第5回 ジャーナリズムが産業主義社会そのものと対決しなければならない状況について

まずは、前回の復習から──「沈黙の春」再訪のいろいろ

えーと、前回いろいろ資料を配りましたが、農薬を輸出する側の論理が書いてあるものがあったよね。見といてね、何が書いてあるか、何が読み取れるのか。前回しゃべったことと、どういう関係があったかということを読み取ってください。それから、ロバート・ヴァンデンボッシュの『農薬の陰謀』というのを、これも読んだよね。誰か読んでない? 何が書いてあったの?

長澤智行:昆虫の方が、適応能力が人間より優れているから、農薬を使った場合、死ぬのは人間……。

中尾ハジメ:……と主張してるね。「沈黙の春の再来」というサブタイトルが、日本語版にはついていますね。それからもうひとつ、『サイレント・スプリング再訪』という本の資料を配っておきました。ここからは何が読み取れたか。誰か読んできた人?

寺町歩:農薬のことが色々書かれてある。農薬がどんな性質を持つものか、どんなふうに働くか。第三世界に農薬を輸出するのは為になるんだ! と書いてある。

中尾ハジメ:……為になるかもしれない? 前回の話とは関連づけられますか?

寺町歩:これとですか? 企業名が書いてないのと、薬品名が書いてないです。

中尾ハジメ:……ああ、そうか。でも結局、農薬の生産量とか出回っている量が減らない。どんどん増えている。で、農薬を使う地域が、寺町君が言ったように第三世界に拡がっている。ということが書かれています。それが多分、重要なポイントの一つだと思いますが……。

ついでに混乱させるようなことを言うとね、この文章の中では、寺町君が言ったほど強くは、「農薬を使うことは良いことだ」というニュアンスで書かれているとは僕は思わないんです。だけどもです……これは『サイレント・スプリング再訪』という本の一部。で、他の人たちが書いた部分には、実は「農薬を使うことは有用である」という文脈で書かれているものもあります。そうすると、この『サイレント・スプリング再訪』という本は──最初に出たのは1987年ですが──その時点で、レイチェル・カーソンが書いた『サイレント・スプリング』を一つの謳い文句にして、『サイレント・スプリング再訪』という本を作ったんです。が、これは、主として化学の専門家の人たち、あるいは農薬の専門の人たちが集まって書いたんだよね。それで、前回少しだけ言いましたが、いわゆる産業界のPRってやつですね。『サイレント・スプリング』が1962年に出版されてから、産業側がいろいろキャンペーンを意識的に始めますけれども。実はこの『サイレント・スプリング再訪』という本もキャンペーンの一環かもしれない、という感じがしてもおかしくない。……かもしれない。断定はなかなか難しいんですが……。

パブリック・リレーションズについての注を少し

Pっていうのは、publicだよね。Rはrelations。で、日本でこういう仕事をしている代表的な企業、会社名を挙げると、博報堂。それから電通。で、この二つの大きな会社が日本社会の中で頭角を現してくるんですが、こういうのを大小全部含めて、「広告会社」と呼んでいました。しかし、こういう「広告会社」は、新聞広告やテレビの広告を作ることをしているだけではなくて、いわゆる政策立案みたいなこともやってるね? こういう言葉を知ってるかな? Think Tankだね。1950年代60年代と今では全然社会の様相が変わってます。今やITだからね。そういうことにもいろいろ乗りだしてるし……。例えばどこかの街づくり……こんなことにも、博報堂や電通は関与しています。「広告代理店」という言葉もあります。

「サイレント・スプリング再訪」には、肯定、否定、妥協の各種があること

アメリカの状況は、日本とはちょっと違うという感じもしますが……。例えば『サイレント・スプリング』みたいなのが出てきたら、PRの仕事がそれに対する反対のキャンペーンを張る。反対のキャンペーン(campaign)。さてそのキャンペーンを背景に、正面からの反対かどうかははっきりしませんが、「農薬にはやはり意味がある」という言い方が含まれている本がある。しかもその本のタイトルは『サイレント・スプリング再訪』というものです。そして、その本の著者たちは、どの人もレイチェル・カーソンを褒めたたえています。

