第14回 メディアが変わってもジャーナリズムは存在すること──スーザン・ジョージをめぐって

スーザン・ジョージ『世界の半分がなぜ飢えるのか』──英語版と日本語版

さて、いいですか。まず、まずこれからいこうかな。これは1986年版『世界の半分がなぜ飢えるのか』の英語版の目次です。みなさんがすでに持っている1984年に出版された日本語版の目次と比べてみてください。86年版で増えたところは、基本的には、上から2行目のA Few Useful Addressesだけです。他の部分は基本的に変わっていないということを考えると、──日本語版の目次を見ていただいたらわかると思いますが──日本語版はだいぶ省略してあるね。例えば英語版の第9章は、Et Tu, UN?とある。日本語版のほうでいうと、第9章は「世界銀行」になってますね。これは英語版のほうの第10章IBRDにあたります。日本語版には「国連」の部分がないということがわかったね。

それから、英語版は、Part One、Two、Three、Fourと分かれていますが、日本語版はそういうふうに分けてありません。それから、Part Two, ThreeについてはConclusion(結び)というのがついていましたけども、日本語版ではそれが削除されています。それからさらに、 英語版 ではAppendix(付録)というのがついていますね。AppendixがあってA Few Useful Addresses。これはその下にコピーをしておきました。それからReferences(参照)というのが324ページからあったんですが、それも日本語版では省略してあります。というふうに、だいぶ省略をされているということがわかった。

日本語版の「はじめに」というのは、この本全体で彼女がしようとしたことが非常に要領よくまとめられています。ぜひご覧下さい。

無名だったスーザン・ジョージ

さて、次にね、「スーザン・ジョージ著作リスト」(配布資料)っていうのがある。スーザン・ジョージという人は、どうやら1939年生まれらしい。1976年に、みなさんが読んだ『世界の半分がなぜ飢えるか』という本を英語で書いて出したんだね。1976年だから、1939年生まれであれば37歳ぐらいのときということになります。今何歳でしょう。1939年っていうとどういう頃かな?

……というので、こんなものがあったよね。これはずいぶん前に「レイチェル・カーソンと石牟礼道子が、何年にどんなことをしていたか」というのを、表にしたものです。こに、その後この授業で取り上げたことをいろいろ付け加えました。それから、この授業の中では必ずしもそんなに言及したわけではないけども、スーザン・ジョージの本の中に書いてあったこととか、みなさんがよく知っているであろう「スリーマイル島事故」や「チェルノブイリ事故」とか、「湾岸戦争」とか「アフガニスタンの空爆」とか「ヨハネスブルクのサミット」とかを書き込んでみました。

さて、スーザン・ジョージは1976年にHow the Other Half Dies『なぜ世界の半分が飢えるのか』)を書きました。その2年前(1974)に、ローマで「世界食糧会議」というのがありました。ということがこの表からわかる。スーザン・ジョージ自身は、1974年の食糧会議を受けてこの本を書いたということになっています。そのときスーザン・ジョージさんはまだ30代だった。

ちょっとよけいなことを言うようですが……。レイチェル・カーソンは「沈黙の春」を『ニューヨーカー』に載せて、その後すぐに単行本をだします。ここでみなさんに思い出して欲しいのは、1962年のレイチェル・カーソンはもう既に物書きとして有名だったということです。スーザン・ジョージはね、はじめてこのとき出てきたの。

1976年に最初の本がでたわけですが、それから10年たって、スーザン・ジョージがそのときのことを振りかえって言ってることがあります。ペンギン・ブックス(Penguin Books)というところから本を出したわけですが、名前が表にでてこないんですけど、そのペンギン・ブックスの「編集者」っていうのがいるはずなんです。編集者っていうのは非常に重要です。編集者がいないと実は本は出ない。その編集者が、1976年に本がでるときに「売れなくてもがっかりしないように」(笑)と、著者のスーザン・ジョージに言ったんだそうです。どういう意味かな、「売れなくてもがっかりしないように」っていうのは。どういう意味も、こういう意味もなく、そういう意味ですが(笑)、どうしてでしょうか?

