ずとって下さい。アルバイトもしなきゃいけないし、いろいろしなきゃいけないんですけどね、せめて大学へ来ている時の空き時間、これは自分で一生懸命考えなきゃいけない。考えるっていうのは時間がかかる。たいていこれは書いたり、読んだりしながらでないとできない。だね。
それから、課題というのを出しますが、多分、前期の内に、多くて5回位が出ます。去年何回だっけ、覚えてる。去年もそんなもんかな。まあ多くても6回位だったと思います。で多くて5回位のレポート提出を求めます。成績は、基本的にそのレポートによってつけます。で、5回出したら、必ずパスするとは限りません。中身が必要です。それで、レポートっていうのはそういうふうに、授業の時に、こういう課題についてやってきてくださいと言いますが、それ以外に、皆さんは考えなきゃいけない。考えつづけなきゃいけない。で考えるためにも、いろいろしなきゃいけないことがあるんです。勝手に考えるんじゃなくて、いや勝手に考えてもいいんだけど、この授業をめぐって、いろいろ考えなきゃならない。
■文献リストを作ろう
で、そのためになにをしなきゃいけないか。読まないといけないんですね、文献を読まなければいけない。文献資料の多くのものは、さっきも言ったようにコピーをして渡します。が、僕が作った文献リストだけではなくて、皆さんは自分で文献リストを作らなければならない。それをしないとレポートは書けないです。人が喋ったこととか、人が書いたことをそのまま書き写すということでは、レポートにならないです。だから自分がどういうふうに調べるっていうのが必要だね。その文献リストを皆さんは作らなきゃいけない。その文献リストにあるものは僕は読んだ、というふうになってないとだめだね。そうするとカードみたいなものがいるかな。あるいはさっきいったようにですね、ノートを使って、そのノートに、混乱をしないようにどの本から、いつ、こういうことを読み取りました。というような、ノートを作っていく。あるいは、も少しやろうという人は、カード状にしてもっているといいかもしれないです。文献のカードですね。資料ということで言えば、いわゆる文献以外の資料にも、たくさんあります。それらについても同じようにして皆さんは、準備──文献リストを作るのと同じように──しとかなきゃならない。そこは皆さんが色々自分でやる準備だよね。
■ノートと文献リストを作ったら、レポートは簡単にできる
色々ある準備ですが、授業の間ぢゅう、皆さんはおそらく、ノートをとってくれてると思うんですけども、中尾ハジメはどういう問題意識をもっているかということを皆さんは捕まえないといけませんね。それがなかなか難しい。で、90分の授業がおわったあとにですね、出来るだけ早い機会にいったい何が語られたのか、何が問題であったのかということを、必ずもう一回自分で整理してノートに確認をするということが必要です。そうすると何がおこるかっていうとね、「わけ分からない」ということが確認されたり、あるいは、中尾ハジメが言ってないことにいろいろ自分は関心を持ったりします。疑問を持ちます。こういうのを問題意識といいます。つまり皆さんが自分で持った問題意識をそこからもう一回スタートをして追究をしなければならない。それを必ずして下さい。追究するっていうのはどういうことかというと、多くの場合はですね、沈思黙考しても追究できない。多くの場合は、本を探したり、あるいはなにかの統計資料を探したり、いわゆる調べ物をしないと自分が持っている問題意識というのは追究できません。いいかい。僕が授業の中で喋る、私の問題意識──これは一つの補助線にはなるかもしれませんが、皆さんがしなければいけないことは、その補助線をただそのまま書き写すことではなくて、自分はどういう問題意識をもっているかを明らかにすることです。その問題意識をどういうふうにしたら追究できるか。ということを知ることだね。当たり前のことを繰り返して言いますが、問題意識はたいてい疑問のかたちをとります。「どうしてかな」とか、「何かな」とか、「なぜ」とかいうふうに。そろそろ自力でその疑問に答える作業をするようにして下さい。そうするとノートが──文献リストと今言ったような自分の考えを整理するノート──これがあれば、5回のレポートは簡単に書ける。それがないと書けない。
