授業計画の変更
授業の計画がありましたが、だいぶ遅れています。今日は(2002年)11月12日ですが、11月の授業は今日とあと19日と26日の3回あるね。12月は3日、10日、17日の3回、1月は14日で終わりですね。本来ならば、あと柳田國男とかマルクス(Karl Marx、1818-1883)、レヴキン(Andrew Revkin)という人の『熱帯雨林の死』、それからヴァンダナ・シヴァ(Vandana Shiva)の『緑の革命とその暴力』、メドウズ(Donella H. Meadows)その他の人たちが書いた『成長の限界』というものをやって、さらにスーザン・ジョージ(Susan George)の『なぜ世界の半分が飢えるのか』などをやることになっていましたが、こなすことは到底不可能です。
それで予定を変更することにします。今週と来週でポール・ハリソン(Paul Harrison)の『破滅か第三革命か—環境・人口・世界の将来』(Paul Harrison, The Third Revolution: population, environment and a sustainable world, Penguin Books, 1992/濱田 徹訳、三一書房、1994年)をやります。ポール・ハリソン『破滅か第三革命か』をとりあげることは、それだけで完結しません。いままでにやってきた石牟礼道子の『苦海浄土』とか宇井純の『公害原論』、それから石弘之の『地球環境報告』のようなものと比べながら考えるからね。ポール・ハリソンのものだけを読んでわかるような世界ではありません。とにかく、今週と来週はポール・ハリソンの『破滅か第三革命か』を取りあげます。
それから11月の最終授業の26日は柳田國男『火の昔』(今回使用したのは『柳田國男全集 第14巻』所収、筑摩書房、1998年)とマルクスが『ライン新聞』(第298号、1842年10月25日)に書いた論説「材木窃盗取締法にかんする討論」(『マルクス=エンゲルス全集1』所収、大月書店、1959年)を取りあげます。
それから12月の3日と10日の2回にわたって、スーザン・ジョージの『なぜ世界の半分が飢えるのか—食糧危機の構造』(小南 祐一郎ほか訳、朝日選書257、1984年)をやります。
そこまでうまくいくと思っていますが、そのあと今年最後の12月17日の授業は、計画では「ナチュラリストの伝統」となっていますが、それができるかな。わからないな(笑い)。できるように期待しています。来年(2003年)になると1回しかありませんので、これは反省会をします。それでこの授業が終わりになります。
まだ後期はレポートを一回しか出してもらっていませんが、今日か来週にもう一回課題を出すつもりですので、みなさん提出してください。予定についてはこんなところでいいですか。何か質問があれば聞いてください。
今日の本題──ポール・ハリソン『破滅か第三革命か』の構成
それでは今日取りあげることになっていたポール・ハリソンに入りましょう。ついでに石弘之の『地球環境報告』を持ってきている人は、それも出してください。
目次をちょっと見てください。今回取りあげるのは、
- 「森のなかでのプロローグ──マレーシア・ムゾー」
- 「第1章 部分的真理──大論争」
- 「第2章 ある状況の過度な成長──30億年にわたる環境危機」
- 「第5章 動物の保護──マダガスカル島ラノマファナの森」
- 「第10章 土の精──ブルキナファソ・カルサカ」
- 「第11章 金の採集──コートジボアール・アビジャン」
- 「第16章 悲しみだけが人生のスパイスではない──バングラデシュ・ハチア島」
- 「第20章 いま対処しなければ危機は現実になる—第三革命」
- 「付録2 人口と経済開発」
- 「実践要項」
です。分量的には本全体の3分の1強くらいかな。
第1章、2章は理屈がいろいろ書いてあります。5章、10章、11章、16章はいずれもいわゆる現場──ちょうど石弘之さんが考えているような地球環境破壊の現場──に、実際にポール・ハリソンが行って見聞きしたことを、漫然とではなく、彼のとらえ方の枠組みにしたがって書いています。現場の事例を描いた部分です。読んでおわかりのとおり、この5章、10章、11章、16章は大変ヘビーです。救いがない。そういうところをわざわざ選んで取りあげることにしたんですが(笑い)。
今回は全部取りあげませんが、実は第17章からは彼が考えたことをまとめて述べている。17、18、19、20章というのは、ポール・ハリソンが主張したいことが書かれている章です。このような構成になっているということは大変意味がありますので、覚えておいてください。
少しおさらい──石弘之ってどんな人?
