第5回 ジャーナリズムが不能であった状況としての原爆開発へ

ルーズベルト大統領

……ルーズベルトは、政策協議を小さなグループ(のちに最高政策集団と呼ばれる)に制限しておきたかった。彼はそのメンバーを指名した。ウォーレス副大統領、ヘンリー・L・スチムソン陸軍長官、ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀長、それに、プッシュとコナントだった。この人たちはいずれも、その権限を、それぞれに、大統領から授かっていた。ルーズベルトは、本能的に、核兵器政策を彼自身の手に保留したのだった。

かくして、アメリカの科学者たちは、原子エネルギー計画開始の時点で即座に、自らが建設を提案していた兵器の政治的ならびに軍事的使用の決定にたいする発言権を否定された。ブッシュはその強奪を快く受け入れた……

科学者は核兵器を造ることに協力するかしないかを選択できた。それが唯一の選択だった。この件でさらに科学者としての権威を譲ることがあるとすれば、それは、大統領という個人を通じ、また大統領の権威により、人民国家につながる、独立した統治権をもつ独立した秘密国家へと育ってゆくであろうところへ入るための代償であった。

リチャード・ローズ『原子爆弾の誕生』(啓学出版, 1993)より


■資料提示:リチャード・ローズ

『原子爆弾の誕生』中尾ハジメ:(延々とかかった資料の説明もそろそろ終わりに近づく)──それでこのH・G・ウェルズの『解放された世界』を僕も読んだことがなかったんです。リチャード・ローズの『原子爆弾の誕生』を読んでいたら冒頭に出てきて、これは読まなきゃいけないなと思っていて、買ってきて読んだところです。この本は700円ですね。だけど、たぶんもう本屋では手に入りにくいと思います。97年に出版されたんですけど、もうあまり在庫がないみたいですね。というわけでした。ついでにいろいろ言っておくと、『原子爆弾の誕生』っていうのは上下2巻に分かれていて、1巻の値段が6,500円です。それで、啓学出版という出版社は──これが出たのはいつだったかな・・・93年にでたのですね──はっきり記憶してないけれども、すぐつぶれてしまった。それで、その後紀伊国屋書店が出版を引き継いで、紀伊国屋書店のも同じような体裁でやっぱり6,000円くらいの本です。なんでこんなにも本が高いのかと考えてしまいますが、アメリカでは(一冊にまとめられた)ペーパーバックで、・・・19ドルだから、3,000円くらいかな。ペーパーバックの方が薄いけどこれ、同じものなんですよ。まあ、日本語にすると多少長くなるということがあるから、そんなところかな。リチャード・ローズという人については、できれば皆さん調べてきてね。『死の病原体』という本があります。これもリチャード・ローズが書いた本です。これは何年かな・・1998年に日本で翻訳がでています。もとの本は1997年にニューヨークで出版されています。他にも、もちろんいろいろな仕事をしていますが──みんなが持っているプリントの『原子爆弾の誕生』のあとで、『原爆から水爆へ』を、また4年か5年かかって書いたみたいですが──いろいろなことをしていますね。狂牛病の本を書いたということは分かった。他にはなにかあるかは、調べておいてね。

■学生たちのレポートについて、フィードバック

さて、今日はいっぱいやることがあるね。宿題をやってきたかな? よし。なかなかレポートに何を書いていいのか分からなっかったという感じで、難しかったと思うのですが、どんなことを書いたか手短に言ってもらおうかな。言いたい人、誰かいるかい? 沈黙しているな。加納さんいる? 加納香織さん、どんなことが実感できましたか?

加納香織:情報の遅れについて。

中尾ハジメ:情報の遅れ。もうちょっと言ってくれる?

加納香織:原爆があった日から、新聞に詳しいことが載るまでに時間がかかって、それはなぜだろうと思いました。

中尾ハジメ:不思議に思った。はい。・・・寺町君、なにかない?

寺町歩:「重松日記」ででてくる「灰」の描写があるのですけど、それが他の人に出てないのはなぜだろうかということを考えてみました。

中尾ハジメ:他の人って誰のこと言っているの?

寺町歩:特にジョン・ハーシーです。

中尾ハジメ:ほんとに書いてなかったかな?

寺町歩:出てはくるのですけど、その周りが灰につつまれているという描写を谷本さんがしているところで、「ここだけらしいのだが」という表現が気になって、この人はなにか隠しているのではないかっていう気がしまして。考えてきました。

中尾ハジメ:疑っているわけね?