その本のなかでは、みなさんが見ているバージル・フリードという人の文章だけが、ほとんど唯一違うように思えます。その違いの一つは、いわゆる事実しか書かれていないということです。その事実の中でみなさんに注目してほしいのは、例えばこういう書き方をしているんだね。「農村においても、また都市部でも、農薬は病害虫を防除する直接的で有効な方法として信頼されている」(202ページ)。「信頼されている」って書いてあることは、筆者のバージル・フリードが信頼しているという意味ではない。「信頼されている」という事実なんだね。むしろ、このフリードの文章から読み取るべきところはどこかというと、農薬の生産はますます拡大している、という事実だよね。

それからもう一回『農薬の陰謀』の方に戻るとですね、これはさっき長澤君が言ったように、農薬を使うと、虫が死ぬんじゃなくて、どうも先に死ぬのは人間様である、ということが書かれている。それを非常に端的に書いてあるのがですね、8ページのプロローグ。これもよく見るとですね、「沈黙の春再訪」って書いてあるでしょ。さっき同じタイトルの本があったよね──『サイレント・スプリング再訪』。ところが、ヴァンデンボッシュが考えるには、さっきの本の様に部分的にでも農薬を支持することにはならない。人間が死んじゃうよ、というふうになっております。で、先週は言いませんでしたが、ヴァンデンボッシュさんはこの本を出して──この本が最初に出たのは1987年ですが──本を出した後、急死します。ジョギングをしている最中に死んでしまうんですね。……陰謀じゃないか、と疑ってしまうんですが……わかりませんけどね。読んでもらったらわかるんだけれども、大変露骨に行政と企業を批判してるね。

こういうように、『サイレント・スプリング』後のいくつかのジャーナリズム実例から、レイチェル・カーソンという人はどういう人なのだろうか、産業社会とどういう関係に立った人だったのだろうかということを考えていただきたかった。

化学産業の拡大──アメリカ主導の「開発」と重ねあわせて

化学産業がどんどん発達すると、当然、その産業の利害に立つ人たちもたくさんでてきます。で、この化学産業の発展については、戦後は米国が先導してきたといえます。日本も──日本の人は日本は独自の科学技術の力があるかのように言いますけれども──その例外でない。日本は独自に学生を育て科学者を育てて来ているけれども、具体的な産業界のなかでは結局のところ米国の技術を一つの基準にして、それと競争する、あるいは米国の技術を取り入れるという形でしか戦後の世界の産業は作られなかったと、私は思います。

さて、資料にあるトルーマンの大統領就任演説は、ものすごく重要だと僕は思います。どう重要かというと、例えば今では「南北問題」という言い方がありますが、「開発」ということがこのような重要性をもって初めていわれたのが、おそらくこのトルーマンの演説だと。そして、いまだにその流れは続いている。今年の夏あったヨハネスブルクの「地球サミット」、そこでもまだ相変わらず「開発」という言葉が使われていた。これは、みなさんが他の授業でもさんざん聞いたと思いますが、「持続可能な開発」ってやつだね。その「開発」を──その当時はまた「持続可能」という言葉はついてなかったけれども──地球規模で押し進めるということを宣言したのが、トルーマンの就任演説だと私は思います。トルーマン自身がものすごく考えた人かどうかよくわからない。わからないけれども、米国合衆国の大統領というポジションにいるとそういうふうに世界を見たのだろうなという感じがします。さて、ここぐらいまでが前回の復習かな。

最近のノーベル賞受賞の話題と、産業主義を考える

産業と一言にいいますが……。あるいは一昔前は、「工業」という言い方で全然おかしくなかったのですが……。「工業」によって国をつくる、あるいは社会を発展させる。こういう考え方、それから実際にその考え方にしたがって世の中が動いている。こういうことを指して「産業主義」と読んでいます。産業主義が可能になったのはなぜかというと、困ったことに、人間がやはりいろいろ考えるからだね。で、ちょっとここでみなさんに考えてほいしいのですが……。ノーベル賞というのがあるでしょ。今度ノーベル賞を取った日本の人は何て人だった?(学生に問いかける)もう関心ないのか。

学生:忘れた。

中尾ハジメ:やはり面白い時代になってきたね。今や、ノーベル賞を取った日本人を覚える必要がない、覚えるだけの関心もない。どうもそうらしい。サラリーマンで受賞した人はどこの会社の人だった? 覚えている?