中尾:さあ、それでははじめます。雨宮くんいますか?
雨宮:はい。
中尾:石弘之ってどういう人だろう?
雨宮:日本を離れて現場から意見を書いた人です。
中尾:飯塚さん、石弘之ってどんな人か、雨宮くんが言った以外に何かない?
飯塚:環境ジャーナリストです。
中尾:それでは、市川由佳さんいるかい? 石弘之ってどういう人だ?
市川:森のことを考えている人
中尾:森のことを考えている人かい? みんなこういうのは全部メモしておくといいよ。
中尾:それでは、今井花野さん、石弘之って雨宮くんが言った以外にどういう人だか言ってみて。もっとさ、世俗的なこと言ったらいいんだよ(笑い)。いくつくらいの人?
今井:60歳くらい。
中尾:それから?
今井:肩書きみたいなのがたくさんある人
中尾:どんな肩書きがあるの? 俺だって肩書きくらいあるよ(笑い)
今井:教授とか。
中尾:俺だって教授だよ(笑い)
今井:議長
中尾:なんの議長だよ?
今井:「持続可能な開発のための日本評議会」の議長です。
中尾:「持続可能な開発のための日本評議会」ってなんだ? それはいつのことだろう?
今井:99年のことです。
中尾:それから他になんだって?
今井:JICA参与、朝日新聞の編集員、国連環境計画(UNEP)上級顧問などです。
中尾:それっていつのこと? ああ、もうだいぶ時間経っちゃったな。みんなしっかりしてくれよ。大学生なんだから。それから石さんは国連のある機関から賞をもらっていますね。2つあるね。ひとつはボーマ賞。もうひとつは何ていう賞?
今井:国連グローバル500賞です。
中尾:それいつもらったの?
今井:1989年です。
中尾:内田くんいるかい? グローバル500賞ってどんな賞だろう? 想像してみて。
内田:地球環境について研究しているともらえるものかな。
中尾:きっとそういうもんだね。つまり石弘之は国連のような国際的な組織からも評価されていると考えていいんだね。1989年というのは、『地球環境報告』を彼が書いた次の年だね。だから、その賞はこの『地球環境報告』でもらったと思っていいね。
それで、『地球環境報告』を持っている人はもう一度目次を見てごらん。前回も少し言いましたが、石弘之のとらえ方がいかなるものかというのは、だいたいここを見るとわかると思います。
「第三の革命」が意味するもの
さあ、今日みなさんが読んできたポール・ハリソンの『破滅か第三革命か』の目次のところをちょっと見てください。それから石弘之のものを持っている人は、並べて、眺めて、考えて、何か気がついたらノートにメモをしよう。では先へ進みましょう。
表題にもなっていますから、ポール・ハリソンが言う「第三の革命」とは何かということをとらえなければならない。でも「第三の革命」ということは、当然「第一の革命」「第二の革命」があるってことだよね。ポール・ハリソンはそれをどういうふうに書いているかということをみなさんは読んできていると思います。こうじゃないかなと何か気づいた人いる? 小南さん、何か気づいた?
小南:社会経済システムの変革です。
中尾:それは何なの?
小南:それが第三の革命です。
中尾:じゃあ、第一の革命、第二の革命は何なの?
小南:農業が第一の革命
中尾:第二は?