■「実践」に近づかなければ理解できないジャーナリズム
さて、それからもうひとつ。今まで言ったことでだいたいこの授業にどういうふうにつきあえばいいかということはわかったよね。大変ですよ、なかなか。「ジャーナリズム」という言葉があって、みなさんもそういう言葉を使っていると思います。自ら進んで使うという事はないかもしれないが、世の中にはそういう言葉が流通していますね、「ジャーナリズム」。で、それが何を指すのかというふうに皆さんは色々頭の中で考えていると思います。実際には、私はジャーナリズムみたいなことしたな、っていう人がいると思うんですが…必ずいると思うんですけども、実はこれはなかなか難しい。で実際にそういう仕事を、社会的に仕事だっていうふうに思われるようなジャーナリズムの仕事をしていなければ、ジャーナリズムはどういうものかということはなかなか分かりにくい。だから、できるだけ実際の仕事を「あ、こんなもんだった」、「あんなもんだった」って分かるように授業を進めたいと思っています。──あ、大谷さん来た──
えーと、客観性ということばがあるでしょ。客観性。なかなか簡単にこういう言葉は使われます。ジャーナリズムは「客観的」でなければならないとか、あるいは「中立」という言葉も使われます。──ああもうみんな、手がくたびれちゃった?──「事実」という言葉も使われます。それから、もう少し違う言葉を言えば、「正しい」、「正義」とかね、それから「道徳性」という言葉も使われます。そういう言葉を使っていろいろ議論しているみたいですが、本当のところそれは何を指しているのか、何かその言葉が指す実態はあるのかどうか、ということも考えていきたいと思いますが、考える方法は残念ながら、実践する以外にほとんどわかりようがないと、僕は思っています。
■普通の人のまともな勉強方法としてのジャーナリズム
それからその次の問題。ジャーナリズムというのは、今言ったことからも実は色々偏見があるんですが、ジャーナリズムとは何かとは──おそらくスマートにできることだと思っているかもしれませんが、どうもそういうことではありません。勉強によく似ているんだね。勉強はどういう風にするか。どういうものを勉強と思うかによってまた話は変わってきますが、普通の人が何かを探求しようと思ったらジャーナリズム的に、ジャーナリズムの方法で探求する以外にやりようがないだろうと僕は思っています。変なこと言うなあと思うでしょうけれども、例えば環境社会学科だったら、とくにそういうことをはっきり解ると思うんですが、温暖化という問題があるでしょ。あるいは、遺伝子工学。それから最近はBSEというのがあるよね。BSEだよ、わかった?──書けよ! 何回いったら分かるんだろう。温暖化とか、BSE。BSEとは牛海綿脳症と言うんだよね。狂牛病と言うものです。皆さんのいるここは、理学部ではありません。それから工学部でもありません。医学部でもありません。ではどうやって遺伝子のことを理解するか、どうやって狂牛病のことを理解するのか。だけど、するんだよね。我々は理解をします。それから、政治学と言う言葉があるでしょ。あるいは法律。法学部という学部がありますね。私たちは法学部の学生ではないから、法律のことは知りません。実際知らないんですよ。法律の条文なんて覚えていない。じゃあどうやって環境問題を人間の問題で、社会の問題だと言うことができるか。これはジャーナリズムでやるしかないんですよ。ちょっと今はわかりにくいかもしれないけれども…。医者が医学についての論文を書くのは多くの場合ジャーナリズムではないのです。例えばね、物理学者が原子核の構造について論文を書くのはジャーナリズムとは言いません。こういうのは学問という。普通の人がそういう学問で何をしているのかと理解する方法が、実はジャーナリズムなんだね。ちょっと舌足らずな言い方ですが、これは後で何回目かにもう少し展開したいと思います。
