第15回 剥きだしの権力がジャーナリズムを阻害する社会ではないが、ジャーナリズムが働いているように見えないのはなぜだろう?──という疑問で終わる最終回

いままで2回レポートの課題がありましたけど、書いている人がきわめて少ないね。今日も来ていないということは、今日出さないということだな。3分の1くらいしか単位がとれないということかなぁ。どうしよう。困ったもんだね。

1.取りあげる予定が果たせなかったジャーナリズム事例をちょっとだけ紹介

後期に取りあげる計画はあったけれども、できなかったものが4つあります。まず、ヴァンダナ・シヴァ(Vandana Shiva)の『緑の革命とその暴力』(浜谷 喜美子 訳、日本経済評論社、1997年)というのがありますが、これはできませんでしたね。1997年に出版されてから何度か版を重ねています。読むといいでしょう。

それから、アンドリュー・レヴキン(Andrew Revkin)の『熱帯雨林の死−シコ・メンデスとアマゾンの闘い』(矢沢 聖子 訳、早川書房、1992年)です。ブラジルで、樹液を採取をしていたゴムの木の生えている場所が伐りはらわれて牧場になってしまうというようなことがありました。それに抵抗して運動をはじめたシコ・メンデスという人がいます。そのメンデスは殺されてしまいます。そのことを報告しているのが、このレヴキンの『熱帯雨林の死』という本です。

それからドネラ・メドウズ(Donella H. Meadows)とあと数人が書いた『成長の限界』(大来佐 武郎 訳、ダイヤモンド社、1972年)という有名なものがあります。これもちょっと手に入らないかもしれません。最近になって、『限界を超えて−生きるための選択』(松橋 隆治ほか訳、ダイヤモンド社、1992年)という本を同じメンバーで書いています。これはたぶん以前配った資料のなかに書いてあったと思います。

いま言ったようなものが取りあげられなかったものです。環境ジャーナリズムの重要なものだけでも全部取りあげようと思ったらキリがないですね。それから、もうひとつ紹介できなかったものがあります。「ナチュラリスト」という言葉がありますが、知ってるよね。「ナチュラリスト」ってなんだ? どういう意味ですか?

野村:自然主義者ですか。

中尾:自然主義者とは違うんだよ。自然誌というのを知ってるよね。あるいは博物学と言ったりします。博物学というのは実はナチュラリストが大好きなものです。それでこのナチュラリストというのを紹介したかったんですができませんでした。日本にもこういう人は昔からいたよね。みなさんがこの授業で扱ったもののなかで言うと、どれが一番ナチュラリストの系譜に近い? 誰でしょう?

竹内:柳田國男さん。

中尾:柳田國男(1875-1962)もそういうところがあるね。だけど柳田國男というのは、人間の生活にむしろ焦点をあてるでしょう。だから昆虫とかそういうものに焦点をあてては扱わない。要するに、授業では取り扱わなかったけれども、『昆虫記』を書いたファーブル(Jean-Henri Fabre, 1823-1915)のような人をナチュラリストと呼びます。

それでミシュレという人がいますが、知っているよね。昨年(2001年度)の環境ジャーナリズムの授業(参照「第5回 博物学の視点へ」)ではミシュレ(Jules Michelet, 1798-1874)を取りあげました。ミシュレの『博物誌──鳥』(石川 湧 訳、岩崎書店、1951年<新装版1980年、思潮社>)とか『博物誌──海』(加賀野井 秀一 訳、藤原書店、1994年)などを取りあげました。彼はそれ以外にもたくさん書いています。ミシュレという人は、フランス革命の歴史を描いた人だけれども、もう一方でこういうナチュラリストの仕事もたくさんしています。そういうふうに人間だけではなくて、他の生き物がどういうふうに世界をつくっているかということに関心を持って眺めている人たちを指して「ナチュラリスト」と言うんだと思ったらいいです。だから自然主義者とは違いますね。これも残念ながら時間がなくて触れることはできませんでした。

2.ジャーナリズムが働かないとはいったいどういうことか

いよいよ今日の授業に入ります。でも今日はあんまり時間がないので、ろくなことはできません。でもまずこの1年間の反省をしなきゃいけない。

いろいろ反省をしなきゃいけませんが、反省をする前に、前期の授業で、ジャーナリズムが働かない場合があるよという話をしたのを思い出してください。ジャーナリズムはいつも働いているわけではなくて、うまくいかないことがあることを考えようとしたと思うんですが、それはどういう場合であるかということをいま考えてほしい。ジャーナリズムが働かないということはいったいどういうことでしょうか。そんなこと言ったって考えようがないって感じかな。