小南:産業です。
中尾:「社会経済システム」っていう言い方はちょっとよろしくないね。なんでよくないかって言うと、「社会経済システム」というのは、第一の革命のときも第二の革命のときもあったんだよね。例えば小南さんがいま言った第二革命のときできてきた「社会経済システム」のことを、「産業社会経済システム」って言うんだよね。第一のときは、「農業的社会経済システム」があったよね。しかも、世界全体が一挙にどこでも共通になっていくわけではなくて、ズレがあるでしょう。第三の変革はまだ起きていない。だけどどういう変革をしようとしているのかということを考えなければならない。これはうまい言葉がない。ないけれどもあるんです(笑い)。ないけれどもあるってことが、たぶんポール・ハリソンの本には書いてあったんだよね。
「持続可能な開発」という言葉が意味するもの
これは本当に困ったことだけれども、石弘之は彼の本のなかで「持続可能な開発」という言葉を使っていたでしょうか。それをいま確かめなくてもいいですが、なぜ中尾はこんな変なことをたずねるのかなということを考えながら聞いていてください。
石弘之さんは、彼の本のなかで「持続可能な開発」という言葉を使っていないんですよ。にもかかわらず、彼は「持続可能な開発のための日本評議会」で議長をした。どういうことだろう。みなさん、よく考えてください。
みなさんは「持続可能な開発」というのが大変なスローガンであると知っていますよね。よーく読むとわかるけれども、ポール・ハリソンは第三の革命というのは、「持続可能な開発」ととらえているはずです。なんでだろう。
ポール・ハリソンは「持続可能な開発」という言葉を使っています。石弘之は議長をしているけれども、遠慮があるのか、あんまりうっかりしたことを言ってはいけないと思っているのか、そういう言葉は使っていません。しかし、ポール・ハリソンは露骨に使っています。「露骨」っていうのは、悪いとはかぎりませんよ。ポール・ハリソンは「持続可能な開発」ということで何を意味しているのでしょう。
石弘之がみなさんにこんな現場があるよ、あんな現場があるよって見せたのは、繰り返して言うようですが、いわゆる「発展途上地域」です。「発展途上」というのが何を意味するか。分解してみると、ひとつは人口が増える。もうひとつは、人口を養うための経済の発展がある。どちらが先かということをポール・ハリソンは言っていますが、これはどちらが先かわかりませんよ。「先進地域」あるいは「先進国」という言い方がよくされていますが、「先進国」は経済の発展をやめているわけではないけれども、「発展途上国」に比べるとずっと高い水準になっているので、その「先進国」の水準に「発展途上国」は追いつこうとしているという図式があるんですね。
こんなあたりまえのことを言わなくちゃいけない理由は何か。この「発展途上地域」ではあからさまな環境破壊が起こっている。例えば、土壌の劣化であるとか。目次をみるとわかるように、ことごとく悪いことがおこるわけですね。それはもともとその地域が脆弱であったからであるかのような書き方を、石弘之さんはしています。あるいは、その地域がというよりは、そこで、人口の圧力とか工業化の圧力(汚染や資源の搾取)に敏感に反応する生態系というのを見ることができる、と。
考えてみたら、生態系というのは発展途上地域だけにあるわけではなくて、どこにでもあるよね。もう少しこれをまとめて言えば、生態系をとらえるとき、その大きさはいろいろあります。ある人たちは「バイオリージョナリズム(bioregionalism)」とか言って、非常に限られた水系みたいなものの範囲でみる。あるいはもっともっと小さい範囲でみようと思ったら、どっかの家にある水槽でボウフラも発生すれば金魚も子どもを産むっていうようなものもある。だから生態系っていうのは、本当に小さな単位でとらえることもできれば、片一方では地球をひとつの全体をとらえて生態系だというふうにも言うことができる。
しかし石弘之さんが説明しようとしているのは、発展途上地域のなかでとらえることができる生態系についてというのが一番多いんだね。それ以外にも、例えば水位の上昇みたいなことを言っている部分もあって、これはいわゆるグローバルなとらえ方ですね。
問題に戻りますが、石弘之さんが言っている環境破壊の現場というのは、繰り返しますが「発展途上地域」です。例えば、それがどうして起こるかというようなことを多少は問いかけています。みなさんがしなければいけないことは、地域を挙げて、ある地域ではこういうメカニズムで環境破壊が起こっているという、石さんの本のまとめをつくることです。
次に、ある意味で言うと、ポール・ハリソンも石弘之と同じようにそれぞれの地域──今回取りあげるなかでは、マダガスカル、ブルキナファソ、コードジボアール、バングラデシュの4つ──の状況を描いています。言ってみたら、石弘之と同じようにそれぞれの状況の背後にあるものは何かということも描いています。これもみなさんはまとめをつくらないといけません。4つの地域で、環境破壊──あるいは環境破壊ではなくて人間破壊なのかもしれませんが──どういう筋道でとらえられているのかを、みなさんは要約しないといけません。いいかい?