そういう意味で、普通の人が何かを追求しようと思ったらジャーナリストになるようです。お金が儲かることもある、しかし多くの場合儲からない、何か探求の方法なんだね。それ以外にもですね、沈思黙考するという方法があります。ひたすら考える。これは、人によっては得意かもしれませんが、必ずしもみんなが得意ではない。ジャーナリストと哲学者の違いは何かというと、非常にはっきりしていますが、ジャーナリストは調査取材活動を盛んにやります。普通の人のまともな勉強法はジャーナリズムかと、とりあえずはそう思っておいてください。
■ジャーナリストに必要なもの──言葉力、メディア、仕事(時間と物)
それから、今まで言った以外に「文化」という言葉が使われますが、ここにいる人たちは環境文化コースとか言うんだよね、そうだよね、皆さん。文化っていうのはこれはやっかいな代物です。大変やっかいです。最近は文化学というのが言われ始めました。皆さんは文化学の専門家ではありません。しかしこの文化を相手にしなければならない。それからさらに重要なことは言葉、言語。これはすぐに実例が出てきて解りますが、言葉を使いこなさなければならないんですね。とりあえずは日本語を使いこなさなければならない。それからね、外国語が要らないわけはない。外国語が必要です。ジャーナリズムのことを勉強しようと思ったら、あるいはジャーナリストになろうと思ったら、外国語が絶対にいります。絶対必要。もちろん外国語は母国語のようには操れません。けれどもね、少しでもできるということは、どれほど違うか。せっかく大学にいるのだから、外国語ぐらい一つ何とかしてください。特に英語が必要です。皆さんは、ちょっと時間を無駄にしているのかもしれないけどね、英語の授業で、こんなくだらないことをやってもしょうがないと思っている人や、しかし自分はやっぱり英語を少しは使いこなせるようにしたいと思う人がいると思います。土曜日の午後に毎週みんなで集まって勉強したいと思います。参加は自由です。この授業とは別ですが、そういうこともあります。
それから90何人もいるんだよね。皆さんはまだ就職のことを考えてないと思います。考えている人もいるかもしれないけれど、一生をどういうふうに過ごすか考えている人はまだいないよね。94人登録しているんですが、これだけいたら、10人ぐらい職業的ジャーナリストが出てきても良いと思うね。なんかそういうふうに考えてくださいね。ジャーナリストと呼ばれる職業があります。それから、職業はジャーナリストだとは言わないけれど、明らかにジャーナリズムの活動をしている人達がこれまたたくさん世の中にはいます。それからジャーナリズムができるのには──新聞の記事ができたりとか、あるいは雑誌の記事ができる、本ができるのには──時間が必要です。当たり前だよね。書かなきゃいけないんだよ。書くのには時間がいるんだよ。それからワープロとか、ものも必要だよね。もっといえば、新聞みたいなものがないといけませんね。本が必要ですね。本というのは物です。あるいはテレビの画面に映らないといけないよね。そういう物的な装置というか、そういうものがもちろん必要です。それから何よりも、何かを伝えようとか、記録しようとか、主張しようとかいうふうに思わなければどうにもならない。そういうことがあります。それで、そんなことは当たり前だから余り気にしないかもしれませんが、これからこの授業で特に問題にするのは、実はそういうふうにあること、存在することです。
■社会、メディア、ジャーナリスト自身に目を凝らす
現実の社会というものがあります。それがどういうふうにできているのか、あるいはどういうふうに生き続けているのかということを──いろんな理解の仕方があるでしょうけれども──わからないことには、何にもできない。それがなければ、ジャーナリズムは動けません──現実の社会。それから、同じように抽象的に言いますが、現実のメディアというものがあります。メディアとは媒体ですが、それがないとジャーナリズムというのは、要するにないのですね。生存できない。ジャーナリズムそのものだけではなくて、いわばそれが生きるための背景みたいなこと──繰り返して言うと現実の社会という言い方を一つしました。それから現実のメディアという言い方をしました。これは両方ともよく目をこらして見ないと見えない代物です。「環境ジャーナリズム」はジャーナリズムが対象だと思うかもしれませんが、どちらかといえば、むしろ、背景、現実の社会、現実のメディアというところを少し細かく見ていって欲しいと思います。