3.「事実→ジャーナリスト→みんな」というモデルをもう一度考えなおす
──ジャーナリストがいなければ、ジャーナリズムは存在しない

「事実→ジャーナリスト→みんな」という原始的なモデルを描きましたが、ジャーナリストが伝えるべき何かが「事実」という部分にあって、それで情報が「みんな」の方に流れるかのように考えたよね。

最初の部分を「事実」というふうに描きましたが、これはよくよく考えるとやっぱりおかしいですね。ものすごくおかしいですね。たしかに、自分がいなくても世界はあるというふうにみんな信じているよね。生まれてくる前から世界はあったし、仮に自分が生まれてこなくても世界はある。自分が死んでしまっても世界はある。だけれども、みなさんがある事実を発見したり、ある体験をしたりしたとき、事実があるっていうことは考えてみたら体験だよね。事実があるということを体験するんだよね。あるいは自分が生まれてくる前のことでもそうだし、これから起こることについても自分というものがなかったら始まらないんだよね。これはものすごく矛盾しています。おかしいよね。おかしいけど、そうなんですよ。それで、人間っていうのはそういうふうにできているんだよね。

そうすると「事実」が最初にあって、「ジャーナリスト」を通して「みんな」の方に来ているんじゃないんじゃない。一番最初に「ジャーナリスト」があるんじゃないの? まず「私」っていうのがいるんだよ。「私」がこんなことがあった、あんなことがあったというふうに「事実」をとらえるという体験をするんだよね。

そういうふうに考えると、もう一回考えなおさなければならないことがたくさん出てきます。そのひとつは、「客観性」っていう言葉があるでしょう。私が体験をするということは、たぶんみなさんのなかでは客観性というふうには分類されないことだったと思います。その客観性と同時に、「事実を伝える」ということをみなさんは平気で言いますが、私が体験する事実なんですよね。

この「事実→ジャーナリスト→みんな」という原始的モデルは考えなおさないといけなくなってきた。どう考えてみても、「ジャーナリスト」が最初にある。これが最初にないと、ジャーナリズムなんてありようがない。「ジャーナリスト」が自分が体験した「事実」を「みんな」に伝えたくてしょうがない。いいですか。そうすると、

  1. ジャーナリスト
  2. 事実
  3. みんな

という順番になる。

けれどもよくよく考えてみると、これもちょっとおかしい。なぜかっていうと、なんで「ジャーナリスト」と「みんな」がはっきり分かれるんだろうか。もし生まれたときからジャーナリストって仕事が決まっていて、他のことは一切しないんだったら、「ジャーナリスト」と「みんな」ははっきり分かれているのかもしれません。でもそんなことありえないものね。

そもそも生まれてくるということはどういうことかというと、どこに生まれてくるの? 人間の仲間のなかに生まれてくるんだよね。だから「ジャーナリスト→みんな」という矢印は本当かなということを疑わなくちゃいけなくなってくるという問題があります。この「みんな」っていうのをもっと別のかたちで描かないといけないのかもしれないね。

でもいささか不便というか、たぶん適切にあらわされていないかもしれないけれども、一応3つの部分、あるいは3つのレベルに分けて考えたよね。しかし結局のところ、ジャーナリズムを考えるということは、こういうことをする人間を考える以外に方法はなかったということになります。今(それ以外に方法はないということに)なりました、かな?

4.ジャーナリズムが働かないとき

ではさっきの問題にもどりましょう。ジャーナリズムがうまく働かないということはどういうことだろう。本来ジャーナリストであるはずの、事実を体験したりそのことを他の人たちに伝えようとするはずの人が、もうそんなことは私はしません、できません、考えようがありませんというふうに言ってしまうとジャーナリズムは働かないよね。それはジャーナリズムが存在しない状態ですね。でも普通はそういうことはなくて、人間っていうのはいろいろしゃべりたいんだよね。こんなことがあった、あんなことがあった、って言いたいどころか、言わなければ生きていられない。僕はそう言いたいんだけど、なんだかみんなの顔見ていたらそうでもないかな、大丈夫かなという気になってきたよ。

