真価の問われる淘汰の時代

『木野通信』No.30 巻頭言, 1998年12月

日本の18歳人口の減少はもう20年以上まえからわかっていたことですが、いよいよ大学の経営にとって、たいへん大きな断崖絶壁のように、ありありと眼前に立ちはだかる現実問題となってきました。そして、京都精華大学が「自由自治」「国際主義」「人間形成」などの理念をかかげながらめざしてきたことの真価が問われるのは、ほかでもない、日本の大学一般にこのような困難が現実のものとして押しよせはじめた今日この時期であるように思えます。

この秋に行われた京都精華大学創立30周年記念のさまざまな催しは、期せずして、このことを考えるよい機会となりました。

振りかえってみればこの30年のあいだ京都精華大学は、少なくとも、一方で大学の権威を笠にきて、他方で横並びの大学像に安住しようとしたことは一度もありませんでした。このことは、あるときは「反アカデミズム」や「ユニーク」という言葉で表現されたことがありますが、その内容はさまざまに誤解されたふしがあります。ときには努力からの逃避を正当化したり、たんに奇抜であることだと勘ちがいしたむきもありました。しかし、30年を経てなお京都精華大学が、ますます多くの人びとから支持を受けているのは、まちがいなくこのことによるのだと思います。つまり、自由と親愛の空気が維持されているからであり、そのなかでこそ創造的な芸術と学問が可能であることを知る人びとが少なからずいるからにちがいないのです。

いわゆる偏差値一辺倒の序列のなかに従順に位置づけられ、それによって自らを評価するという愚もおかさずにすんだと思います。偏差値の物差しを振りはらう具体的な方策が入学試験の段階で十分にできたわけではありませんが、私たちは入学してきた学生と向かいあったのであって、その偏差値を云々したりはしませんでした。もとより、偏差値の高さが直ちに問題意識の高さを表すはずはなく、感受性の高さを表すはずもありません。ものを考えようとする、表現しようとする人間がいることが、大学のような場の第一条件だということを多くの教職員が忘れずにすんだことは幸運でした。

もし、この気風がもっぱら一部の少数派の意識することでしかなかったのなら、そしてまた、このような価値を信じる大学の存在を、広く伝えようという現実的方策がとられなかったとしたら、この大学はすでに消えてなくなっていても、あるいは抜け殻だけになっていてもまったく不思議はありません。いよいよ現実となった受験生人口減少による大学淘汰を目前にして問われる私たちの大学の真価とは、このあたりのことにちがいないとますます思えてなりません。横並びの空疎な権威に安住する道は、もう完全に視界から消えさっています。もちろん京都精華大学ははじめからその道を選んでこなかったのですが、生き残るに値するその内面的な価値をさらに実現し維持するために、いままでにもまして教学の運営にも経営にも、そのリアリズムに磨きをかけなければならないでしょう。