ついでに、「専門家でない」とか「クレデンシャルズがない」とかいう誹謗中傷について

クレデンシャルズcredentialsという言葉がありますが、──sは複数のsだけどね──、この言葉がなかなか重要なんですね。いまでもたぶん重要なんだと思いますが……。辞書引いてちょっと調べてごらん。レイチェル・カーソンが1962年に“Silent Spring”をだしたときに、すぐにニューヨーク・タイムズという新聞が記事を書いたんです。その記事は、紹介の記事というよりは、「レイチェル・カーソンはcredentialsがないよ、というふうに言ってる人がいる」という記事でした。中には「レイチェル・カーソンは共産主義である」という人もいた。科学者あるいは専門家と呼ばれる人たちが、こういうこういうcredentialsという言葉を使って、誹謗・中傷をした。「この人の言っていることは信頼できない」っていうことを言うわけです。日本でも多少はそういった問題があるかもしれませんが、不思議なことに、あまりcredentialsがあるとかないとか言われません。しかし、特にアメリカではすごいようです。だから何か言うと、まず「その人の言うことは信用ならないよ」、なんでかっていうと「その人はPh. D(博士号)をとっていない」とかね(笑)。しかしPh. Dってアメリカ中にたくさんいますから──そのドクターたちの中で「あいつは信頼されてない──credentialsがない」とかって言いかたを非常によくします。

それで1976年のスーザン・ジョージは、知られてもいなかったし、知られてないっていうだけに、本当にこの人が信頼できるかということでは限界があったというのかな。そういう人でした。その人の本をだすということは、ペンギン・ブックス──ものすごく大きな出版社で、ペーパーバック(ハード・カヴァーでない本)をたくさん出す──にとって、いささか冒険であったかもしれない。それで編集者は「たくさん売れなくてもがっかりしないように」というふうに言ったんですね。

改定版を作らなかったスーザン・ジョージ

ところが、それは版に版を重ねて毎年のように増し刷りをしなければならなかった。1986年の時点に、これはもう改訂版を出したらどうか、という話になったんですね。それぐらい良く売れたんです。10年経ったらいろいろとデータも新しくなっていますから、いまの状況に合うように書き直したらどうかということを、ペンギン・ブックスは言うんですが、スーザン・ジョージは「そんな暇はありません」。その10年間自分は他の仕事をしなかったわけじゃなくて、ずっと仕事を続けていました。つまり、書き直しなんか必要ないということ。1976年の時点で自分がつかんだこと、それはそのとおりだと思うし、多少の間違いは色々とあるかもしれないけれども、それをわざわざ書き直す必要はありません。

それで、みなさんが持ってるもう一つの方の著作リストを見ていただきますと、スーザン・ジョージの著作物は76年の次は83年になる。これはみなさんもう知っている人がいるかもしれませんが、FOR BEGINNERSっていうシリーズがあるんだね。マンガのような挿絵のようなものが入ったやつですが、英語版も日本語版もおそらく1983年だと思います。しかし、その間スーザン・ジョージはジャーナリズムの仕事をしなかったわけではない。いろいろ細かいことをしていたんだね。ということを、まず言っておかなければならないでしょう。

その後もついでに見てください。87、90、92、94年、99年それから2002年。2002年はひょっとすると2000年か2001年に書かれたものかもわかりませんが、日本語版になって出ているのは2002年です。こういうふうにずっと、ジャーナリズムの活動をしているわけです。

われわれの生きているのは、どんな時代なのか

ということをまず把握をしてもらって、もう一回、年表のほうに戻ってください。いかにも変な年表だよね、これ(笑)。いったいどういう視点で作られてるのかよくわかりませんが、みなさんが「環境ジャーナリズム」の授業の中で、やってきたことを中心に並べるとこういうことになります。それから、もう一つは、石牟礼道子あるいはレイチェル・カーソン・宇井純というような人達をジャーナリストというようなふうに捉えたときにどういうことになるか。人間ですから、生まれて生きて死ぬんです。レイチェル・カーソンは1964年に死にました。宇井純さんはまだ生きていますね。なんか杖ついてるそうです。それでみなさんが生まれたのは1980年ぐらいだよね。いつまで生きるかなぁ。永遠には生きないよね(笑)。そういうふうになってる。