寺町歩:はい。

中尾ハジメ:ジョン・ハーシーを疑ったそうです。・・・溝口さん。全部言わなくていいよ、ひとつか、ふたつ言ってください。

溝口恭子:もらった資料の中で、「ジャーナリズムが機能している情勢」で書かれたものと、「機能していない情勢」で書かれたものとがあると考えたんですけど。

中尾ハジメ:誰が書いたものが「ジャーナリズムが機能している情勢」で書かれたもので、誰が書いたものが「ジャーナリズムが機能していない情勢」ですか?

溝口恭子:ハーシーとか、バーチェットのは、「機能している状況」で、日本では、その当時機能していない・・・

中尾ハジメ:ということは、これはプレスコードのこと? 機能していないのは、プレスコードその他・・・。だけど、資料になって渡っているものは、ジャーナリズムが機能しているときに出てるんだよね? ちがう? 資料をさして言ってるんじゃなくて、ジャーナリズムが機能している状況と機能していない状況が明らかにあるなってことを言っている? この資料は「ジャーナリズムが機能している情勢」で書かれたものだとか、この資料はちがうだとかいうのではなくて。

溝口恭子:資料をずっと見てみると、ある状況ではジャーナリズムが働いていないということがわかる。

中尾ハジメ:皆さんに渡った資料を振り分けだのではなくて、いろんな資料をずっと見てみると、ある状況ではジャーナリズムが働いていないということがよくわかるということだね。・・・もうちょっと違うことを考えた人はいるかい? 飯塚さん、なにかある?

飯塚ひろみ:蜂谷さんと重松さんが実際に被爆をして、それで、メモとか日記として記録を残して、二人ともそれを世に広めようという思いで書いたのではなく、いつかそれを読んでわかってくれたらとか、いますぐそれを誰かに知ってもらいたいというのではなくて、いつかそれが役に立ったらといった感じで書いたように読んだんですけど。逆に、被爆をしたのではなくて、被爆後に広島を訪れて書いた人たちは、すぐにでもそれを伝えたいというふうに書いたと思いました。

中尾ハジメ:外から入った人は、広島にいたんじゃなくて・・ということは誰や?

飯塚ひろみ:レスリー・ナカシマとか、ハーシーとか・・

中尾ハジメ:新聞記者?

飯塚ひろみ:はい。

中尾ハジメ:記者たちは、これはすぐに伝えようとしていた。

■「情報が遅れる」それとも「情報が消される」?

(学生の提起する問題をホワイト・ボードに書き出し、まず加納香織の言った「情報の遅れ」についてコメントする)──「情報の遅れ」という言葉があります。情報の遅れ・・新聞に載るまで時間がかかる。──他のひとの問題提起もそうなんだけど、全部あたりまえなんだよね。全部あたりまえのことなんだけど、しかし、それがやっぱり問題なんだよね。そこが、なんか、問題なんですが・・・。

たとえば、情報が遅れるということには、当時と今ではだいぶ違うということもあります。今だったら、インターネットでできちゃうかな? だから、地球の裏側で起こっていることを、アナウンサーがテレビでしゃべりますね。光ファイバーの場合には、ほとんど同時だよね。それ位のスピードできちゃう。1945年当時は、そういうものがない。確かにそうですね。でも、そのことが言いたかったのかなあ? 「当時は通信技術が今とはだいぶ違っていたので、情報が遅れた」っていうことを考えたの?

加納香織:ほかにもいろんな原因がある。

中尾ハジメ:ほかにもいろんな原因があるんでしょう、ということを考えたらしい。なんだろうね。 途中で誰かが・・・。伝言ゲームってあるよね? あれは、最初の人と最後の人の間に入っている人の数だけ時間がかかりますね。その間に入っている人がちゃんと言わなければ、伝言ゲームは成立しません。そうだよね? だから、今、「ほかにもいろんな原因がある」っていうのは、そういうことが想定されているんだね? これは言うなとか、伝えるなとかということが、いろいろあるでしょう。それから、通信のことを言ったけれども、いくら通信の技術が発達して、そういう設備があったとしても、それが動かなければいけないわけだね。だからそこでまず、たとえば電話があったとしたら、その電話をダイヤルして誰かに話そうとする人が存在しなければいけないけど、その人がやられちゃったら伝わらないとか、いろんなことがあります。だけど、どちらかというと力点は、そういう「死んじゃってしゃべれない」とかじゃなくて、そこに「確かに人が存在するんだけども、その人が伝えようとしない」ということが起こったんじゃないかと、新聞に載るまで・・・。載ったことは載った。例えば、8月7日の朝刊には広島にB29が少数機来て「焼夷弾と爆弾を混投した模様」とか・・・それは確かに載っているんだよね。被害は小さいだろうということが載っている。載ってはいるんだよ。だから、当時としても別に遅れているわけではない。問題は、なんで、そういうふうにしか載らなかったか、ということだよね。つまりこれは「通信技術の問題」ではない、何か別の問題があるんだね。