学生:島津製作所の。

中尾ハジメ:うん、島津製作所だね。島津製作所というのは京都に本社がある。なかなかすごい会社だと思いますが。あの人について、あるいは島津製作所という会社について、皆さんはきっと何か考えたよね。ノーベル賞ってすごいんだよと、昔は思っていました。で、今でもやっぱりすごいんだと思います。学問の分野ごとに、例えば数学だったらフィールズ賞とか、いろいろ賞があります。だけれど、いろいろな学問の分野に目配りをして、経済学については誰がノーベル賞を取ったとか……。ノーベル平和賞というのがあるよね。それから、ノーベル医学賞もありますね。それから、化学と物理学はそれぞれ別にあります。文学もある。動物学というジャンルがないんだね。生態学というのもない。ありません。で、動物学の人はやむをえず「ノーベル医学生理学賞」というのをもらうことになる。

いずれにしても、ノーベル賞というのは世界規模でしかも、いわゆる専攻分野ということでも、一つの分野だけではない。という大変大きな賞であることは間違いない。それで、政府の計画によると今後50年間にノーベル賞を受賞する日本人の数を40人に増やすといっています。それぐらい、やはり意味があるんだね。今までに日本人でノーベル賞を取った人は何人いるんですか?

学生:さあ。

中尾ハジメ:ん? 知らない? 一番最初に取った人は誰? ………知らないなあ。湯川秀樹だよ。どうでもいいといえば、どうでもいいのかも知れないけども、明らかに「産業主義」、「科学技術主義」が反映されているよね。産業が成り立つためには、科学技術がなければ、成り立たない。平和賞や文学賞もあるけど、この科学技術で世界的に貢献した人を褒め称えよう、というのがノーベル賞でもあるよね。ノーベル自身がどういう人か知っているよね? ………うーん。ダイナマイトを発明したんだね。それがやはり戦争に使われたということを彼はいろいろ悩んでそういうふうにならないように科学技術に発展をしてほしかった。で、そういうノーベルの考えに沿って、戦争にならないように科学技術を発展させるという貢献をした人にノーベル賞をあげる。

だけど、これはほとんど無理! どういうことかと言えば、原子核のことを探求して、「あっ、これは核分裂連鎖反応が起きるんだ」ということを発見すれば、これはやはり科学技術につながりますね。偉大な貢献だよね。ところがそれは、核兵器を作っちゃうんですね。だから、無理。こういう問題を、どう考えたらいいか。

産業社会、科学技術と資本主義は、人間の「原罪」か、「本性」か

そもそも人間は逃れることはできない「原罪」のようなものをもっている。そういう「原罪」という言葉は使ったらいけないと思う人がいるかも知れませんが……。あるいは人間の「本性」とかね。ちょっと話は脱線をするようですが、ジャーナリズムとは如何なるものかをずっと考えてもらっていますが……。いろいろな側面から考えるでしょうが、なかには「ジャーナリズムが使っていい言葉」、「使ってはいけない言葉」という観点から考えている人もいたようです。「原罪」なんて言葉はジャーナリズムの言葉かなあ。(笑)ちょっと考えておいてね。

さて、ノーベル賞に話を戻しますが、あの田中さんという人は面白いよね。ものすごく面白い人であることは間違いないし、彼が評価をされてノーベル賞をもらうということは、悪いことのように思えないです。だけど、彼が貢献しているのは産業だよね。それからもう一つ……。科学技術というのが当然あるのですが、資本主義というものもある。経済を動かしていくある考え方と、その考え方に従って動く状態を「資本主義」と言いますが、その「資本主義」がなかったらたぶん産業主義はなりたたないですね。

