転換期の京都精華大学

『京都精華大学教育後援会ニュース』No.27, 2003年3月

35年まえの開学以来、京都精華大学は「ユニーク」な大学である、と評価されることがよくありました。大学の私たちも、自らをそのように言い表すことを、むしろ肯定してきました。しかし時間の経過とともに、いったい何を指してユニークと言っていたのか鮮明でなくなってきたところがあります。惰性とは恐ろしいものです。今こそ厳しくわが身を振り返るべき時だと思います。

京都精華大学はけっして横並び志向ではなく、とりわけ偏差値のような一面的な基準にはとらわれずに、他にまねのできない大学教育を目指してきたはずです。たしかに学生の満足度も高いレベルにあります。大学生活を中心に調べたある調査では、個性的な学生が多いという項目で全国一位でした。また、四年に一回行われる私立大学連盟の調査では、教授陣への満足度でも約60%の学生が満足していると答え、40%未満である私大連加盟大学平均値をはるかに超えています。授業内容についても満足が約45%で、私大連加盟大学平均の28%からはずっと高い評価だと言えます。

しかし、この低すぎる全国の平均値を基準にして安堵するのは愚かでしょうし、この結果は明かに一つの警鐘だと思わないわけにはいきません。なによりも、授業内容に満足している学生が半数にも満たないのでは、いったいどんなユニークさを自己研鑚の指針としてきたのかが疑われなくてはならないはずです。現に、18歳人口の減少とともに、ユニークであるはずのこの大学への志願者が、結局は大多数の他の大学と同じように減少する傾向にあるのです。このままでは、どんなに言い繕ってみても、「ユニーク」は自己満足の言葉でしかなくなるでしょう。

大学受験が奇妙に量的に過熱した時代、つまり学歴社会は急激に終焉にむかい、いよいよ大学教育の質的な転換が起ころうとしています。京都精華大学のユニークさは、その質的転換の一つのさきがけとなる萌芽を含んでいたはずです。開学の原点に戻れば、そのことはなお明白です。

「すでに形骸に化した学問の自由と大学の自治を回復し、教職員と学生がともに人間として尊重され、その人間的自由と自治の拡大が図られる大学を、われわれは目指している」

初年度の大学案内に岡本清一初代学長の記した一文です。数年まえまでの受験生数の増加とともに、この意識は惰性となり、その実質を失いかけていたかもしれません。しかしもとより、この大学創造の仕事は、まだ終わっていないことは言うまでもありません。むしろ開学当時よりも、よりいっそうの現実性をおびて、またよりいっそうの実現性をおびて、私たちの大学の課題であると思います。「形骸に化した学問の自由と大学の自治」とは、日本的学歴社会の背面としての大学の無内容化を意味していたでしょうし、またグローバル経済に乗り遅れまいとまたもや従属的に横並びを目指す現在の多くの大学の姿をも意味するにちがいないからです。

京都精華大学はこの原点に戻り、学問と芸術の鍛練に耐える忍耐力と誠実にして謙虚な精神とを学生諸君にも要求する、そのような大学づくりの施策を具体化していくことを考えています。