■ありあわせの言葉で表現することと、疑おうとすればいくらでも疑えてしまうことなど

それから、「灰」っていうのは、これはいわゆる「死の灰」のことだよね。これはいささか、ややこしい問題で、「灰」って書いてあったら、即、「死の灰」を意味するかどうかはわからないし、その当時は「死の灰」っていう言葉はなかった。「死の灰」という言葉が使われるようになるのは、ビキニの水爆実験を被った漁船の人たちが、白い灰のようなものが降ってきた──珊瑚礁をふきとばしたからね──で、その珊瑚礁が漁船の上に降ってきて、それを「死の灰」というふうに言ったんです。で、広島の状況は、皆さんが見た資料からもわかるけれども、それは、土は舞い上がるわ、あらゆるほこりが舞い上がるわ、真っ暗なんですよね。太陽の光線がさえぎられるほど、真っ暗なんですよ。それを、なんと表現していいか、よくわからない。で、ある人は「灰」というふうに言うし、ある人は「塵」と言うかもしれないし、ある人は「土ぼこり」と言うかもしれないし、まあ、いろいろだったと思います。それで、「重松日記」に「灰」っていう言葉がどこにでてきた?

寺町歩:最初の最初です。

中尾ハジメ:最初の最初にでてくる。それで寺町君は、「重松日記」には灰って言葉があるんだけど、ハーシーは灰って言葉を、どうも避けているんじゃないかという疑いをもった……というわけだね。疑いを持ったらいけないとは思いません。いいですよ、いいんだけどね、丁寧に検証しないといけない。谷本さんが描いた、そのときの状況、その描写の中には灰という言葉がある。これはね、ものすごく難しい問題です。一つはね、実際にあの出来事を体験した人でも、その人が、時間がたってから、そのことを描写するときに使う言葉と、だいぶ違うだろうなという感じはします。たとえばね、「重松日記」というのは、間違いなく体験したご本人が書いたんですよね。だけど、それが書かれるまでにはどうもいろんなプロセスがある。ひとつにはどうやら、8月6日に爆弾が落ちて、7日くらいからメモみたいなのはつけていたようです。しかし、それは本当にメモ書きのようなものだったと思われます──僕が勝手に思ってるんですが。それをもとにして、後で本格的に書いた。書き始めたのは、じつは10年とか15年後のことじゃないか。あるいはですね最初のほうに「9月20日」っていうのがあったよね。その「9月20日」に書き始めたのが最終的に完成するのは、15年後なんだよね。その15年後に完成したものを、井伏鱒二が見て、それで重松さんと相談しながら井伏鱒二がそれをいろいろ書き直したり、いろんな物を付けくわえたりしたのが『黒い雨』なんだよね。それで、ただ時間がたっていたというだけじゃなくて、その15年間という時間のなかで、何がわかったかというとね、いろんなことがわかったけど、例えば、蜂谷さんの「日記」を見てわかるように、しばらくたつまでは原子爆弾だということもわからなかったんですね。それから、「残留放射能」ということに思い当たるのは、だいぶ後になってから。あるいは、核分裂でできる核分裂生成物質が、例えば黒い雨のような形になって、黒い雨に付着して、その黒い雨をかぶった人たちがいて、で、そこから、大変な放射線を浴びて死ぬ人もいた、という筋書きになるわけですが、そんなことはその当時は誰もわからなかった。というようなことがあります。そうすると、いくつかそのようなことがわかってから、その当時について描写をもう一回するときに、自分が時間をかけて理解したことがいろいろ付け加えられますね。だから、本当にいちばん最初の時にはですね、落下傘が落ちてくるのを見て、その落下傘を見てた人は、途端に、その落下傘あたりが爆発しかのように思えたんでしょう。それは、新聞の記事にも出てるくらいです。だけど、今、その当時のことを、体験した人に「書け」といったらですね、落下傘が落ちてきたというふうには書くかもしれないけど、その落下傘に原爆がついてたということを言う人はおそらくだれもいないと思う。というわけで、時間がたつと変わるんですね。しかし「時間がたって変わる」っていうのは、なにも「本当のことでなくなる」というわけでもない。そこがおもしろいとこだね。時間がたつことで、でたらめな情報になるわけでもない。