新しい物質をつくれる。つまり、世界は、水と土と木と空気と火と、あと愛と憎しみで成り立っている、という考え方ではなくて……。木も石もすべて共通のもっともっと細かい単位に分かれている。つまり、言い換えると炭素であるとか水素であるとかいうものに割れちゃう。つまり、「原子」ってやつになるんだよ。……という考え方を、もし人間が持たなかったら科学技術産業なるものは成り立ちませんね。成り立たないけれども、でも、その考え方だけで、面白がって、どこまで細かくなるかということを追求したら……。「原子核」この中には中性子がある、「ニュートリノ」があるということになる。だけど、「ニュートリノ」っていう考えは、最近の考だよね。火とか水とかいうのは昔から言っていたけど、「ニュートリノ」は最近の考えですよね、当たり前だけど。

「原子」という考えは実は古いかも知れませんが……。デモクリトスぐらいからだから、昔のギリシアですでに考えがあったかも知れない。あったかも知れないけれども、今の物理学や化学が考えている「原子」ではない。今の化学や物理学が考えている「原子」というのがもし考え出されなかったら、たとえば、石油化学産業はなりたつか。成り立たないですね。もちろん「核−原子力産業」も成り立たない。

というふうに考えてみると、これをどう言ったらいいか。これは、「原罪」というふうに考えた方がいいか。「本性」というふうに考えた方がいいか。それとも、そうじゃなくて、こういう産業と「人間の本性」としての科学が合体さえしなければ、という考えがあるかも知れないね。これ(科学技術)とこれ(資本主義)とが一緒にならなかったら、そりゃ、いろいろ真理を追究したらいいでしょう。でも、お金があるから作ってしまうんですね。しかも、作るだけじゃ儲からないから売るわけですが、ただ売るんじゃあ儲けは少ないから、大量に売らなくてはならない。で、次から次へと、そういう新しいものを作っては売るということがある。そうすると一言で産業主義っていっているけど中身をよくよく考えてみると、こういうことかなあと考えられます。

そして困ったことに、。このどちらも僕らが、みなさんが生きている間だけでも、どれだけ変化したか、拡大したか。あるいはこっち(資本主義)だけがどれだけ変化、拡大したか。みなさん物心ついてから、まだ数年しかたってないから、あんまり意識しないかも知れませんが、こういうときに歴史の勉強はものすごく役に立つ。みなさんが生まれた1980年ぐらいの資本主義はどの程度の状況だったのか。そして、今はどうなのか。これは、またどこか別なところで勉強してみてください。

エネルギー産業と石油化学産業の台頭──温暖化防止が向かいあわねばならないもの

また元に戻って、繰り返し言いますが、1960年代からは大変な勢いで石油化学産業というものが台頭してきます。「石油化学工業」あるいは「石油化学産業」、どちらでもいいけど、いうまでもなく石油を掘るということがなければ成り立たない。さあ、それで考えてみよう。みなさんが生まれた1980年にどれだけ石油が掘り出されていたでしょうか。で、今はもう2000年を越えていますが、この20年間に石油あるいは石油に変わる天然ガスと呼ばれてあるものが、どれだけ掘り出されたか。「生産」という言葉で言いますが、「生産力」。何か「生産」ってちょっと変だよね。作っているわけではないのに何で「生産」というのかと思うかも知れませんが、資本主義の経済体制のなかでは、とにかくお金になることをすることを「生産」といいます。つまり売れるものがあればそれは「生産」なんだね。石油の生産量は調べるといいですね。調べてください。

