『成長の限界』と南北問題

1999.6.12

MIT(マサチューセッツ工科大学)のデニス・メドウズらによる『成長の限界』は「人類の窮地のついてのローマ・クラブへの報告」という趣旨の副題のついた本です。人類の窮地とは、つまりは「環境問題」と呼ばれる状況をさしている。そして、世界人口、工業化、資源消費、汚染、食料生産の増加傾向がつづくならば、2100年までには工業力の突然の崩壊が起こり、また食料危機などの発生から壊滅的な人口減少にいたるだろうと結論した。

これは、ノストラダムスの予言などよりも、ずっと合理的な予測というべきだろうし、ずっとまえから考えられていたことで、たとえば1960年代の「エコロジスト」たちのなかでは常識だったことだが、なにしろ「システム・ダイナミックス」なる「全世界的 システム」のモデル化にもとづく複雑な計算をMITの高価で、でっかいコンピュータを駆使して出した結果であるので、おおいに注目された。

1972年にニューヨークで出版されるとほぼ同時に日本でもダイヤモンド社から翻訳版(ダイヤモンド社、1972年)が出版された。これは、もともとローマ・クラブなるものが、日本からは大来佐武郎(元経済企画庁総合開発局長、のち外務大臣)、植村甲午郎(経団連会長)、芦原義重(関西電力会長)、木川田一隆(東京電力会長)、丹下健三(建築家、東大教授)らが参加をしており、アメリカと西ヨーロッパと日本の、経済界あるいはそのブレーンにあたるメンバーから構成されていたことと呼応している。MITでのシステム論的な研究がはじまると、日本でも茅陽一(当時東大助教授)を中心に研究チームが作られ、メドウズらとのなかば共同研究的な動きが起こっていたのだ。

というわけで、この『成長の限界』には、北の工業先進国の、経済成長の推進におおいに責任のある人たちの、たぶん遅ればせながらたどりついた認識という出生の印がついてまわることは避けられない。なんだか、北のエリートたちが世界秩序を設計しなおそうとしているかのような感じがしてしまうのだ。また読者としては、先進工業国で生活する人びとの多くが「成長の限界」を語るとき、自分たちの到達した物質的豊かさを自発的に削りとり、経済規模を縮小することを視野にいれることはまずないことと重さねて読むことになる。

「世界システム」の発想を一応前提として読みすすむことができても、われわれの「経済システム」を別の「システム」に変えるという想定なくしては、充分に問題を理解して読んだとはいえないことがはっきりしている。が、われわれの「経済システム」を変えるということは、たとえば「経済成長」がマイナスになっても、「好景気」が維持できなくても社会が崩壊せず、みんなが生きていくことができる「システム」に移行するということを意味する。さらに、南北の貧富の差を解消する「システム」を意味する。これらは、難問というしかない。

危機の分析のうえで『成長の限界』が主張しているのは、もちろん、南北をふくめて地球上に住む人びとの基本的な物質的ニーズが満たされ、個々人が人間的潜在能力を実現する公平な機会をもてるように、世界全体の均衡状態を設計することができるということなので、続編にあたるメドウズらの『限界を超えて』(ダイヤモンド社、1992年)をぜひ読んでみたくなるのです。