この間に、──これまたここには書かれていませんが──どれだけ新しい化学的物質を作り出したか。何種類も山ほど作った。量もたくさん作ったということはここには書かれていない。けれども、それは、爆発的に増えたと考えてもらっていいと思います。核物質についても同じことだね。1945年を一つの非常にはっきりとした起点として、それ以降、ものすごい量の核物質が増えつづけている。しかもそれが増えていくには、真空の中で増えていくのではなくて、産業主義の「構造」というか「しかけ」があった。その「産業主義の仕掛け」の一つの要素は、「科学技術」というものでしょう。だけども、もう一つの強力な駆動力──それを動かす力──がなければそういうふうにはならなかった。それを、「資本主義」というふうに一応捉えることができるでしょう。ということでした。

それで、「環境問題」あるいは「地球環境問題」と言われるようになったのはいつぐらいからでしょうかということを考えた。これもはっきりいつからだということはできませんが、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の中では、環境という言葉が数回──1回か2回か3回──は出てくる。しかし、レイチェル・カーソンが焦点をあわせたのは、なんと言っても「農薬」の問題でした。しかし、その農薬の問題で非常に強い反応を引き起こしてしまった。引き起こすということを最初から覚悟していたわけですが、それはどこからの反応かというと、「産業界」からの反応であった。言い方を変えると「資本主義」のからの反応だったんだね。まず一つはそこまでです。

片や日本での状況がどういうことであったかというと、これはもう水俣だけに限ったことではなかったわけですが……。日本の中では「四大公害病」という呼び方があった。水俣病だけではなかったし、さかのぼれば『谷中村滅亡史』の時代、つまり日露戦争の時にさかのぼることもできるし、さらにもっとさかのぼることが「公害」ということで言えば可能だったと思います。ただ、問題の捉え方が非常にはっきりしたのは、やっぱり戦後だよね。もちろん足尾鉱毒事件も実ははっきりしていたんですが、でも、みなさんがやったところでいうと水俣で非常に鮮明にわかってきた。

そのときに、産業の側に立つ人と、公害の被害者の側に立つ人……。被害者の側に立って産業の側と戦わなければならないということが生まれてきます。その戦いの中で産業の側がどういう手段・方法・策略を用いるかということを宇井純という人は『公害原論』の中で非常に丁寧に論じたね。それが1970年のことでした。

同じような状況が、──と言うか、問題を捉える「捉え方」といったほうが良いと思いますが──日本だけではなくて、アメリカでもヨーロッパでも始まっていたということだね。だから、スーザン・ジョージ以外の人を挙げることももちろんできるでしょう。けれども、スーザン・ジョージの1976年のこの本は一つの典型的な代表例です。というわけでもう一回年表を見てください。

環境問題を、開発問題として捉える視点

1945年の段階でアメリカ合衆国では──大きな国家は他にももちろんあったわけですが──、原子力の開発と国家が非常に強く結びついていました。そもそもアメリカ合衆国という国家は産業と強く強く結びついていました。常に産業の利害を守るように働いてきた国家です。もう一つの非常に重要なことは、1949年のトルーマン大統領就任演説でものすごくはっきり語られているように、アメリカは世界のまだ産業が進んでいないところを援助する。……援助する。……助ける。アメリカはたいへん創造的な社会で──つまり科学技術をさして言っているわけですが──ほかの国、地域を助ける。それを別な言葉で、「開発」というふうに言いつづけてきたし、今でもそうだと思います。

そういうふうに考えながら下のほうをみてもらうと、1992年のリオデジャネイロでの「地球サミット」、更にそれから10年後のヨハネスブルグでの「地球サミット」、あるいはリオデジャネイロの5年前の「ブルントラント委員会」。これはなかなか……。決して悪いものじゃないんですよ。「アジェンダ21」って知ってるよね。「アジェンダ21」というのはこのブルントラント委員会のOur Common Futureをうけて、それぞれの政府であるとか、あるいは社会の責任を持ってるところが21世紀をよりよい世紀にするために、しなければならない行動計画として作ったんだね。それを「アジェンダ21」といいます。しかし、そこで使われたスローガンが「持続可能な開発」です。これがいまも環境問題に取り組む人たちにとって──そんなに少数派じゃなくて──、誰も疑わないというくらいに強力なスローガンです。その「持続可能な開発」というスローガンのもとにある考えは、結局基本的には「援助」なんですよ。経済的な発展が遅れている──遅れているという言い方はよろしくないので、「開発途上である」というふうにいいましょうということになっていますが、いいよね? あんまり繰り返していってもしょうがない──、これはスーザン・ジョージの本の中には、under developmentと書かれています。これは「低開発国」とかいう日本語の言葉になっていました。それは、一つの意味では差別的でよろしくない、もう一つの意味では発展してもらわないとこまる。それでdeveloping countryと言うことになっていますが、いずれにしても「持続可能な開発」とういうスローガンが意味している基本的な部分というのは……。中には、いやそんなことはない、と思いたい人がいるかもしれないけども、伝統的にトルーマンの就任演説以来──これはいくらでも強調しますが──「開発」という言葉が意味しているのは、こういう国々が開発されることであって、そのための仕掛けは「援助」なんです。

