昔といっても、私が学生でなくなって教師になった頃のこと。つまり、京都精華短期大学ができて、まだ間もないころのこと。
今でも、どうかなと、ときどき感じてしまうことがあるのですが、あのころは本当に教師というよりは学生みたいでした。経理課に給料をもらいにいくのも、なんだかアルバイト料を受け取りにいくような気分でした。経理課のお姉さんも、そんな目をして見ていたような記憶があります。
いつも何人かの学生たちが、そんな青二才の教師である私といっしょに、何かしよう、何をしようかと、ときには不発に終わる企てを、つぎからつぎへと、試みていたことが思いだされます。谷の水溜まりに金魚を放してみたりという、超かわいらしいこともあれば、デモにいく計画をたてたり、あるいはなぜか勉強会をするときめたり。みんな何かしたいという気分がいっぱいで、じつはほとんど同じように何かしたかった私も、そこにいたということでした。
今の学生諸君がきけば、なかば馬鹿にし、なかばうらやましく思うにちがいありませんが、あのころの学生は露骨に「何かしたい、何かすることを考えようよ」と恥ずかしげもなく口にし、身体を動かしたものです。それは、私が同類だったから聞けた言葉かもしれませんが、そういえば最近はあまり聞かなくなったような気がします。もちろん、心の耳をちゃんと開けば、今の学生でも「何かしたい、何かすることを考えようよ」といっているのでしょうが。
今でも、外から来た人たちは、京都精華大学の学生が自発的に動いているように感じるといいますから、あの何かしたくてたまらないという気分と、それゆえの企てが、この大学の空気のようなものになって残ったのかもしれません。ただ直接目に見えることだけでいえば、大学のまわりの山を歩いていて、学生に出会うことはほとんどなくなりました。それは散歩にすぎないといえば、それまでのことですが、若い人の散歩には、なにか面白いことを探してやろうという気分があるものです。食堂や喫茶室の居心地がよくなったせいかもしれませんが、いつかは、あのちょっとハングリーな感じの「何かしたい」という露骨な声をもう一度聞きたい、いや聞けるものだと思っています。