というわけですが、ちょっと横道だったかもしれないけれども、つまり寺町君の疑いはですね、ハーシーは、できるだけそういう、たとえば残留放射能であるとか、あるいは時間がたってから起こるいろんな障害であるとか、そういうものについては蓋をしようとしていたのではないかという疑いを持っているんだよね。これは、ハーシーにはちょっと気の毒な嫌疑をかけているなと、ぼくは思います。疑いを持っていいのですが、それはちゃんと検証しないといけないよね。

■ジャーナリズムが機能する状況と、機能しない状況

それから、ジャーナリズムが機能している状況と、機能していない状況がある、という問題提起。これも、いちばん最初の問題とよくにていて、当たり前といえば当たり前なんですが、ただ、この当たり前はものすごく重要な当たり前で、ジャーナリズムが機能している状況と機能していない状況がある・・・。そういうふうに考えると、たとえば今現在は、ジャーナリズムが機能している状況なのだろうか。そう考えざるをえなくなる。ジャーナリズムが機能している、機能していない、という「ものさし」を意識したということは、なかなか大変なことだと思う。

それから、実際に被爆をした人たちは、確かに書くんだけども、それをすぐにたくさん印刷して、多くの人にも知らせようというふうにはどうもしていかなかったように思われる。全部が全部ってわけじゃないけど、自分たちが体験した蜂谷さんの「日記」にしても「重松日記」にしても、そういう感じで読める。ところが、外から来た、たとえば新聞記者のような人たちは、そのことを早く外の世界に知らせようとする。これも考えたら当たり前だね。当たり前だけど、これも、もう一つの(ジャーナリズムの)「ものさし」って言うかな。どうしてそういうふうになるか。実際そうなんですよ。で、どうしてって言っても仕方がない問題かもしれないけども、どうもそういうことらしい。というような問題が見受けられたということでした。

(学生たちのいくつかの問題提起は)どれもこれも中心的な課題だと思うんですが、しかし、そういうことをどうして皆さんが考えるかっていうと、原爆が落ちたってことがものすごい大変なことなんだからだよね。ということを皆さんが考えているから、こういう問題意識が出でくるんだと思います。次回のこの授業では、原爆ができて落とされるまでの過程をジャーナリズムはどういうふうに捉えるか、ということの例です。それで、リチャード・ローズっていう人が出てくるんだね。

■ジャーナリズムはどのように存在するか

話は行ったり来たりしますが、『重松日記』あるいは『黒い雨』についてはもうちょっと・・・。皆読んできましたね。読んできた? それで、もうちょっとしゃべろうと思うけど、その前にね、こういうふうに考えられないか。この前、変な・・・見ましたね。(長方形を三つならべてホワイト・ボードに描きながら)これ、全然おかしい考え方ですよね。で、(一番左の長方形に「体験」と書きながら)これが「出来事」とか、あるいはその「出来事を体験」してるということがここにある。で、(二番目の長方形に「ジャーナリズム」と書きながら)「ジャーナリズム」ってのが、ここになければ、これがなければ……。で、このジャーナリズムってのは、もう一回言いますが、物を書く人とか、今でいえばテレビのアナウンサーとかキャスターとかっていう人たち、あるいはそのテレビの取材のクルー、チームみたいのもあるし、それから、本あるいは新聞、雑誌、その新聞や雑誌を出版している会社とか印刷会社とか、いろんなものがある。全部入れちゃいますけれども、それがないことには決してわれわれに(三番目の長方形)は伝わらない──という、これも当たり前だよね。当たり前です。当たり前だけどジャーナリズムってのがあるからこうなる、ということだよね。でも、変でしょこの絵は。ジャーナリズムというものがなければ、ある組織、ある体制がなければ、あるいはジャーナリストがいなければ、あるいはメディアがなければ、あるいはマスコミュニケーションがなかったら、(三番目の長方形)ここへ伝わらない。どういうことなんでしょう。

で、今皆さんがいろいろ言った質問というか、いわば問題意識ですね、それはすべて、ここ(二番目の長方形)ジャーナリズムの持っている「ものさし」、持たなければならない「ものさし」になるね。早く伝えるか、伝えないか──あるいは加納香織さんが言ったこと、「情報の遅れ」っていうのは、ただ早い遅いの問題じゃなくて、(一番目の長方形を指し)ここの体験を、(三番目の長方形を指し)ここで共有するためにどうしたらいいか……。共有しないように(二番目の長方形を指し)ここで消しちゃう。で、そのことを彼女は「遅れ」っていって考えた、そういう問題だとおもいます。