学生:すいません。トルーマンが「開発」という言葉を「援助」という意味で使ったわけではない?

中尾:使ってますね。もちろん、「開発、すなわち援助である」とは言ってませんよ。そういうふうに直接的にしゃべったわけではないですが。

えーと。そういうふうにしてこの年表をジーっと見ているとね、困ったことに、一体世の中はどうなっちゃたのかとうことが感じ取れるかもしれません。1997年には「地球温暖化防止京都会議」というのがありますね──京都議定書。さすがにその会議の中では、主要なテーマは炭酸ガスの排出をどうやって減らすかということでした。だけど結局のところ、そこでごちゃごちゃごちゃと起こってきた議論はどういうものだったか。非常に大きいものの一つは、「これから開発を進めていくという国についてはどうすんのや?」というものです。「開発を進めていくっていうことは、たくさん石油や天然ガスを使うっていうことや」と。「そしたら炭酸ガスは減らすどころか増えるだろ」と。それで、こういう国に、「減らせ!」とかあるいは「もう工業化は進めるな!」っていうことを言うのか言わないのか、っていう問題があったよね。ところが世界の構造・流れがもうできてしまっていて、これを止めることはできないように思えます。一体どうやって減らすんでしょう?

参考リンク

片一方で、「もう既に開発の進んでしまった国が模範をしめして減らすってことをしなければいけない」という議論があります。これは、「なるほど、もっともだなぁ」という感じもしますが、その進んだ国の一つである日本は炭酸ガスを減らしているでしょうか? 減らしていない。ますます増やしている。それでアメリカはここに至って、──非常に勇気があるというか、なんかうまくいえませんが──「京都議定書から離脱をする」と言って離脱をしちゃった。という状況だよね。

そこで、「あれぇ、アメリカは開発を進めてきて国でしょ?」という疑問のようなものが浮かんでくるかもしれませんが、すなわちそれは──すなわちという言い方をしていいかどうかわかりませんが──、アメリカが開発を進めてきたということの相当に大きな部分というのが、結局はこういう地域の開発を「援助」として進めてきたということでしょう。

ついでにいうと、援助をするとアメリカ産業界はもうかるということがスーザン・ジョージの本読むとわかるよね。そういうことになっていたよね。それはいったい、もしそういうことであるとすれば、アメリカが京都議定書から離脱するっていうのは、どういう意味をもっているか考えてください。……というようなことを、この年表の中に読み取っていただきたい。

しかし、繰り返し申し上げますが、この間、新しい化学物資はますます種類が増えて量が増えた。核物質──中心はウランとかプルトニウムとか「核兵器」に使うものですが──もますます量が増えた。量が増えるっていうことはどういうことかっていうと、会社が作ってるってことです。なんで会社はものを作るんだろう? それは、お金が儲かるからだよね。ということをうるさいぐらい言っていると思いますが、この年表の中に透視をして下さい。(笑)向こう側に見えるでしょう?(笑)といったようなことが一つの論点であります。

ジャーナリズムの仕掛け──メディアについて

さて、この授業は「環境ジャーナリズム」。しかし、「環境ジャーナリズム」をやろうと思うと、結局は内容についてもやらなきゃならない。それから方法、あるいはジャーナリズムというものが成り立つような仕掛けや構造みたいなことについてもやらなきゃいけない。だからいったいなにやってんだか、途中でわからなくなっちゃうよね(笑)。それで、ちょっと仕掛けのようなところに話しを戻したいと思います。