これから具体的な例を挙げたいと思います。ジャーナリストがある事実を体験します。体験するときには、すでにそこに考えとか考えることを支えるための言葉とか、いろんなものがすでにそこにある。そういうものが備わっている。ジャーナリズムがうまく働かなかったというわかりやすい例はどういうことか。もう言葉は備わっている、考える力もあった。例えば、こんなひどいことがあったことがわかった。さあ、じゃあ、みなさん自分にあてはめて考えてみよう。自分はこんなひどいことがあった、あるいはこんな重大なことがあったということを体験しただろうか。してないと困るんですよね。

4−1.発売禁止になった『谷中村滅亡史』──メディアを禁止する力

明治38年というと1905年くらいのことです。日露戦争のころです。日露戦争というのも大変な出来事だよね。ここからの話は少し重複するかもしれませんが、戦争が起こるというのは大変なことだよね。戦争っていうのは国家と国家がする戦争っていう意味ですが、自分の属している日本という国家とロシアっていう国家が戦争する。大変だよね。「戦争はしないほうがいい」というのを事実と言えるかどうか。まだ戦争は起こっていないんですよ。しかし戦争が起こる、起こると言っているわけです。あるいは戦争したいっていう人がいっぱいいるわけです。あるいはそういう人たちからみたら戦争したいような状況が事実としてある。主戦派──つまり戦争をするべきであるということを主張する人たちは、そういう体験をしているんだよね。それで一生懸命ほかの人たちに向かって、戦争をするべきであるということを呼びかける。そのときに戦争はしないほうがいいっていう人たちも当然登場してくる。そのどちらの人もジャーナリストとして──職業的ジャーナリストというわけではありませんが──自分のそのとらえ方を他の人たちに伝えるということを一生懸命するんだよね。1905年はそういう時代でした。

そのなかのひとりに、荒畑寒村(1887-1981)という人がいます。どうみてもペンネームだよね。僕もこういうふうにすればよかったかなと思ってるんだけど(笑い)。この人が『谷中村滅亡史』(岩波文庫、1999年)という本を書くんですね。現在はこの本は岩波文庫で手に入ります。足尾銅山というのを知っているでしょう。鉱毒事件っていうのもみんな知ってるよね。「公害史」の授業のなかでやったと思います。

寒村はこういう本を書きました。ここからが問題なんですが、出版と同時に発売禁止処分になる。だから結局「みんな」の方には一冊も出まわらなかったんですね。こういうことができる力を国家は持っていました。いまでも、ある本が発売禁止になるようなそういう力を国家が持っているところはあります。荒畑寒村の仲間は、このことが原因ではないんですが死刑になるというような、そういう時代でした。

そういう時代だということは、よく考えてみたら、いまはジャーナリストが客観性だとかいうことを言っているけれども、寒村の時代はそんなことを言っている場合じゃない。そんなことを言っている場合ではなくて、ジャーナリストがこれは大変なことであるという体験をして、「みんな」に向かって大変なことだよと言おうと思ったら、やっぱり命が危ない。なぜかというと、きっと大変なことだからだよね。そういうことを考えてみると、なにが客観性だ、という感じにだんだんなってきます。

でもどうして「ジャーナリズム」と聞いただけで、「客観性」とかいう言葉をわれわれは思うようになってしまったんだろうか。そういうことを本当はもっともっとやりたかったんですが、残念ながらそれは十分にはできなかった。

ジャーナリズムが働かない場合というのはどういう場合かというと、ほとんどいまみたいに大きな力がジャーナリストを黙らせる。それ以外には考えようがありません。実はもうひとつあるんですが、とりあえずそういうふうに考えておきます。ジャーナリズムが働かないというのはどういう場合か。それは大きな力がジャーナリストを黙らせる場合です。黙らせる方法はいっぱいありますよ。いろいろあるけど、いまの例は要するにメディアを禁止しちゃう、そういう権力がある。

4−2.事実を隠蔽する力、取材活動を禁止する力

それからこれは前期にやりましたが、これこれのことが起こっているということを隠しちゃう。つまり世の中には問題を隠しちゃうようなやつが絶対にいるんですよ。基本的にみなさんは、恐いことはイヤだけれども、なにが重要かということを判断する力を持って人間のなかまのなかに存在しているでしょう。そういう人間がいるということをあらかじめ権力は知っていますから、そういう人たちが簡単に知ることができないように隠してしまうということをいろいろします。原子力というのは、それの非常にわかりやすい例だね。つまり「事実」と「ジャーナリスト」の間で、あるいは「ジャーナリスト」と「みんな」の間で、禁止や隠蔽をすることもできる。