環境社会学科のみなさんは知らなきゃいけない。例えば、統計年鑑というのがあるよね。日本だけのことを書かれてあるのもあるし、国連あたりが作っているのを見ると世界のかなりの地域をカバーしてあるものまで、いろいろあります。簡単に手に入るものには、こういう毎年発行されている本で、『世界国勢図会』『日本国勢図会』というのもありますが、こんな本だね。これは必ず持っていなければならないような本だと思いますが、2千4、5百円します。これを見ると何がわかるかというと、細かいところまではわからないとしても例えば、天然ガスの生産量が毎年毎年どのように増え続けているのか。石油の生産量が毎年毎年どのようなペースで増え続けているのか。あるいは、世界全体でいうと石炭の生産量あるいは消費量は減ってきていますけれども、地域によっては増えています。トータルをするとですね。いわゆる地下資源の生産量、消費量は、当たり前のことですが、増加傾向にあります。圧倒的な増加傾向です。

そうすると、温暖化防止なんてできるわけないだろうと思われわれてしまう。温暖化防止ということを言うことは、決して悪いことではないように思います。温暖化防止をするべきだという立場をとりたいと思いますが、しかし、温暖化防止ということはどういう現実に向かって言っているんだろうかという認識は、持たなかったら意味がない。ただレイチェル・カーソンはすばらしい人だった、温暖化防止といっている私たちもすばらしい人たちである、ということで終わってしまう。だから、『世界国勢図会』はどこかで見るといいですね。

命懸けのジャーナリズムの時代から、多数の意見が広告のようにただ溢れる時代へ?

さて、それでもう一回現実のレイチェル・カーソンとか石牟礼道子の所にまた立ちどまって考えてみると、これはやはり命がけだったでしょうね、当たり前ですが。しかし、最近は、あまり命がけではないような感じで済むようになってきている。どうして命がけの感じがしなくて済むのかなといろいろ考えてみると……。これは広告産業のおかげではないかな。一つはね、例えば、うちで言えば槌田劭さんみたいにはっきりしたことをいう人がいますね。中尾ハジメも時々調子に乗って何かいったりもするけど、そういう反産業主義的な意見は、その山ほど世間にあふれているいろいろな意見の一つに過ぎないということではないか。意見というのは、そもそも人によって違ったりするのですが、どういう根拠を持っているかということには、その意見を聞く人たちは関心がないというか追究しない。ただ、あの人はこう言っている、この人はああ言っているということだけが問題になる。そういう世界でないかなあ、山ほどある広告のコピーのようなものでないかなあ、という感じがします。

前回ちょっと触れましたが、そういうような今の傾向と、例えばインターアクティブメディア時代といわれるメディア状況……。もう一回言いますよ。「インターアクティブ・メディア」という状況は何を一体表しているのか。いわゆるITが大変発達をしたから生まれてきた状況だと言われていますが、同時に、いわゆるマス・メディアが力を失って行く状況なのか、そうでないのか。これは考えるべきテーマだと思います。

マス・メディアのイメージと、最近のジャーナリズムについてのちょっとした悲観論

さて、マス・メディアがどういうイメージかっていうと……例えば、石牟礼道子が『苦海浄土』を書いく。そうすると、それがたくさんの人たちに読まれる。(「マスメディア」の構造の図を書きながら)レイチェル・カーソンが『サイレント・スプリング』を書く。それがたくさんの人に読まれる。あるいはジョン・ハーシーが『ヒロシマ』を書いた。それがたくさんの人に読まれる。そのしかけは思ったほど単純ではなくて、例えば雑誌『ニューヨーカー』でまず掲載されるんだということを言ったよね。でもそれはやっぱりマス・メディアの世界です。当然、その時代に同じようなことを言った人は他にもいっぱいいるはずだよ。あたりまえですけど。広島の場合でもそうですね。実際に書いた人は山ほどいた。絵を描いた人もいれば、日記を書いた人も山ほどいる。でも、その中でもジョン・ハーシーが断トツで広島の「情報」──みなさんはどうか知りませんが、僕はあまり好きな言葉じゃありませんが──を広げた。あるいは「広島」という体験を多くの人が知ることができた。こういうのを「マス・メディア(mass media)」と言います。