もしこの作業をみなさんがすれば、ポール・ハリソンが言う「持続可能な開発」というのは何を意味するんだろうということが見えてくるはずです。「持続可能な開発」という言葉はポール・ハリソンだけが言ったわけではなくて、たくさんの人が使っています。みなさんも平気で使っているよね。京都精華大学は入学試験でも「持続可能な開発」とか「持続可能な社会」なんて受験生に無理やり書かせているから(笑い)、みなさんはよくこの言葉をよく使っている人たちに入ると思いますが、この言葉がいったい何を意味しているのかという問題がありますね。
ポール・ハリソンがこの言葉を使って意味していることは、わかりやすいと言えばわかりやすいかもしれないし、わかりにくいと言えばわかりにくかもしれません。それを少し今日は考えておきたいと思います。
ポール・ハリソンに言われなくても、われわれはわかりますよね。小南さん、「社会経済システムの変革」ってもうちょっと具体的にはどういうことを意味しているの?
小南:大規模農業をしないということ。近くから食べ物をとってくること。
中尾:そうか。これはみんな書きとめておくといいかもしれないね。
ちょっと小南さんの路線からはずれて、もう一度「持続可能な開発」というテーマに戻りたいと思います。
「発展途上国」という言い方をどのように評価するか
変な質問ですが、「発展途上国」という言い方をみなさんはどういうふうに評価していますか。昔は「低開発国」って言っていたんです。1949年のトルーマンの演説では何という言い方がされていたでしょう。そこでは「低開発国」とは言われなかった。しかしトルーマンの演説のなかに、「開発(development)」という言葉はでてきます。
現在われわれは「低開発」という言葉も「後進国」という言葉も使うと問題があるということで、「発展途上」という言い方をします。「発展途上」という言い方は現在進行形です。つまり「発展しつつある(developing)」ということです。「低開発」というのは、英語では “underdeveloped” です。これは具合悪いよね。それで「発展しつつある」という言い方に変えて、しかもこれがいまや画一的に使われているという状況があります。「発展」という考え方そのものについていろいろ批判をしたい気持ちが僕にはありますが、いまはそういう批判をせずに、「発展しつつある国」というとらえ方を理解することに努めるということにします。
それでは「先進国」というのは、英語では何て言うんだろう。「先進国」というのは “developed countries” と言います。 “developed” つまり「発展した」「発展しちゃった」(笑い)というふうになります。
「発展途上国(developing countries)」「先進国(developed countries)」という言葉でわれわれがとらえている世界──「社会経済システムの変革」の中身
こういう言葉づかいから僕らがとらえている世界はどういうものかと言うと、日本やアメリカや西ヨーロッパのように、これぐらいでよかろうという生活水準になっている地域と、もっともっと便利にしなきゃいけないとか、乳幼児の死亡率を下げないといけないとか、あるいは人間が長生きできるようにしないといけない、学生は勉強しないでボーっとしているようにならなきゃいけない(笑い)……というふうにならなければいけないと考えている「発展途上国(developing countries)」があるという世界像です。
「発展途上国」と「先進国」を足して割れば、あたりまえだけど、平均は“developing”になりますね。仮に世界の半分が発展しつつあって、残りの半分がもうこれくらいでいいよと言っている。足して2で割ると、やっぱり世界全体は“developing”だよね。わかった? それが「開発(development)」なんですよ。