メディアを禁止するものも、あるいは取材活動を禁止するものも両方とも大きな権力がないとできません。つまりジャーナリストが持っている権力以上に大きい権力を持たないとできません。

4−3.投獄されたジャーナリスト──ジャーナリスト自身に働く力

さあ、ちょっといまから配るプリントをみてください。ちょっと薄くて見えないかもしれませんが、[reporters without borders]という四角いロゴマークがありますね。日付は2002.12.10.です。これはなにかというと、“reporters without borders(リポーターズ・ウィズアウト・ボーダーズ=国境なき記者たち)”という組織があって、そこに書いてあるFondation de Franceというのはフランス財団というようなことでしょうけれども、そこが年に1回賞を出すことになっています。2002年の受賞者は誰かと言うと、そこに書いてあるようにロシアのグリゴリー・パスコ(Grigory Pasco)という人でした。ところがこの人は刑務所に入っているんです。パスコという人は何をしたかということは下に書いてありますので、あとで読んでおいてください。

でも簡単に説明すると、彼は泥棒したわけでもないし、人を傷つけたわけでもなくて、記事を書いたんだね。ウラジオストックというところをご存知だと思いますが、山ほど原子力潜水艦がありますね。しかもロシアはもう財政的に破綻していますから、それらをメンテナンスできない。それで核燃料を積んだまま、どんどんどんどん錆びて朽ち果てていくとか、その他いろいろな理由があって海水中に放射性物質がどんどん漏れていっちゃうんですね。それを彼は取材をして、報道しようとした。それから日本のNHKにも彼の取材を伝えてしまった。それで捕まっちゃったんだね。ジャーナリストを黙らせる一番適確な方法は、とにかくジャーナリストを刑務所に入れちゃう。これも権力がないとできないですね。こういうわけです。

パスコ以外にこの賞にノミネートされた人が4人います。ひとりの人は中国のガオ・キンロン(Gao Qinrong)という人です。この人が何をしたかというと、灌漑ってわかるよね。畑に水を供給するための開発計画があったんですが、6万のタンクをわずか6ヶ月でつくった。これが中国式でしょうけれども、なんて言うんだろう、昔だったら「労働者の勝利」になるんですが、この場合は自然に勝利したわけですね。ところが、そこに水を供給する方法がまったくない。さらにそこから畑に水を送るためのパイプも一切設置されていない。このガオさんはそのことを記事に書いちゃったんだね。それでおまえは刑務所行きだということになってしまった。

それからその次の人はキューバの人ですね。ベルナルド・アレヴァロ・パドロン(Bernardo Arévalo Padrón)と読むんでしょうか。この人はやっぱり大変やばいことをしましたね。カストロというおじいさんがいるでしょう。カストロと副大統領のカルロス・ラーゲという人をパドロンさんは批判したんだね。それでこの人も刑務所に入れられちゃった。

その次の人はハイチの人だね。ミッシェル・モンタ(Michelè Montas)という人です。この人はご主人を殺されちゃっているんですね。この人が扱った事件はどういうものかもここに書いてあります。あとでゆっくり辞書を引き引きじっくり読んでおいてください。

★資料として配った[reporters without borders]のページのアドレス

4−4.どこにも禁止的な権力は働いていないように見えるのだけれども、という場合

問題にもどりましょう。ジャーナリズムが働かない場合というのは、要するに全部こういう場合です。ジャーナリストが刑務所に入れられたり、殺されたりする。これがひとつめです。それからジャーナリストが世界を体験できないように何かジャーナリストと世界の間に敷居ができてしまう。これが二つ目です。僕らの状況はかなりそれに近いんじゃないかという感じがします。それから三つ目は「ジャーナリスト」と「みんな」の間のメディアのところで禁止をしちゃうということだね。

しかし、こういうふうに考えるとなるほどなと思うし、「リポーターズ・ウィズアウト・ボーダーズ」がみなさんに伝えているようなことを見るとやっぱりそうかなとも思うんですが、でもわれわれのいま体験している世界にはなんだか遠いかんじがするんだよね。しない人がいるかもしれませんが(笑い)。これはどういうことだろうか。

日本ではいま刑務所に入っているジャーナリストっているだろうか。僕は陰謀史観だから、それで考えるときっといるに違いないと思いたいんです。だけどいないんじゃないんですか。刑務所に入れる必要ないんだよ。なぜか。メディアがなんかしているのかな。メディアのせいかな。自信ありげに違うという顔を寺町くんがしていますが、じゃあ、なんでだろう。それとも権力が悪いことをしていなくて、すべてがうまくいっているからかな。ジャーナリストが必死になって伝えなきゃいけないようなことはないからなのかな。