それから一番重要なのはね、ジャーナリスト自身。それは結局は皆さん自身と言うことになるんでしょうけれども、最初は例えばジョン・ハーシーという人が、皆さんの対象になります。これは生身の人間です。もうハーシーさんは死んでしまっているけど、ジャーナリストとは結局のところ生身の人間です。これはメディアとか社会とかよりも、もっと目を凝らしてみないと見えない。そういう代物です。
■ジャーナリズムと権力的世界
もう一回繰り返して言うとね。環境問題についてのジャーナリズムがこれまでどのように存在してきたか検討する。検討するためのいくつかの補助線を今言いました。それからもう少し書いてありますね。一方でジャーナリズムとは何かについて、社会理論的な位置づけを試みる。社会理論とは色々ありますが、ジャーナリズムというのをいくつかの社会理論の中に位置づけたいと思っています。それからジャーナリズムと、他の「言葉を使った表現ジャンル」ということができるものと、どうちがうか議論をしたいと思っています。
それでですね、一番最初に何をするかというと、ジョン・ハーシーという人の書いた『ヒロシマ』を対象にして始めると決めました。原子爆弾とか、核兵器。これは環境問題のモデルです。核兵器というのは戦争の問題で環境問題でないと思う人がいるかもしれませんが──そう言っても一向に構わないんですけど──どうして環境問題のモデルと言えるのか。ちょっと説明をしたいと思います。──ノート取らなくて大丈夫かい?── ひとつは産業主義の問題。
産業主義という言葉が何を指しているのか。いろいろあると思いますが、ひとつのイメージはね、工場で物を造ること。もうひとつの要素は、資本が必要だね。お金、資金。とりあえず、その二つしか今は言いませんが、産業主義の中心にあるのは、なんかそんなようなものだと思っておいてください。今は明らかにこの産業主義はますます科学技術に依存をするようになってきています。それからもう一つは、人間の組織がそこに関わっているわけですが、その人間の組織は例えば官僚組織と呼ばれるような組織です。一時期、官僚組織と聞いたら、大変能率の悪いことを意味するように思われました。今も思われているのかもしれません。お役所仕事とか言われるものだね。だけれどもそれは、どうも少し違う。たまたま日本の歴史のある時点で、官僚組織が能率が悪かっただけで、本来官僚組織ができたのはどうしてか、それは能率をよくするためにできたと思われます。科学技術と官僚組織からなっている、産業主義というようなものがあるのではないか。いや、産業主義と科学技術は別のものですと言うのなら、それはそれで構いませんが、明らかに相互依存的ですね。産業主義がなければ、科学技術はなくなるだろうし、官僚組織についても同じです。ここから先は中尾ハジメの偏見ですが、このような状況をテクノクラシーと言っています。
テクノクラシーはどういうふうにできるのだろうか。テクノクラシーとは片一方に大衆という存在がないと、テクノクラシーになりません。大衆がいてテクノクラートがいる。いいかい。それでね、そういうふうに仮に言いましょう。それで、テクノラートは何のためにいるのかな。ある人はですね、テクノクラートは大衆のためにいる、大衆に奉仕するためにいるというふうにいいます。しかしどうもちょっと違うんです。ようわからないけども、テクノクラートも大衆も両方とも、何か違うものに奉仕してんじゃないだろうか。そういうイメージがあります。
例えばですね、経済権力。経済権力って何だろう? 金をどんどん儲けようという力があるんだよね──おそらくそれは人格を持ってると思いますが、経済権力。つぎのこれは非常にはっきりしてる。軍事権力──これはものすごくはっきりしてるね。えー、イスラエルとパレスチナ。アメリカとアルカイダ。軍事権力──どちらが勝つか、どちらが強いか。それからこういう言葉はまだ誰も言いませんが、情報権力。何ですかこれはというふうに思うでしょうけども、どう考えてみても情報権力っていうのはあるみたいな感じがします。本当にあるかないか、これから検証していきたいと思ってます。権力というのはですね、パワーといいます。パワフルというのは権力があるという意味です。