年表を見なくても見てもみなさんには簡単に想像ができるように、広島・長崎に原子爆弾が落ちたときにはラジオがあった。まだテレビは無いですよ。テレビがあったら、テレビ・クルーが広島・長崎に決死の取材に行って、その映像を多くの人が観たかもしれないけれど、あたりまえですがそんな状況ではなかった。しかし、いまはテレビがあるしインターネットがあります。だけど、ちょっと考えてみて下さい。アメリカがアフガニスタンでものすごい爆弾を使いましたね。なんていうんだっけ。グラスカッターとかいうの。それは核兵器とは呼ばれないけれど、小型の核爆弾に近い──500メートル四方を一瞬にして破壊できるような──ものすごい威力のものです。それを使った。だけどこれはテレビで映ってなかった。これは映るんだろうか? イラクにもし核兵器を使うとしたら映るんだろうか? 映るかもしれない、映らないかもしれない。

非常にはっきりしていることは……。時々はどこどこの国の飢餓状態とかいうのを目にすることができます。けれど、ニュース番組が終わりさえすればすぐさまコマーシャルが入って、それからさんまが出てきたりいろんなのが出てきちゃったり。だから、そんな気分にはならないですね。そんなふうに今のテレビはできています。

新しいメディア──インターネット

さて、じゃあインターネットはどういうふうに使われているか。みなさんがレポートを書けって言われたらね、コピー・アンド・ペースト──コピーしてそれを貼り付ける──でレポートに仕立てちゃう(笑)。やったことがない人もいるかもしれませんが、やると非常に能率よくレポートができます(笑)。というふうに使われているわけですが……。スーザン・ジョージのこんなもの(配布資料)があったよね。TNI(Transnational Institute)というのがあります。これはそのホームページの中の、スーザン・ジョージのホームページから引っ張ってきたものです。1976年の時点にはこういうものがなかったから、ペンギン・ブックスから本が出た。──もちろん今でも世の中には本も存在するわけですが──今は、こういうホームページがあって、そこでモノが言えるわけです。ただ、これは読めないとねどうにもならない(笑)。この一番最初のページを見ると、スーザン・ジョージってのはこういうおばさんだっていうのがわかる。それから、オンラインで手に入る出版物についての概要紹介みたいなものがあるんだね。OVERVIEW of all online available publications。そこをクリックするとね、いろんなのが次から次へと出てくる──でもね、読まないとダメなんだよ(笑)。それからその下を見るとNew on the siteって書かれておりますが、一つは、How do the events of 11 September affect the protest movement?  protest movementというのは要するに抗議行動。ここで意味しているのは、先進国とかあるいは世界銀行・IMFとかがやっている開発援助について、たとえばこの開発援助は害ばかり大きいからやめなさいとか、そういう抗議行動、活動のことだね。9.11のテロがその抗議運動にどういう影響をあたえたかっていうことを、いろんな人が取材しに来るんですね。インターネットを通じてEメールで来たり、電話で来たりだとかね。スーザン・ジョージに「あなたどう思いますか」とかいうお尋ねがあるわけですよ。それで、いちいち対応するのがめんどくさいから「私はこういうふうに考えます」ということをあらかじめ準備しておく。それで「全部ここに書いてあるから、ここを見てください」というふうにされております。

さあ、また元にもどって、その次をみると、Another World is Possible──もう一つの世界が可能だ。で、The Nationというのは雑誌の名前。2002年の8月号にスーザン・ジョージはこういうことを書いたよ。雑誌にも載ったんだけど、ここをクリックすればそれがでてくるというふうになったんだね。ある意味非常に便利になりました。それからその下を見てみていただくと、2001年の10月28日にブタペストでClusters of Crisis and a Planetary Contractというタイトルでスーザン・ジョージが講演をしたんだね。そのときの講演の原稿がそのまま、この人のホームページに載っている。……というわけですな。新しいものがしょっちゅうどんどんどんどんとここに載ってくるわけです。もし精華大学でスーザン・ジョージを呼んで、彼女が何かしゃべったら、それがすぐに「精華大学での講演」というふうにここにでるんですよ。つまり、とっくの昔にジャーナリズムはこういう時代になってたんですね。なってたんです。問題は、読むやつがいるかいないかです(笑)。そういう問題があります。