これは大変な課題だと思います。環境ジャーナリズムなんていう言い方ができるような地域は実はやたらとない。そういう地域はいわゆる先進国だよ。例えばみなさんがアメリカに行って、「私は環境ジャーナリズムの勉強しました」とか言っても、誰も驚かない。向こうも「そうか、おれたちもやっている」とか言うと思うんだよね。そういう世界です。だけどもし中国へ行って同じことを言っても、ある人たちにはそうかなと思ってもらえるかもしれないけれども、でも中国はジャーナリストが刑務所に入っているみたいですから、日本やアメリカとはちょっと違うよね。

そうすると、意味のある環境ジャーナリズムをしたらおもしろいかなと、みなさんが思ったりするのは、日本にいるからなんですよ。だけど、そういうふうに環境ジャーナリズムがありうるし、きっといろいろできそうだなと思う自分たちがいまここにいて、それを権力は屁とも思わない。権力はそういうジャーナリストがいてもかまわないし、どうぞおやりくださいというふうに言っているかのように思うのです。

これは僕が妄想をして、幻聴でそういうふうに聞こえる──実際は権力は何も言っていないんだけどね(笑い)──ということなんだろうか。それともいまのわれわれが生きているこの社会は、ジャーナリストがどんなにいろんな取材をしたり、メディアを通じていろんなことを言っても炭酸ガス排気量は減らないというふうに、「みんな」に大切なことを伝えても、言葉ではそれがいくら大切だと言っても、われわれが生活のなかで本当にそれが大切だと思わないようにできてるのかな。そういう問題なのかな。こういうことを本当は時間をかけて議論しないといけないんでしょう。でもこの授業では十分にできませんでした。みなさんこの大学で勉強する時間はまだ2年くらいあるよね。その間に考えていただきたいと思います。

それにしてもなぜだろう。本当に(ジャーナリストが何を言っても)捕まらないんですよ。かなりえげつないこと言っても捕まらないですよ。僕が今おそらくこうだろうと思っていることだけ言うと、われわれ自身がもう大切なことをうまく体験できなくなっているということではないか。剥き出しの権力がジャーナリストの取材活動やメディアの禁止をしているからじゃない。このことに僕は全然驚かないんですが、みなさんは驚くかもしれません。でもこれをどう考えたらいか。

みなさん、『月刊 Playboy(プレイボーイ)』っていう雑誌を知っているでしょう。女の人の美しい裸の写真がたくさん出ている雑誌です。

ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)というおじいさんがいるんですが知っていますか。ノーム・チョムスキーを知っている人、聞いたことある人、ちょっと手を挙げて。(挙がった手の数がかなり少ないのを見て)あのね、本当にみなさんは遠慮深いのかなんか知らないけど、本当にノーム・チョムスキーって聞いたことない? ちょっともう一回聞きます。ノーム・チョムスキーって聞いたことあるなと思ったら手を挙げてみてよ。(やはり少ない手の数を見て)ありゃー、そうか。それはやっぱり(黒板に描いた「事実−ジャーナリスト−みんな」というモデル図の「ジャーナリスト」と「みんな」のあいだの部分を指しながら)このへんが切断されてるんじゃない(笑い)。

みなさんがここに入学する前のことになりますが、1998年にちょうどこの大学ができてから30周年だということでいろんな人──「過激な」人──をよんだんです。例えば、人を何人も殺したインドの女盗賊と呼ばれた人がいるんですがなんていう名前だか知ってる?

竹内:プーラン・デヴィですか。

中尾:そう。プーラン・デヴィ(Phoolan Devi)っていう人です。プーラン・デヴィという名前を聞いたことがある人、手を挙げてごらん。(またもや手の挙がった数が少ないのを見て)やっぱりあんまりいないね。彼女は精華大学に来て講演をしました。それから、ちょうどそのころ東チモールが問題になっていたんですよ。東チモールの独立運動でノーベル賞を獲った人を誰だか知ってますか。忘れちゃったよね。ジョゼ・ラモス・ホルタ(Jose Ramos-Horta)という人です。

それからもうひとりは、いまミャンマーと呼ばれているところの人です。昔はビルマという名前だった国を知ってる? アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)という人を知っていますか。彼女は精華大学には来れなかったんです。軟禁状態だったからね。それからもうひとり来た人がいます。チベットの偉い人です。知ってる人いる?