で、当然ながら肉体的な力──これも権力だね。しかしなんかそういう権力とも違う「大衆」というがあって、テクノクラシーが成りたつ。テクノクラート──これはね、訳したら「技術官僚」になっちゃっておもしろくないんですが、全然おもしろくないね、「技術官僚」っていうんじゃあ──でもこういうのが結局のところ経済でどれくらい強いか、どれくらい人を支配できるか、軍事でどれくらい支配することができるか、情報でどれくらい人を支配することができるか、そういうことのために働いている。結局のところ支配されるのは誰か。大衆かな。あるいはこれが一つの国であれば、また別の国、別の地域を支配するかな。そういう関係になっているように思います。
■「環境ジャーナリズム」が生起する状況──火と土と空気と水が問題になる状況
さてそれで、環境問題というふうに言ってますが、色んな言い方ができるよね。人口が増えるから環境問題が起きるんだということも言えるでしょ。槌田さんの授業を受けた人達がいるかもしれませんが、人間の持っているどうしようもない性があってですね、それで環境問題になるというのが彼の考え方です。僕はそこまでラディカルではありませんが、だけども例えば、火を使うでしょ。他の動物は火を使わないですね。さてその火ですが、これはものすごい問題だと思うんですけれども、まだその辺にあるものが燃えるっていうのは、これは何となく人が火をつけて燃えてたとしても、不思議ないよね。たとえば紙は燃えます。山火事も起きます。だけど、燃える石を掘り出して、その石を燃す──石炭。それから油を掘り出して、それを燃す。これはかなりすごい進化だね。これは誰もが賛成するかな? 難しいな。
われわれは「動力」という言葉を使ってますが、人とか家畜の力ではなくて、水力でしょ、それから火力、あるいは風力、あと何や、土力ってのがあったね? …よくわからないけど。エンペドクレスが自然界には、4つの要素があるって……(板書しながら)どうかい、こんなもんかい? リュック・ベッソンの「フィフス・エレメント」っていう映画観た人いる? あの5番目は何? 5番目が「愛」なんだろ。で、これでしょ……木か。でもこれだよね、きっとね。木を、ここをいれる人がいるかもしれませんが、そしたら5つになっちゃう。エンペドクレスは、多分4つだよね? まぁいいや。問題はですね、火です。火力っていうのは大問題です。なぜかっていうとね、石になっているもの、化石化したものをですね、これを地表に取り出してきて燃しちゃうんだよね。で、これがどの位凄い力を持っているか。想像してみたらいいと思うんですが、それは凄いですよ、もの凄い。機関車が走った位ではたいしたことなかったかもしれないけども、しかし機関車でも多分凄かったと思いますね。今はどうなっているか。これは、教室を明るくしているこの蛍光灯も全部そうですよ。全てそうですよ、石油ですよ石油。これは凄い。で、これを使うことによって人間の生産力がどんどんどんどん上っちゃった。さっき言った産業主義の中に、もし動力みたいのものがなかったら、こうはならなかったでしょう。で、加速的に──産業主義は今の段階でも加速的です──もの凄い勢いでどんどん上昇してます。それに伴って、温暖化っていうのが目に付き始めた、という状況だよね? ということはどういうことかって言うと、これは火の問題なんですよ。人間が火を扱う、それがついにここまで来た。
■火でさえない原子力──とジャーナリズム
で、もう一つあります。これは馬鹿な人達は、温暖化にならないようにするために炭酸ガスを出さないそういう発電をしたらよろしい、と言っている。で、もうだいぶ古い言葉になっちゃったけども、「動力」というのはほとんど石油を意味してきました。あるいは天然ガスを意味してきました。電気っていうのは天然ガスとか石油を燃さないと取れなかった。そこへですね、原子力──これは炭酸ガスを出しません、だから原子力にしましょう、と言う。京都議定書というやっかいな取り決めがありますが、で、その京都議定書の目標を日本が達成するためには、結局のところ、原子力発電所をたくさん作らなければならない。3週間位前かな、2010年までに10基位つくるのかな、30%増加するというようなことが言われてます。