つまり発信源は小さいか一部にすぎない。それを山ほどたくさんの人が読んだり聞いたりする。その山ほどたくさんっていうのが「マス」なんだよね。それでは、「インターアクティヴ(interactive)メディア」というのはどうなるかというと、こういうこと(マス・メディア)ではなくて、発信源が山ほどある。それがいろいろ発信している。あいつはおもしろいとか、こいつはおもしろくないとか、さまざまあるかもしれない。しかしマス・メディアでは、もうおわかりのように、レイチェル・カーソンはひとつの象徴になったし、それは化学産業から集中砲火を浴びますよね。そういう関係です。でも、インターアクティヴ・メディアと言われるような多くの発信源がある状態になったら、誰が何を言ったってもう関係ない(笑い)。かなり、そういう感じになっていると僕は思います。

この環境社会学科で言えば、槌田劭、嘉田由紀子、鷲尾圭一、井上有一、細川弘明、山田國広、黒澤正一、松尾眞、その他みんないろいろ言っていて、それは少数には伝わりますよ。それでその少数はまたいろんなことをお互いに言いあっている。しかし、いわば仲間うちのやりとりにはなっても、多くの人には広がらない。こういうのがインタラクティヴ・メディアの世界ではないだろうか(笑い)。決してそうは思いたくないんですけれども、どうもそういうおそれがある。この問題は、いまのメディアの状況の中でジャーナリズムがどういう可能性を持っているかということを考える時には、避けて通れないという感じがしています。

『奪われし未来』と、産業界の反応について

しかし、例のシーア・コルボーンがあとのふたりと一緒につくった本を、敵がどういうふうに扱ったかを考えると、どうでしょうか。『奪われし未来』は方法としてはマス・メディアなんですよ、出版物ですからね。だけどこれは大変なインパクトがあって、みんなで寄ってたかって、効果をどうやって薄めるか、中和するか、あるいは亡きものにするか、PR会社が知恵を絞っていろいろしたようですね。『サイレント・スプリング』のときも実はそうだったんですね。『サイレント・スプリング』が出るぞというときに、ニューヨーク・タイムズが「カーソンは変人であるという意見があります」という記事を即書いた。だから『サイレント・スプリング』をそのまま鵜呑みにするようなことをしないほうがよろしい、専門家のあいだでは信憑性がないと言われている……ということを記事にした。それからだいぶ年月が経って、『奪われし未来』が出版されたときにも、やっぱり同じような反応があった。今度はカーソンのときよりずっとすばやく、敵側は印刷になるまえのゲラを手に入れて、これはこういうふうに攻撃しようと用意しています。

こういうふうに考えると、まだまだ仲間うちのやりとりだけで終わりはしないだろう。やはり、ここ問題があると批判を展開したら、批判をされる側は必ず反応してくれるという感じもまだあります。

産業主義の拡大──人工物質の拡大、科学技術と資本主義の拡大、そしてメディアの拡大

さて、いよいよ今日の本題に入るわけですが……。しょうがないなぁ、こんなペースでやっていたら(笑い)。今日の本題は何かというと、片一方で、これは明らか否定のしようもないし、みなさんはこれをあたりまえだと思っていると思いますが、いま描いているのは何かが拡大していったというイメージですけれども、それは産業主義。その内容物はさまざまですよ。いろんなものが入ります。例えば、新しい人工合成物質。代表的なもので言えば『奪われし未来』で言っている、いわゆる内分泌撹乱物質。山ほど出てきてしまう。とどまるところがなくて、ますます広がる。もうひとつの代表はいわゆる核分裂生成物質ですね。もちろんプルトニウムであるとか、ウランであるとか、そういうものがどんどん増えてくる。「発展途上国」という言い方があるけれど、これは産業主義によって測られているから「発展途上」なんだね。「発展途上」という言葉が意味するのは、年月が経てば産業的に発展するべきものだということですね。ということから考えてみると、これを否定しないかぎり、人工合成物質も核物質もどんどん拡大していく。こういう流れがある。