どうしてこんなことを言わなければいけないのか。それは石弘之さんとかポール・ハリソンという人が、それぞれの現場に行ってみると、「これじゃ持続するわけないよ」とか「絶対持続しないよ」とか「みんな死んじゃうよ」というものが見えるんだよね。例えば、作物ができないとか、土地が水浸しになっちゃうとか。そうなると持続不可能ですから、それを持続可能にしないといけない。しかし、足して割ったらやっぱり“developing”にならないと成り立たない。そうしたら「持続可能な開発」と言わなければいけなくなるんだね。これが「持続可能な開発」という言葉の意味です。わかったかな? 「持続可能な開発」という言葉が意味するのはそういう世界であって、他のことは意味しません。ポール・ハリソンはそう考えている。困ったね。
ポール・ハリソンはこう考えていて、石弘之さんはどうもその考えに近いらしい。「社会経済システムの変革」という言葉を小南さんが言いましたが、「社会経済システムの変革」の中身はこれなんだね。現在の「社会経済システム」は、開発はするけれども持続不可能だから、持続可能なものに変えなければいけないということを言っているんです。この中身が何なのかということをまじめに考えている人は、実はごく少数しかしない。日本ではごく少数だということが、われわれにはよくわかるという状況だね。
ポール・ハリソンが描いている現状
「社会経済システムの変革」とは具体的にはどういうことなのか。ポール・ハリソンはどこまでそのことを提案できるだろうかという問題があります。しかしそこにたどりつく前に、ポール・ハリソンが描いている現状──この授業でとりあげる4ヵ所の地域では、どういう筋道、理由、原因が働いて、ある種の非常に惨めな、あるいは将来の可能性が全く見えないような、言い方を変えれば「持続不可能な」社会状況があるかということ──を、みなさんがとらえる必要があります。
第2回目のレポートの課題は、いま言ったことです。まず、4つの地域でポール・ハリソンがとらえた問題を要約すること。つまり、ひとことで言えば問題は何かを書くこと。つぎに、そういうふうになってしまう過程、筋道をポール・ハリソンがどのように描写しているかを要約して書き出すこと。下手をすると、地球レベルでの環境破壊を起こしているのは、先進国ではなくて、先進国にいるわれわれではなくて、発展途上国にいる「知識のない」人たちが率先して環境破壊を起こしているととらえられてしまうかもしれません。でも注意をして読めば、ポール・ハリソンはそういうふうには言っていないとわかる。
わかりにくい言い方になるかもしれませんが、先進国にいるわれわれが、地球環境問題ということを言うときに、個別的にいろいろなことを言います。ひとつは「温暖化」という言い方をします。それからもう一方で「環境汚染」という言い方をします。ある人は「人口問題」という言い方をするかもしれない。それからまた別のところでは、「生物多様性を守らなければならない」というような言い方をします。つまり環境問題という言い方をするときに、全体として環境問題というのがあるけれども、それを具体的に言おうと思ったら側面を挙げていくしか方法がないので、「多様性の問題」とか「汚染問題」とか「温暖化問題」とかいう言い方をしてしまうわけですね。
そういうふうに問題の側面をとらえて、その個別的な側面だけに焦点をあてると何が起こるかと言うと、さっき言ったように、ある地域に住んでいる人たちが責任を負うべきであるというようにみえてくることがよくあります。なかにはそんなことはなくて、どこの地域にいようとも「持続可能な開発」という図式のなかで、開発をやっぱりしなきゃいけないんだということになる。そうなれば、どこの地域でも開発するわけですから、その開発が意味することが工業化、産業化であれば、そこで使う化石燃料から炭酸ガスが出るという問題になって、別にどの地域が特別に責任があるというわけではなく──量の問題としては、この地域をとくに注意しないといけないということはあるかもしれないけれど──全人類的問題であるととらえることはできるかもしれない。