さあ、その下をちょっと見てごらん。

If Susan George is speaking at an event you are organizing

──あなたが組織している何かのイベントで、スーザン・ジョージがしゃべることになっていたらここをクリックして下さい。その下のはフランス語です。どういう意味かっていうと、それはその下にTO THE ORGANISERS OF EVEVTS WHERE I SHALL BE SPEAKING──私がしゃべることになっているイベントの主催者はここをちゃんと読んでください、と書いてある。それで、

To minimise correspondence — I have no help and have to deal with a great many requests — I would be grateful if you could let me have the following information.

まず、負担を小さくしたいとあって、次にその理由が書かれている。「私には助手がいないうえに、ものすごくたくさんの要求に対応しないといけない──それがたいへんだから、ちょっと助けてください」。もし私がどこかの集会でしゃべるということになると、「次のような情報があるとたいへん助かります」ということが書かれているわけです。──

ということは、彼女は時間さえあれば来てくれるんだよ。だけど日本まで来るの大変だね。……というようなことが書いてあって、一番最後を見ると、

Many thanks, in solidarity and see you soon, Susan George

solidarityっていうのはね団結、連帯という意味。……こういうふうになったんです。こうならなくても、もともとそういう言論・ジャーナリズムっていうのがどういうものだったかっていうことは──みなさんわかってきちゃったと思うんですが──結局はこういう「活動」なんだね。わかりやすく言うと、ジャーナリズムっていうのは「政治活動」のことなんです。避け難くそういうふうになっているように思われます。

それが一つの側面ですが、もう一つの重要なことは今ずっと言ってきたように、インターネットの時代──要するにマスメディアだけではなくて、相互的にやり取りができるメディアの時代──に本当にもう入ってきています。

インターネット・ジャーナリズム──Znetの例

これをちょっと見ていただけますか。頭のところはちょっと切れていますが、二重線があってその下にZnet Commentaryと書いたのがあるよね。こういうふうになっているんです。どういうことかっていうと、インターネット上でジャーナリズムは行われています。でスーザン・ジョージのような非常に力があってしかも有名で、今やクレデンシャルズを獲得した人だけでなくて、だれでもできる。それで、このコメンタリーっていうのは「メールマガジン」って言うんだよね。みなさんが「私はこれの仲間になる」って言ったら、送ってくるんだよね。ちゃっちゃか、ちゃっちゃか。でも読まなくてもいい。というふうになっています。で、ここにあげているのはその一つの例です。日付は2002年11月22日。

The Covert Biotech War──covertってのは、「隠れた」っていうか「あからさまには見えないよ」ということです。Biotechというのは、長浜にバイオ大学っていうのができましたけども、あれだね。書いた人はGeorge Monbiotっていう人ですが、なんか、スーザン・ジョージの本を読んだみなさんが、「あぁ、やっぱりそうだ」とわかることがずうっと書いてあります。

1976年の時点ではまだBiotechではなかった。Biotechというふうには言わなかったし、ちょっとやっぱり性格が違いますね。緑の革命は1950年代から70年代。これは基本的に「どういう新しい品種を作るか」ということで、基本的な方法は「掛け合わせ」というようなことでした。だけど、とうとう遺伝子工学の時代になってしまって、いまや、スーザン・ジョージのあの本は、そういう意味でいうと「遺伝子工学のことが書いていないじゃないか!」というふうになります。

下のほうをちょっと見てください。下から三つ目のパラグラフかな。これは面白い。USAIDというのがあります。international development agency「開発援助局」(国際開発局)とかいうのかな。つまり、USAIDっていうのはお役所ですけども、それは、ホームページがあるんだね。そのホームページが──As its website boasts──いばってこんなことを言っています。アンダーラインが引いてありますが、

the principal beneficiary of America’s foreign assistance programs has always been the United States.

──アメリカの海外援助プログラムで主要に利益を得ることができるのは、常にアメリカ合衆国である。というふうに自慢している。

Close to 80% of the USAID contracts and grants go directly to American firms.

80パーセント近くの、アメリカ合衆国USAIDのcontracts──援助のためには契約をします。その契約、それからgrants ──要するに資金、援助のための資金──ですね。それは、

go directly to American firms.