それで、この流れに重ねてほしいんですが、重ねて描くとややこしくなるから別々に描きますが……。一方で、このように拡大していく流れがあって……、もう一方で、この言葉は私は大嫌いなんだけどしょうがないから使うと、「情報を伝達するための技術」の発展の流れがある。「情報」というのは“information”と言います。「伝達」というのは“transmission”とか言います。「技術」は“technology”と言います。情報(Information)を伝達する(transmit)技術(technology)を“ITT”と言います。最近はこれを全部省略してしまって、情報技術「IT(Information Technology)」と言っております。そういえばITTというのは、International Telephone and Telegraphっていうのもありますけど……。

だけど僕が言っている「情報技術」っていうのは、いま言われている「情報技術」だけを指していません。たぶんある段階では印刷があっただろうし、ある段階では自動車、航空機といったもの──それらで印刷物を運ぶというように──いろんなものがこの「情報技術」に入ってきます。しかし、いまやいわゆるITの時代になってしまった。これも産業主義のおかげです。なぜこの拡大の流れをわざわざ描いたかというと、情報、つまりメディアの歴史なんだね。メディアも種類、量ともに拡大傾向にある。

昔からあった「言論」としてのジャーナリズムは、この拡大の流れのなかで?

そのなかで、もう一回注目をしてほしいのは、具体的に石牟礼道子という人に焦点をあわせたときに、こういう背景のなかでどういう位置づけをすることができるかということです。それをするために、こういう拡大史的なものから切り離して、もうひとつ何かを補助線として立てなければいけないんですが、いまから話すものが、さきの二つの流れと同じように拡大しているかどうか、僕には自信がありません。それは何かと言うと、大昔から現時点まであるものです──「言論」。英語で言うと“speech”。スピーチって言うと、なんかテーブル・スピーチみたいでおかしいけどね、人がしゃべるってことなんだよね。日本国憲法には、「集会・結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」(第21条 「集会・結社・表現の自由、通信の秘密」の第1項「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」)と書いてある。言論ということはspeechです。しゃべるってことです。しゃべったらいかんって言うのは、憲法違反です。──授業中に私語をするのは憲法違反かどうか。私語をしている人に黙りなさいって言うのは憲法違反かどうか考えるとおもしろいね。

出版っていうのは「press」です。日本国憲法がつくられたときには、まだpressだったんだね。このpressの日本語訳は見事に「出版」になっています。しかし、いまpressって言うと、本をつくったり新聞を印刷することだけじゃないですね。いまのpressに含まれるのは、テレビやラジオ、いろいろ入るね。しかし、「言論、出版の自由」というふうに言われているのは、別に新しい種類が増えたりするという世界ではない。昔は印刷機がなかっただろうとか言うかもしれないけれども、「言論出版の自由」というのは人間に与えられた自由なんだって。だからずっと前からあるんですよ。

さあ、それで、問題は、「言論、出版、その他表現の自由」はこういう状況もあわせて、拡大しているんだろうか、いないんだろうか。そもそも拡大しているとか、していないということを考えることがナンセンスなのか。よくわかりませんが、僕は拡大をしていないように思います。拡大しないし、拡大するはずのものでもない。──ここでの問題は、いくら言論、出版の自由があっても、科学技術による産業やメディアの拡大傾向は止めようがないし、止まらない。そうすると、拡大傾向そのものを批判する言論・出版の自由があってもダメということがありますが、それは措いておきましょう。── もし環境ジャーナリズムが目指すところが、この産業主義的拡大を押しとどめようとすることだったら……。つまりこのまま拡大していっちゃったら、sustainable(持続可能)にならない。持続可能な社会につくり変えるためには、これを押しとどめないといけない。どうしたら押しとどめられるか。何か方法があるだろうか。それは言論の自由とか出版の自由とかによるしかないのではないか。