しかし、例えば森林伐採の問題をとりあげてみればわかるように、これは大変難しいです。どういうことかと言うと、東南アジアの森林伐採のこの40年間、50年間に伐採された木材は多くは日本に輸入されてきたんだね。それは、われわれには、目のあたりにすることはできない。例えば、森林伐採の問題に焦点を合わせてインドネシアの状況をみると、日本に向かって輸出されているものもあるけれども、それよりも地元の人たちが伐ったり焼いたりしている方がはるかに多いということがみえるかもしれない。そうすると、仮に森林伐採というものが環境問題のひとつの側面であるととらえた人は、インドネシアのある現場に行ってある状況をみると、地球環境破壊をしているのはインドネシアの現地に住んでいる人だということがみえてくる。下手をすると、責任があるのは発展途上の地域に住んでいる人たちであると結論づけてしまうかもしれない。こういうことがあるということです。
レポート課題に戻って言うと、みなさんがここで4つの地域それぞれについて、ある筋書きをまとめていくわけですが、どういうふうにしてそこでは環境破壊あるいは人間社会の持続可能性がとらえられているか。なんで持続不可能であるかということがみなさんは書けるわけですが、そこからさらに先へ進まなければならない。どこへ進むかというと、その現場でとらえられた持続不可能性を解決するという考え方の枠組みをどこに求めるか。
もう一度言うね。みなさんのなかでもうこの4つの地域のことが書かれた部分を読んだ人は、なんでこんな暗い話を読まなきゃいけないんだと思っていると思います。それくらい救いのないことがずっと書いてありました。実は、「第20章 いま対処しなければ危機は現実になる—第三革命」、「付録2 人口と経済開発」、「実践要項」の部分には、それをどうやって修正することができるだろうかということが書かれています。
みなさんにとって大変難しいことはなにかと言うと、地域に焦点をあてたときに見えてくることと、人類全体の問題──地球規模での環境問題──ということになると、あいだをつなぐ理屈、あるいは関係を、もしとらえることができなければ、結局それぞれ別々の部分がそれぞれの理由で悲惨な目にあって滅びていくしかないということになってしまうわけです。ポール・ハリソンは比較的それを一生懸命考えて書いている。
石弘之さんがこういうことを考えていないとは言いません。でもそこのツメが甘い。甘いって言ったら石さんに失礼だけれども、彼はそういうところになるといささか楽観主義になってしまう。あるいは、人間はもともとよい性格を持っているはずだから、なんとかして打開するであろうという言い方になっている。もちろん打開すべき状況については大変な状況であると、石さんの文章からもうかがえるわけですが、ポール・ハリソンのように具体的にこういう方向に進むべきだということは、石弘之さんはそれほど強くは言っていません。
しかしポール・ハリソンを読んだみなさんは、逆に、こんなことで世の中変わるのかいなと思うかもしれない。だけども、環境問題の個別的側面にとらわれて、そこのなかでこうすればいい、ああすればいいと言うだけではなくて、環境問題をできるだけ包括的にとらえて議論をしようとしているところには、ちょっと注目をしたほうがいいという感じがします。
「持続可能な開発」という考え方のものずごく鮮明なイメージをポール・ハリソンは持っています。どうして個別的な地域の状況を描くことと、全人類的な「持続可能な開発」というアイディアが結びつくのか。みなさんがレポートを書いて、それを発見してもらえたらすごいと思います。それが僕が今回のレポートに期待していることです。