これはもちろん計画だったり、あるいはただのアドバルンだったりするからよくわかりませんけども、原子力ってのがあるんですね。原子力っていうのは何のことはない、核分裂連鎖反応を使うんですね。さっきまで言ってた石油だとか天然ガスだとかいうのは、これはせいぜい汚染──汚染っていうのはどんな汚染かと言いますと、炭酸ガスだけになればですね、炭酸ガスでは直接的に人間が死ぬって訳じゃないですから、温暖化っていうふうになります。でもこれはなかなか大変なことで、温暖化によってこれから何が起こってくるか。海面上昇くらいしか考えが及ばなかったかもしれません。どうも違うようですね。温暖化が起これば、もっと大変なことが起こりそうだな。それが何であるか、色々考えたらいいでしょうけど、地面が凍らなくなるとか、雪が降らなくなる、その結果何か起こるか、考えてみると恐ろしいね。いやそんなことにはならないよ、海面は上昇するし雨がたくさん降るようになるだけだと言う人がいる──そんなうまいふうにいくだろうか。いずれにしても、いわゆる環境に大変な変動を起こすわけですね。
さて、核分裂連鎖反応で、これは、火ですらないかもしれない、いや火ですらないんです。熱を出すことは間違いないんですが、とてつもない代物だね。というようなわけでですね、この原子爆弾というやつを人間がどういうように作ったか、どういうふうに体験したかということをジャーナリズムは追求しないわけにはいかなかった。ここには環境ジャーナリズムのモデルがあります。
■授業終わりぎわに、やや混乱しつつ
(配布物を手にとって)これを後ろに回してくれますか? これも…(─ガヤガヤガヤ─)別のも…(─ガヤガヤガヤ─)キーンコーン(ベル)鳴っちゃったけどね、あと3分だけ、ちょっと静かにしてね。聞こえるかい? えーと、「情報」って言葉があるでしょ、それから「メディア」って言葉もありますね、「報道」って言葉、「ジャーナリズム」って言葉、他にも色々似たような言葉がありますが、「情報」とか「メディア」とか「報道」とか「ジャーナリズム」、それぞれあることを指して使われてます。で、普段、我々がそういう言葉を使う時には何を指してるのか。これはみなさん、嗅ぎ分けて欲しい。ただ言葉があるだけじゃなくて何かを指してます。それが一つ
それから、今配ったのはですね、えー、ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』で、最初に彼の記事が載ったのは『ニューヨーカー』なんですね、1946年の8月のことです。で、これは読んできてね。それから他にも、色々あります。一つはですね、蜂谷道彦という人が書いた『ヒロシマ日記』、それから重松さんが書いた『重松日記』、それからもう一つは、井伏鱒二の『黒い雨』。全てではありませんけども、それぞれ一部分をコピーして配ってます。で、ちょっとメモしてね。戦争でした。したがって、勝った国と負けた国があります。負けた国はどういうふうに説明するだろうか、勝った国はどう説明するだろうか、という問題がそこにはあります。「語られ方」が違うんだね、当たり前だけど。それからもう一つはですね、そもそも日本はなぜ戦争に負けたか、日本はカミカゼとかそういう神秘主義的なことを言ってて負けたんだ、合理主義じゃなかったんだ──あるいは、軍事独裁主義であって、ファシズムであって、民主主義でなかった──だから負けた。つまり、民主主義の世界では報道というのはもっと自由に行われていた、というようなことも言われました。そのファシズムの報道のあり方を、例えば、「大本営発表」というような言葉で端的に言いあらわす人がいます。さっきの新聞のコピーを見ると出ています。それから、もう片方には、民主主義が勝ったと言いましたけども、GHQというのがありまして──知ってるよね? 占領軍の総司令部です──で、そこが、プレスコードというのを作りました。これが何だか調べておいで。はい、それからついでに「メディア3法」というのを知ってるかな? 来週までにジョン・ハーシーの『ヒロシマ』はよーく読んで、みなさんそれぞれメモを作って下さい。論点は色々あると思います。
授業日: 2002年4月18日;テープおこしをした学生: 関根優一、武市 遊、田上紀子、飯島由香里