それから寺町君が、ハーシーを──こともあろうに我らが英雄を(笑い)──、「疑った」っていうのはどういうことかっていうと──このジャーナリストが、本当は(一番目の長方形)ここで起こっていて、ここの人達が言っているんだけど、それをわざとその部分はカットして、隠して(三番目の長方形)こっちへ流しているんじゃないか、というとんでもない疑いをかけている。で、これはまだ疑っているだけですからね、そうであるかどうかっていうことは検証したらいいんだけど。ジャーナリストは、そういう「ものさし」を持たざるをえません。自分は、これを削っていいんだろうか、ほんとは削ったらいかんのではないか、とかいうことも多分にある。

それから、ジャーナリズムっていうのは、これは時間がかかる、かかってしかたない。書こうと思ったら、皆さんがレポート書こうと思ったら、そんなにたいしたレポートじゃなくても、時間がものすごくかかるよね。だから、書けなくて、結果的に伝えられない、という問題もある。それから、最後のほうで出てきた問題を、先に言っちゃうと、(「体験」「出来事」という一番目の長方形を指し)この人たちは生きていれば、自分でやっぱり書きとめよう、あるいは自分の身近な人間にはこれを残したいというふうに思う。これも、ものすごく重要。で、ジャーナリストっていうのは、いわばおせっかいだね。ある意味でおせっかいです。だけども、(三番目の長方形)ここでこの体験(一番目の長方形)を共有しようと思ったら、そういうおせっかい(二番目の長方形)がいないと、なりたたないよね。ジャーナリストは、これは重要か重要でないかっていう「ものさし」を持っているってことだよね。さあ、それで、そのジャーナリズムが存在をしない状況があるんじゃないかという恐ろしいことを言う人がいました。これ(二番目の長方形)がないという状況です。やっぱり、ぼくは、ジャーナリズムが存在しない状況はあると思いますね。ある出来事についてはジャーナリズムが存在してない。ありますね。明らかにあります。新聞社もあれば放送局もあるし、アナウンサーもいれば新聞記者もいるし、小説家もいれば大学まであるし、これはすごい。すごいんだけどね、ある非常に重要な出来事についてはジャーナリズムが存在しないに等しい例もある。たくさんある。これはだけど、ジャーナリズム自身が、その中にいるから、この「ものさし」を使って考えることが、ものすごく、大変むつかしい。

ちょっと少しずれる例かもしれないけど、ジョン・ハーシーという人が(「ヒロシマ」を『ニューヨーカー』に発表したのは)なんで一年後のタイミングなのか? …… 一年以上かかったんですね。これはもう勝手に想像するだけだけれども、ひょっとしたら、二年かけても良かったのかもしれない。もっと膨大な記事を作ったほうが良かったかもしれない。それは分からない、分からないけれども、そこには、さっきも言ったとおり時間はかかる。今問題にしようと思ってるのは、ジョン・ハーシーがどうしてそれを『ニューヨーカー』に載せようとしていたか。彼はもちろん『ニューヨーカー』と契約を結んでる人だから。彼が書く場所は『ニューヨーカー』か『ライフ』だね。それはそうなんですが。溝口さんによれば、ジョン・ハーシーとかバーチェットという例は「ジャーナリズムが機能している」っていう世界なんだね。しかし、もうちょっと考えてみると、ジョン・ハーシー自身がそのジャーナリズムの舞台を全部設計してつくるわけにはいかないけども、そのジャーナリズムという装置のなかで彼が、その装置を活かしたのかな。ジャーナリズムが機能するという状況を活かした。あるいは、ジョン・ハーシーがあれを書かなかったら、溝口さんはなんて言ったらいいだろうね。つまり、アメリカでは言論統制っていうのは・・・その当時──そのあと1950年代になると厳しくなっちゃいますが──戦争直後のアメリカの言論状況はそれほど厳しいものではなくて、比較的自由にみんないろんなことを書けた。

溝口恭子:少なくとも、・・・圧力とか、反対意見とかが、政府側からでたけれども・・・。バーチェットとか蜂谷に対しては、日本のプロパガンダに毒されていると言われたりはしたけれど、記事を出すこと自体はできた。

中尾ハジメ:うん、出すことできたよね。出すことができたし、自分が書いた記事を盗まれちゃったりとか、そういうことが起こらない限り、墨で黒く塗るとかそんなこともなしにね。で、もう一回振り返って考えたいと思います。これはまた憶測がだいぶ入りますけどね、ジョン・ハーシーという人が、5月に広島に入って、何人かの人から話を聞いて、ノートをつくって、そのノートをアメリカに持ちかえって──アメリカに帰る途中に上海に停まったんですが、6月にアメリカに帰ったんですね──6月、7月、8月と、ヒロシマという記事の原稿を書くわけだね。で、3か月かかっているわけですが、ジャーナリズムっていうものは自分一人の力だけでは出来ないかもしれないけども、そこを、一生懸命作っていませんか? 「ジャーナリズム」を。溝口さんが言っている「ジャーナリズムがある」っていう状況を、結局作った。彼が書かなければ、「ジャーナリズム」は存在しない。ジャーナリズムの定義──変な定義ですけどね──を、出来事、体験──これは重要だという体験──があって、これが多くの人々に共有される、その問題意識が共有されるということはジャーナリズムがなければ起きない、ととらえたときに、そのジャーナリズムを、「俺はやる」っていうふうに考えなければ、ジャーナリズムは普通起きないです。