4つの地域についていささか絶望的な状況が進行しているということを、ポール・ハリソンは描いています。なぜそういう進行のしかたをするのかということも描かれています。ただひどい、ひどいと言っているだけではなくて、こんなふうなしかけがあってこういうことが起こっているということが書かれています。みなさんは、まずそれをまとめないといけない。どのくらいの長さに要約したらいいか。ひとつの地域の要約を、ワープロでA4の半分か1枚くらいに書く。4つ地域があるから要約だけで、2〜4枚になります。しかしそこで描かれていることと、ポール・ハリソンが唱えている「第三の革命」はどういう関係でそれらが結びつくことができるのか。あるいは、彼が考えている「持続可能な開発」というのは「第三の革命」なんだけれども、どうしてそれがその地域のこの問題を解決できるんだろうかというつながり具合をみなさんが読みとらなければならない。
繰り返しになりますが、もう一度言いますよ。石弘之さんもポール・ハリソンもほとんど似たようなとらえかたをしています。だからポール・ハリソンについてのレポートを書くのに、石弘之の本を読むと役に立つかもしれない。
石弘之はそれほど明確には言っていませんが、ポール・ハリソンは非常にはっきりと、要するに“developing country”と“developed country”があるよと言っている。そして、これから世界がさらに経済発展をするということであれば、これはもう環境の容量を超えている。したがって持続しない。その非常にヴィヴィットな、非常に劇的な現場を、みなさんは第三世界に行けばみることができる。それをみて、まだ人類全体は経済水準をあげようということを考えるべきなのか。考えられるわけがない。にもかかわらず、世界の人間が生きている状況をみれば、“developing country”というのがある。人口は増えている。とくにそういう地域で増えていて、とくにそういう地域で工業はますます進もうとしている。“developing country”と“developed country”を足したら、やっぱりどうしても“developing”になるだろう。それはしょうがないんだよ。だけど、「持続可能」にしなければいけないという論理です。
これは本当は生易しい課題じゃない。そして、そんな生易しくない課題を、ポール・ハリソンはあえて書いた。敵をいっぱいつくりながら書いたと思います。その敵のなかのちっぽけな一部は中尾ハジメです。中尾ハジメはもっと乱暴ですよね。「持続可能な開発」なんてあるわけがない、という乱暴な言い方をしてしまう。でもポール・ハリソンはそんなことは言わない。言わないというより、彼は言えない。人類の状況をみて、そんなことが言えるかと、彼は言う。だから、少し形容矛盾かもしれないけれども、彼は「持続可能な開発」しかないというふうに言う。そういうふうに彼が言っていると、それは自分たちの会社にとって都合がいいと思う人たちが彼を支援するかもしれない。都合の悪い人ももちろんいると思いますよ。ポール・ハリソンは困ったやつだと思う人たちもいるかもしれない。だけど、そのことに彼は覚悟して踏み込んで「第三革命」と言ったんだね。
別な言い方をすると、「持続可能な開発」ということを言っている人たちのなかにはいろんな人たちがいます。ポール・ハリソンほどには発展途上地域の状況をみようともしない人たちもいる。とにかく「持続可能な開発」と言えば儲かるから言っているという人たちも山ほどいる。儲かるって別に物をつくっている人たちだけじゃなくて、大学の先生のなかにもその手の人は山ほどいますから気をつけてくださいよ。「持続可能な開発」と言えばかっこいいもんね。しかしポール・ハリソンは、もう少し踏み込んでいます。
このようなことがありますから、みなさんは丁寧に読んでまず要約をしてください。どうしてその地域は持続不可能になのか。それからポール・ハリソンが唱えている「持続可能な開発」ということとそれはどう結びつくのか。それとも結びつきはないのか。レポートの課題は以上です。
ポール・ハリソンが紹介する「第一の革命」「第二の革命」の起こったわけ