直接的にアメリカの会社に行くのである(大笑)。さすがに日本はこんなにちゃんといいませんねぇ。日本のODAは、仕掛けは一緒ですけど。……というのがここに書かれています。もっと面白いのはね、そのさらに3行下を見るとね、結局は要するに海外援助をするとね、

hundreds of thousands of jobs for Americans.

アメリカ市民が何十万人という規模で職にありつくことができるんだよ、と。その次を見て下さい──その次のパラグラフ。これはえげつないことが書いてあります。

One of USAID’s started objectives is to “integrate GM into local food systems”.

GM(Genetically Modified)というのは遺伝子工学でできた農作物。それを、integrateっていうのはすごいよね。into local food systems──地域の食糧システムの中にそれを組み込むっていうんだよね。……というようなことがこの1ページに色々と書かれています。正直といえば正直ですが。こういうのもジャーナリズムです。それからまたその裏を見て下さい。こっからがまたすごいんです。

インターネット・ジャーナリズムと妨害工作

えー、第二パラグラフ。

Six months ago, this column revealed that a fake citizen called “Mary Murphy” had been bombarding internet listservers with messages denouncing the scientists and environmentalists who were critical of GM crops.

this columnというのはこのZnet のコメンタリーです。a fake citizenのfakeというのはニセとか偽りという意味ですが、メアリー・マーフィーという名前の偽市民がいて、遺伝子操作をした作物についてこれは危険だよとか役に立たないよというようなことをインターネット上で表明をした人たちに対して「攻撃を仕掛けた」。どういう攻撃かというと、みなさんがよく知っているのは、コンピューターウィルスってやつだよね。で、このメアリー・マーフィーさんの攻撃はどういう攻撃であったか。それは、ここにははっきり書いてはいない。だけれどもわかったことは、

The computer from which some of these massage were sent belongs to a public relations company called Bivings, which works for a Monsanto.

これらのメッセージのいくつかは、Bivingsという名前のPR会社のコンピューターから送られてきた。そのPR会社というのはモンサント社の仕事をしている。……ということがわかった(インターネットというは困ったもんです。そういう世界です)。 その後そのPR会社のボスがどういう弁明をしたか。そういうことがあるとかないとか言い張ったということが書いてありますが、もう一つ違う人のことが下のほうに書かれています。それがどういう人かというと第4パラグラフのところに、Andura Smetacek──アンドゥラと読むんでしょうかね、東ヨーロッパ系の名前でしょうか、よくわかりませんが、Smetacekという名前の人がまた登場してくるんです。

Andura first began writing in 2000. She or he repeatedly accused the critics of GM of terrorism.

その人は2000年に初めてインターネットの世界に現れて活動し始めた。She or he というのは、こういう人がいるかどうかよくわかりません、男か女かもはっきりしない。たぶん女性の名前だろうなという感じはしますが、その人が「遺伝子操作をした農作物を批判する連中はテロリストである」というふうに言っているようです。そういうことが書いてある。これもいろいろ調べてみると、どうもモンサントという会社のコンピューターから発信されているということがわかる。というわけなんです。

そうするとね、──時間が無いからつまらない結論しか言えませんが──マスメディアの時代に、もちろんマスメディアをどれほど信用したらいいかという問題がありました。それからいよいよインターアクティブ・メディア(inter-active media)の時代になって、じゃあインターアクティブ・メディアは? メディアは信頼できるだろうか? 結局は信頼できない。メディアそのものを信頼するということはできない。どうもそういうことらしい。だけどそれは困りますよね。困る。なぜかというと、メディアがなければ結局のところ私達は、議論をすることもできなければ、知るべきことを知るという手立ても失ってしまうという状況です。

重要性を判断する主体──「ジャーナリスト」と「みんな」

さあ、これはどういうふうに考えたらいいんだろう。でも、それだけ考えたら、考えようがないわけですから、仕方がないからもう一回ジャーナリズムの基本に戻って考えてみよう。基本かどうかあやしいんですがね(笑)。でも、せっかく考えたんだから、せっかく考えたあの考えの延長線上で……。あんまりぱっとした考えだとは決して思わないんですが。どういうことであったかというとね……。「体験」とか「事実」。しかしそれは「どうでもいい話」じゃなくて「重要性」ということがあるんだよね。で、何が重要であるかということを誰が決めるんだろう。ということを考えてみると……。「重要である」ということを誰が決める?

