四学部からなる新しい大学へ

『京都精華大学教育後援会ニュース』No.31 2005年11月

現在の京都精華大学の前身京都精華短期大学は、英語英文科と美術科を合わせて、わずか三〇〇名の収容定員で発足しました。三七年前、一九六八年のことです。そのような小さな学園として出発する決意を、岡本清一初代学長は入学してくる学生たちへのアピールのなかに書き記しています。「大学は学問と教育と深い友情とを発見する場所である」と呼びかける、あの入学案内です。

学生を群集として扱う大規模大学の官僚主義を批判し、教員には学問的魅力と人間的魅力を、学生には鍛錬に耐える忍耐力と誠実・謙虚の精神を求めた岡本清一は、四年制大学への発展を目指していることを述べています。そしてまた、「われわれの大学は、四年制大学になろうとも、学生数は極力少数におさえられる」と宣言していたのです。

実際の学生数は、開学五年後には九七三名、一〇年後の一九七八年には一四一六名となり、翌一九七九年待望の四年制の美術学部(現芸術学部)を開設することができました。その後も、人文学部開設の一九八九年には一八一二名、開学三〇周年の一九九八年には三一六三名と増加し、今年は三八七八名を数えています。今日大学として求められる施設を備え、魅力ある教員の多様性を実現してきたと自負できるのは、もちろんこのような学生規模の拡大があったからです。

しかしこのような規模拡大も、現実に可能なかぎり学生数を少数におさえるという方針から外れるものではありませんでした。その方針こそ岡本清一の理想主義が描き出した大学像の、もう一方の核であり、私たちはそれを建学精神の実践指標として愚直に守り通すことができたからです。教育後援会のみなさんの厚い声援にも支えられ、控えめに見積もっても一人の専任教員が一〇〇人の在学生を名前で呼ぶことができるという、親密な空気がこの大学には維持されてきました。

さて、今また京都精華大学は、大きく変化する社会の現実に向かいあうことができるよう、デザインとマンガの領域がふたつの学部として独立します。それぞれ入学定員約二〇〇名で、完成年次には人文学部、芸術学部と合わせて全体で四八〇〇名規模の大学となる計画です。現実的に必要欠くべからざる学部増設であることは言うまでもありませんが、これによって、大学を有機的な共同社会として維持するという課題がさらに大きなものになることは否めません。

四つの学部がそれぞれに、社会との連携を拡大しながら、その独自性を強化していかねばなりませんが、大学全体では、規模拡大と共同性維持との緊張を孕んだダイナミズムを最大限意識した開発・工夫が求められています。

このような新しい大学の形に向かって、いよいよ来春には挑戦の第一歩を踏み出すことになります。大学の私たちは、今までにもまして、教育後援会のみなさんからのご支援と積極的なご意見がいただけるよう、心から願っています。