対照的な言い方をするとわかると思いますが、広島・長崎の体験をアメリカの人たちは本当に誰も聞いたことがなかった。町が壊れた、町が破壊された、たくさんの人が死んだ、ということはみんな知ってる。みんなというか、多くの人が知ってる。でも、それだけでは、その出来事がどんなふうに重要であるかっていう意味を共有することはできなかったんだよね。これは変だけどそうなんです。そういうことを考えてみてください。で、共有しなければだめだよ、共有させるよ、という仕事を彼がいわば引き受けた。でも、引き受けるっていっても単純じゃないですよね、秘密でやってたんだから。誰にも言わないで。誰にもっていうか、少数の人しかしらなかった。・・・ということです。

■巨大な「情報権力」の誕生

それから次にいきます。「情報」って言葉がありますが……。この前は、(一番目の長方形から 二番目の長方形を経由して三番目の長方形へと)こういうふうに伝わるって言ったかもしれませんが……。「情報」が伝わるっていう話がある、「情報が伝達される」。あるいは、「ジャーナリストが情報を伝達する」。しかし、「伝達」っていうのは、そのまま一言一句違えずに伝える、というイメージだね。はたして、そういうことかどうか、という問題ですが。「情報」って言葉に気をつけましょう。「伝達」という言葉遣いにも気をつけましょう。ということになりますが、次回この問題をもう少し丁寧にやらなければならないですが……。

・科学の知

そもそも、原子爆弾ができたのはどうしてか──賢い人達がいたんだね。で、それを仮に、これもまた(ホワイト・ボードに長方形を描き)、これはなんだかよく分かりませんが、僕はこういうふうにしか描けないから、こう描きますが(長方形に「科学」と書き入れる)──科学っていうのは、この中身は・・・。モノはモノでない何かからできている。たとえば、何でもいいですが、木が生えているでしょ、ぼくらは木は木だっていうふうに見えたらそれでほぼ満足しちゃうんですが、木は木だっていう言いかたでは満足できない賢い人たちがいて、木も水も土も、もとは全部同じものじゃないか……それを「原子」と呼ぼう、そういうふうに考える人たちがいたんですね。つまりそこに見えているようなもの、あるいは自分たちがにおいを感じたりなんかいろいろするようなもの、そういうモノはモノでない次元の原子からできている、と考える人たちがいる。そういうのが、科学だね。これは、証拠を見せろって言われたら証拠を見せるっていう方法まで持っているわけですね。

ところが、これだけじゃ爆弾なんかできないですね、あたりまえですが。それで、どういうことが必要かって言うと、爆弾を作ろうと思ったら核分裂連鎖反応を起こさないといけない。核分裂連鎖反応はある人たちの考えによれば、宇宙のどこかでは起こっている。あっちでも起こってれば、こっちでも起こっている。でも地球では起こってない。連鎖反応は起こってない。で、こういう賢い人たちは発見するんですね。モノっていうのは原子から出来ている。それは、少しずつ──崩壊という言葉を使いますが──原子を構成している中にいろんなものがあったね。電子とか中性子とか。たとえば中性子がときどき、ぽろぽろとそこから漏れていっちゃう。そういうことがおきてる。陽子が抜けでて、変わっていくのがアルファ崩壊とか、電子が抜けでて。ベーター崩壊とか、いろんな言い方をするようですが──そういうことを発見した。しかしこれだけでは、いっきょに物質をエネルギーに変えることはできない。で、この人たちは質量はエネルギーに変えられる、ということを一生懸命考えている人たちだから、そのことを、実際に、たとえば原子爆弾のような形で、あるいは原子力発電という形でですが、実証しようと思った。