マス・メディアで産業界と対決したレイチェル・カーソン

ジャーナリズムはあきらかにこれ、言論だよね。これをジャーナリズムと言います。昔からやっていた。そうすると、カーソンの時代にはコンピュータもインターネットもなかったから、『ニューヨーカー』に3回連載で出した。例えば日本で考えてみると、石牟礼道子さんが『苦海浄土』を書くことは書いた。しかし『ニューヨーカー』のような雑誌、日本で言ったら『中央公論』とか──『中央公論』は月刊で、『ニューヨーカー』は週刊だからちょっと違うということもあるかもしれないけれど──そういう東京から出版をされていて、全国的にものすごく大量に出版をされているような雑誌に、1960年とか1964年の時点で『苦海浄土』が出ていたら、『サイレント・スプリング』と同じようなインパクトがおそらくあっただろう。しかし、それはなかったんですよ。むしろ水俣の患者たちの運動が東京にまで影響をおよぼすような段階になってはじめて全国的なマス・メディアにのった。つまり『苦海浄土』が講談社から出版された1972年、そのときにはすでに水俣は社会問題化していたんだね。

もちろん、社会問題化してから、問題が全国的に知られるようになってから、そのことを考える、あるいは支える、というか参考にしたり、いろいろするためにジャーナリズムが存在したって一向に構わない。あるいは歴史的に振りかえるようなジャーナリズムがあっても全然構わない。しかし、レイチェル・カーソンが産業界に与えたインパクトは、敵にとっては予期しないものだったんだね。シーア・コルボーンの『奪われし未来』のときには、少し前に相手に感知されてしまって、産業界はいろいろ手を打つということがあった。それでも、直接的に「産業」対「ジャーナリスト」という構図を、そのときには作ることができたということがあります。

さあ、これから先はどういう世界に変わっていくだろうか……ということもいろいろ考えておいてください。だいぶ時間がなくなってしまったから、もうひとつだけ、来週の予告をして終わりにします。

次回の予告──ジャーナリズムとしての「自主講座・公害原論」

宇井純さんが「公害原論」という自主公開講座をはじめたのは1970年です。しかし、宇井純さんはそのときはじめて公害について何かしゃべったり書いたりしたわけではありません。もっともっと前からいろいろ仕事をしています。もともと彼は化学産業のなかで働きたかった。それで日本ゼオンという会社に入って働きましたね。もともと科学技術の人でした。その人が、どうもやっぱりいろいろおかしいというふうに考えはじめて、しかし化学の専門家の仲間からは「あいつは少し困ったやつだ」と思われながら仕事をしていたわけです。しかし、「自主講座」にはどういう意味があるか。

みなさんが見ているのは本になったものです。繰り返して言いますが、本になる前に1970年から「自主講座」というのをやりました。1年間くらいはほとんど宇井純が自分で準備をして、それを講義形式でしゃべるということでした。そこにものすごい人が集まったんだね。毎回のように1,000人とかいう数の人たちが集まった。それから、そこにさらにいろいろな宇井純以外の講師を呼ぶようになります。『公害原論』の単行本が出てからあとに、さらにそれら3巻をまとめた合本になって亜紀書房から出ています。それから『公害原論 補巻』というのも「自主講座」の記録で、3巻くらい出ています。それからさらにそのあとに、「公害原論 第2学期」と書かれた『続 現代科学と公害』という勁草書房から出ている本がありますが、これもたぶん4巻ぐらいだったかな……あります。こういうのがいろいろ出版物にもなりました。

でも繰り返し言いますが、『公害原論』をジャーナリズムとして取り上げる一番の力点はどこにおくべきかと言うと、出版物ではなくて、東大の教室を夕方になると無理やり使って自主講座を開いてしまう。東大の学生はほとんどこの講義はほとんど来なかったかもしれないね(笑い)。でもよそからたくさんの人たちが宇井純の話を聞きに集まった。宇井純はある意味で言ったら自分の考えを述べたかもしれないけど、実はこれは日本の公害ジャーナリズムの画期的な仕事だったと思います。みなさんが見ているのは、水俣について書いた第2回目と3回目の部分です。他にももっとたくさんあるんですが、その2つの部分を来週までによく読んで来てください。これで今日の授業を終わります。

授業日: 2002年10月15日; 編集:寺町歩、中尾ハジメ
テープ起こしをした学生:竹内一信、長澤智行
htmlコーディング:深尾知香