竹内:ジャーナリストじゃないんですか?

ジャーナリスト。ということは竹内君や(笑)。しかもその重要性というのは「俺にとって重要」ということだろうけど、もし自分だけにとって重要だったら他の人に言う必要はないです。そういう重要性の中には最初から「他の人たちと共有される重要性だ」というのが含まれているんだね。(いつもの3つの四形い形の図をホワイトボードに描く)さて、これヘンだよね。ものすごく変だよ。ほんとは同一次元上に絶対に描けない。描けないけど描いてあります。ここ(中央)に、「ジャーナリスト」、あるいは「ジャーナリズム」というのがあるけれど、ジャーナリズムっていうのはちょっとこの図式では書けなくなってきた。適当に変身していくんだよ。それで、ここ(右側)に「みんな」っていうのがいた。変だよね。ものすごい変なんだけど、ジャーナリスト(中央)は、これ(左側・「体験・出来事」)を、メディアを使って、「みんな」に伝えるんだよね。いわばここ(「ジャーナリスト」と「みんな」の間)にメディアがある。それからもうちょっと言うと、「体験・事実」とか「重要なもの」と「ジャーナリスト」の間にも結局はメディアがあったりしますよね──ないときもありますよ。自分がグサッと刺されるとか(笑)、そういうときはメディアというのはありませんが……。こういうふうになっている。ところで、「みんな」っていうのはなに? 面白いんですが、これはときには「読者」というふうになる。それから「視聴者」というのもある。それからときには「公衆」というものになる。かなり、「公共のなんとか」だよね。それが「みんな」なんです。そういうふうになっていると考えられる。で、もう一つ、この「みんな」はここ(中央)にいることもあるし、ここ(右側)にいることもある。そうすると、「みんな」って何なの?

しかもそれから、もし文字で書いてあったら、それを読まなければいけないけど、そうすると「読者」っていうことでいけば──識字率って変な言葉がありますが──文字を読んだり書いたりするということがなければ成り立たないですね。しかし、耳で言葉を聞いて理解できる人がいれば、ジャーナリズムっていうのはありうるんだね。最近はさらに「映像」とかいろんなことを言っています。今日はそこまでいけませんけども、映像そのものがどれだけ重要なことを伝えられるかということはテーマとしてあります。が、立ち入りません。

問題は、例えば竹内君がこっち(右側)に自分がいるということを想定してください。こっちに自分がいると想定してこのジャーリストを通じてここに届いていたものが、重要であるのか重要でないのかという判定を、この人がしなかったらジャーナリズムは成立しないという困ったことがあるんですね。じゃあ、どうして「みんな」の中の一人一人である我々は、これが重要であるかないかを判定できるのか。それにくっつけていうと、「ジャーナリストが言っていることは嘘である」「重要な問題をああいうふうに歪めて言っている」とかいうことを、「受け手」──ああ、「受け手」とも言う──はどう受け取っているのか。……とんでもない、実は「受け手」ではないんです。「受け手」と呼ばれていますが、受け手じゃないんです。この人が、判定する立場にいるんです。

ということは、この人は実は「ジャーナリスト」なんです。そうだよね? そうすると、ジャーナリズムが成り立つためには、みんながジャーナリストでないとジャーナリズムっていうのは成り立たないということになる(笑)。困ったねぇ。これは、原理は全くその通りだと思います。ただし、この世の中は、どうしても「分業」ということが行われているんです。これも困ったもんだと思いますが、大学の先生になってしまうと、こうやってみなさんに向ってあほなことを言う以外は、あんまりできなくなってしまうというわけです。だから、職業的ジャーナリストがいかに重要か。やっぱり重要なんです。ただし、職業的ジャーナリストは基本的に「みんな」の性格を持っていないと、ジャーナリストになっても意味がないのです。しかも、職業的ジャーナリストでない視聴者のほうに分業を割り当てられた我々も、この判断能力を失ってしまえば、ジャーナリズムの意味がなくなっちゃう。という、そういう困った世界になっています。

授業日: 2002年12月17日;編集・テープ起こし:寺町歩