・工場、警察、軍隊、鉄道などなどの組織と、資金

そのためには、大変な量のウラニウムを集めないといけない。どうやったら集められるか。これはまずウランの鉱山を掘らなきゃいけませんね。掘ってそれを精錬しないといけない。純度の高いウラニウムを集めないといけない。で、純度の高いウラニウムをたくさん集めて、それをぎゅっとひとつのかたまりにすると、ある分量をこえると、連鎖反応がおきる。「臨界量」といいますが、そういうことをするために何が必要か。何が必要だとおもいますか? たとえば施設が必要だよね、工場だとか。つまり科学で考えられていることを実現させようと思ったら、人工的に建物がなければそんなことはできないし、あるいは、輸送するための方法がなければできないし、その他様々、いろいろありますが、(二番目の長方形を描きながら)これは、いわば人間が作り出した組織です。

それで、これはどうしたらできるか。誰かが作んなきゃできない。誰がこんなもの作れって言うんだろう。で、どっかに書いてあったと思うけども、ピーク時には何万人が導入されたって書いてあったよね。そういうことがおこるためには、どうしたらいいか。労働者がいなきゃいけないでしょ。工場で働く人がいないといけないんだよ。あるいは、工場のまわりを警備する人がいなきゃいけない。つまり、警察だとか軍隊がいなきゃいけない。で、鉄道を敷かないといけない。あんな重いものどうやって運ぶんですか。そういうことをするためには、こういうことを考えている人たちがいることを知っている人がいないといけないよね。で、この人たちはしかしながら工場をつくることはできない。工場をつくろうと思ったらお金が必要ですね。(三番目の長方形を描き、「資金」と書き入れる)そのお金をどういうふうに動かすということを考えられる人がいないといけない。これを全部結び合わせて、はじめて、爆弾はできるんだよね。

・巨大な「情報権力」の誕生

で、これ(これら全部を結び合わす立場の知識)は何だったかです。(三つの長方形を統合する位置に、「情報権力」と書きながら)私の言葉では、これは、「情報」っていうもの。知ってるだけじゃできないけども、科学者がこんなことを考えている、この科学者が考えていることは、彼らに聞いたら工場があればできると言っている、工場を作らせることができるかどうか、人をどうやって集めることができるか、ということを考える。それから金をどうするか──こういうタイプの知識、知るってこと、があるんですね。

それで、この人たち(科学者)は、例えば代表的な人でいったらアインシュタインみたいな人がね、質量はエネルギーに変わるということを考えた。で、そのことをなんでこの人(「情報権力」という立場)は本気にして、そんなこと知ることができるのか。ということをお考えください。で、もちろん実体的にはね、そういうことを考えている科学者自身が、「爆弾が作れまっせ」ということを、ここ(「情報権力」)へ教えるんだよね。だけどそれを真に受ける人と、真に受けない人がいる。で、今回の場合、真に受けた人は・・・ルーズベルトという人はこれを真に受けるわけですが、真に受けて何をしたかということを、次回いろいろと紹介しようとは思います。で、この(「情報権力」の位置、あるいはその位置にいる人が)知るための動機・・・動機がなくたって知るってことはあるだろうと、ぼくは思いますが、しかし、この場合には動機はものすごくはっきりしている。動機は何か。戦争だよね。戦争に勝たなきゃいけない。で、それを少しきれいに言えば、嘘だとは思いませんけど、ちょっとやっぱりきれいに言うと、戦争を終わらせるための戦争だ・・・戦争を終わらせるための戦争をするよということを考えたと思います。(二番目の長方形を指して)これはものすごく巨大なものです。信じられないほど大きい社会組織をつくって、それから物理的にも大きな施設をつくって、しかも秘密で全部やってね。で、資金というのはこれは、この情報権力はこの場合国家ですから、これはいくらでも国の金を使うことができる。

■巨大組織という出来事──ジャーナリズムの不能か?

ついでに言うと、こういうことがあったということを──戦争してることはみんな知ってますよ。だけど、原子爆弾をこういうふうにして作ってるということを──多くの人は知らなかった。だから、いわばこれは、多くの人に共有されないものだったんだね。ここ(「情報権力」)は知っていた。それで、原子爆弾の場合の大問題は・・・。科学者は自分たちが考えていることは知ってる。だけど、どういう工場があるかとかなんとかいうことはあんまり知らなくてもいいタイプの科学者がいます。で、工学っていう分野があるんですが──エンジニアリングといいますけど──工学という分野は、これ(「科学」と「組織」)がもうすでに最初から合体しているんだよね。そういう困った世界があります。