学生:ダライ・ラマ

中尾:そう。ダライ・ラマ(Dalai Lama)っていう名前を聞いたことがある人、手を挙げて。(ほとんどの学生の手が挙がったのを見て)なんでみんなダライ・ラマは知っているんだ(笑い)。それがまたよくわかんないんですけど。(注)

この人たちはみんな「過激」ですよ。「過激」というのはどういう意味かと言ったら、もしダライ・ラマがチベットにいたら、この人はもう生きていないでしょうね。だから彼はいま亡命状態です。それからアウンサンスーチーは刑務所には入っていないけれども、要するに自宅から外へ出られない状況にあるわけです。(黒板に描いた「事実−ジャーナリスト−みんな」というモデル図の「ジャーナリスト」のところを指して)ここに力が働いているんですね。プーラン・デヴィなんて、刑務所に入って、出てきて、議員になってまた裁判にかけられた。裁判にかかっている最中だったので、精華大学によぶのは非常に難しかったんです。

そして、精華大学によんだもうひとりが、さっき言ったノーム・チョムスキーという人です。この人は刑務所に入ってないです。彼は大学(マサチューセッツ工科大学)の先生なんです。だけど「過激」だよ。一昨年(2001年)の9月11日(の出来事)が起こったでしょう。そうすると彼はすぐに、アメリカには報復をする権利はない、アメリカの方がもっとたくさん殺しているということを言ってしまったんだよね。

寺町:あの、『月刊 Playboy』はどこにいったんですか。

中尾:ああ、『月刊 Playboy』の話が消えちゃったね。「月刊 Playboy」みたいな、あんな劣情を刺激するためだけみたいな雑誌でね(笑い)、チョムスキーがインタビューを受けているわけ(「月刊 Playboy」2002年6月号)。そういう話をしようと思ったんだよ。

僕が言いたいことにいまようやく戻ってきましたが、(チョムスキーが言ったようなことを)言えるんですよ。アメリカでも日本でも、「ブッシュこそ殺すべきである」と言ったって捕まらないですよ。すごいね。どうしてだろう。こういう言論の自由はある。にもかかわらず、その言論がたいして意味をなさないような社会があるように思える。これが本当だとちょっと困るんですが、でもそういうふうに見えるんだよね。ジャーナリズムの前になんでもくっつけて、反政府ジャーナリズムとか環境ジャーナリズムとか言うことができる。でも何かをつけたところで、それがあまり意味を持たない。実質的には働かないに等しいという状況だったら、これはどう考えたらいいのか。

いろいろなことを言いましたが、いまこの社会はこの4番目の状況ではないだろうか。この問題は簡単ではないですね。この問題は簡単ではないんですが、そのことをまるで自分ひとりの責任であるかのように感じて、どうしたらみんなに伝えることができるかとか、どうしたらみんなに行動を起こさせることができるかということで悩んじゃう人がいる。

悩むのは非常にまっとうだと僕は思いますが、でもよく考えてみたらわかると思います。非常に強い権力があって、ジャーナリストを逮捕したりメディアを禁止したりするというふうに働いて、ほとんどジャーナリストそのものを縛ってしまうという世界があるのに、日本やアメリカはどうもそうではない。しかしそのなかにいて、いやこれは大切だということを感じちゃうような、ある種純粋な人たちがいるんだよね。この人たちを止めることはできないんです。止めなくてもこの人たちは一生懸命いろんなところへ行くわけですよ。そして取材したりいろんなことしたりする。しかしそんなことをしても何にも意味がないかのような感じになってしまっている。これがたぶん環境ジャーナリズムということが一生懸命考えないといけない問題なんだよね。でも残念ながら1年間ではなかなかそこまで進めない。じゃあ、3年か4年かけたらできるかと言われたら、それもちょっとあんまり自信はありませんが、しかしそこに問題があるということは非常にはっきりわかってきたと思います。

これで今年の環境ジャーナリズムの授業はおしまいです。

(注)ダライ・ラマ14世には、京都精華大学30周年にメッセージをいただいてから3年後の2000年4月、京都精華大学 新学科開設記念講演のために京都精華大学にお招きし、講演をしていただきました。

授業日: 2003年01月07日; 編集:中尾ハジメ、川畑望美
テープ起こしをした有志: 川畑望美