それで、さっき言っていた「第一の革命」「第二の革命」があって「第三の革命」があるという話に戻ります。「第一の革命」「第二の革命」について、どうして農業がおこったか、どうして産業革命がおこったか。ポール・ハリソンの見解かどうかはっきりしませんが、彼が支持している見解が本のなかで紹介されています。
「第一の革命」がおこったのは、頭のいい人がこうやったら穀物がたくさん獲れるからいいと気がついたのではなくて、その前の状況がもう持続不可能だった。つまり狩猟採集生活という社会経済システムがもう持続不可能だった。それを続けていたら人間は滅びてしまうということだった。なぜなら、まだ余裕があるのに、勤勉に畑を耕したりするはずがない。もちろん地域によっていろいろです。だけど、森を伐り倒してでも、重労働をしてでも畑を確保しなかったら、人類はもう存続できないという状況があったからだという。農業が進んだ地域は、それ以前の社会のつくりかた、生活、文化ではやっていけないから、それで必死になって農業を発明したんだよということのようです。
産業革命、つまり「第二の革命」については、ワット(James Watt, 1736-1819)っていう人が蒸気でいろんなものを動かす方法を発明して、そのおかげでどんどん産業が発展したんだという考え方があるけれども、そうではなくて農業でやっていたら、人間はもう持続できなかった。だから産業を進めるとかもっと勉強しなきゃいけないとかいう道を選んだんだというのが、ポール・ハリソンが支持する考え方のようです。
いまやその次の状況になっている。農業や産業をいままでのようなやり方でやっていたら、人類はもう持続できない。地球環境のキャパシティがもう限界にきているように思われる。したがって、農業や産業がそうだったように、人間が生きるための次のシステムをつくらなきゃいけないという問題意識なんですね。これは考えたらしんどいですね。ものすごくしんどい。ポール・ハリソンも否定していませんけれども、たぶんそこへたどりつく道筋は、ひとつの方法だけがあるわけではなくて、「第二の革命」後のやり方をやめて、その前の段階に返るという方法もひとつあるだろうと思われる。だけれども、それは新しい遺伝子工学によるのかとか、そのへんはポール・ハリソンはそんなにはっきりは書いていない。はっきりしないけれども、彼が現場──石弘之的言葉で言えば、「地球環境破壊の現場」──をみていると、もう「持続可能な開発」と唱えないかぎり問題は解決できないというふうに思っているようです。
もうちょっと悲観的な人ならば、「第三の革命」が起こったからってどうにもならないよ、「持続可能な開発」によって社会が持続するなんてことはありえない、もうどんどん開発してみんなで死にましょうという路線しかでてこない。それくらい深刻な問題です。さらに『破滅か第三革命か』を読めば、ポール・ハリソンとしては、そういう、もう第三世界は滅びるしかないという筋書きを考えることも可能だったと思うということがよくわかる。口では言わなくても、実際にはそういうふうに考えている人たちはたくさんいるだろうと思います。
最後にもう一度、2回目レポート課題の確認
2回目のレポート課題は大丈夫かな。枚数はA4で5枚まで。字数でいうと、4000字〜8000字くらいです。それを書くために、みなさんはポール・ハリソンだけではなくて石弘之を動員することができるし、宇井純を動員することもできるし、ものすごい才能のある人なら石牟礼道子を動員することもできるだろうと思います。質問がある人いますか。
学生:いつまでですか。
中尾:ああ、いつまでにしようか。今日が12日だから、26日までの2週間にしましょう。
学生:ええー。
中尾:簡単だよ。こんな楽なことはないよ。テキストあるんだもん。今日の授業で答えを僕しゃべっちゃったもんね。では、これで今日の授業は終わりにします。
- Truman Presidential Museum & Library
- トルーマン大統領の演説などさまざまな資料を読んだり、実際の演説を聞くことができるページ
テープ起こしをした有志: 川畑望美