が、ここ(「情報権力」)で知っている人が、すべてを知ってる。知っていることによってコントロールができる。だけども、たとえばこの(「組織」の長方形の)、この組織体制の中で働いている何十万人の人たちは、この人(「情報権力」)の知っているようには知らない。自分がしていることは分かる。たとえばウラン鉱山でウランを掘っているってことは知ってる。しかしこの人(「情報権力」)は、これをやがて、日本かどこかに落として、たくさんの人を殺すことによって戦争を終わらせるということを知ってる。で、その爆弾の破壊力がどれくらいだろうかということも知ってる。しかし、ここ(「組織」)で働いている人たちは、一人ひとりはぜんぜん知らない。で、ここ(「資金」)で資金を集める人たち、あるいは、銀行で働いている人たち、税金を集める人たちも、それも知らない。そしたら、ここ(「科学」)の人たちも知らない人がいるかもしれませんね。工学的な意識を持っていなかったら、べつに知る必要もない。

しかし、くりかえして言いますが、あの原子爆弾をつくるプロセスでは、ここ(「科学」)の人たちはよーく知ってた。で、ちょっとその区分けを書くとね、ここの人たちはかなりこういう人たちと、こう、近くなってた(「科学」と「情報権力」を含む図形を描きくわえる)。それはすごい勝手だと思うんですが、そういう状況がありました。今でもその伝統はどうやら続いていると思います。

さて、そしてですね、共有されない(三つの長方形の下に、「共有されない」と書きくわえる)・・・ここにいる人とかなんかそういう言い方しましたが、共有されない。ここ(三つの長方形)に山ほどたくさんの人がいるんだよね、山ほどたくさんの人。しかし、共有されなかったけれども、実際に原爆が落ちたら、たくさんの死んだ人と、そのたくさんの死んだ人を見た人、つまり被爆者、生き残った人たち。で、それはここ(以前に描いた三つの長方形の一つ)にいるんですね。これですね。さあ、この人たちは自分たちの身に起こったことをジャーナリズムを通じて世界に伝えることができます。ジャーナリズムがあればできる。(新たに描いた「情報権力」によって総合される三つの長方形を指して)ここで起こったことは、誰が伝える? やっぱり、ジャーナリズムってものが、なきゃいけないんだね。ここで起こったことは、実は大変なことだった。ここで起こったことは、広島とか長崎に原爆が落ちたということ以前の問題です、いわばね。しかしどうしてもここで起こったこと、特に、この人(「情報権力」)だよね、この知っている人。この人が知っていることと、被爆体験をした人たちが知っていることの関係は、あるのかないのか。つながるのかつながらないのか。

で、われわれは、これ(以前に描いた、広島被爆を表す長方形)は共有されない・・・これ(原子爆弾の開発過程を表す三つの長方形)も共有されないというところにいるのか。でもないはずないよね。ジャーナリズムってのはある。ぼくの感じでいうとね、これだけ大変なことをやっていて、ほとんどの人は、自分たちが何をやっているのか分からなかった、それで大変なことが起こって──広島、長崎があって──そのことを時間はかかったけれども、いろいろな人がジャーナリズムの仕事をして伝わるようになった。けれども、(「情報権力」によって統合される新たな三つの長方形を指しながら)このことは伝わったかい。伝わってないということは、共有されてないってこと。このことが恐ろしいんじゃないですかね。で、この恐ろしいことを、つまり伝わってないってことを伝えるジャーナリズムがいるんじゃないか。これ全体を対象にして、ジャーナリズムは・・・ここにジャーナリズムが入るんだよ・・・で、またそれが共有されるというところへいかなければならないのではないかなと思うんです。これは大変だね。ということがひとつ。

どっかに書いてあったと思うけども、人間に起こったこと、つまり、ジョン・ハーシー的な言い方をすると、人間に起こったこと、生命に起こったことを誰も伝えてなかった。それで彼は、これをするわけですね──広島のことを彼は書く。で伝わった、ということがあった。こっち(原爆開発という出来事)はどうなんですかね。という問題があります。ちょっとだけ先回りして言っちゃうとね、こっから何が生まれてきたか。爆弾も生まれてきました。しかし爆弾と同時に、じゃあ潜水艦のエンジンに使おうっていうことも考えたんですね。つまり、原子力発電っていうのはこっからでてきた。で、それはやはり同じような体制を持ってた。原子力発電のことを知ってる人は、(「情報権力」)こういうふうにしか存在しない。で、ここはこの枠(「科学」と「情報権力」を包摂する図形)だから結びついてるのかもしれないけども、基本的に多くの人はよく分からない、なんだかよく分からない。というふうになっております。ものすごく大きな、巨大な組織を作ってる。で、寺町君が疑いを持つのは、こういう組織があるから疑っちゃうんだろうね。寺町君的に言うと、たとえば『原子爆弾の誕生』が1巻だけで6,500円もするのは、これはきっと電力会社の陰謀に違いないとか・・・ね。

授業日: 2002年5月21日; テープ担当学生: 加納香織、神谷美重、川口奈美、沓名恵美子