※公演中に上映した映像、映画の音声を起こしたものも掲載しています。しかし、音声を起こしたものですので、聴取不能となっている部分や聞き間違いもあるかと思います。ご了承ください。
さて今日は、戦後のこころ、どういうことを戦後の人たちが考えていたか。ということを、二つの有名な映画を見てもらって考えようかな、と思ったんですが、……全部見るのは時間的に無理ですね(笑い)。「長屋紳士録」は1時間10分くらいかな。それから「酔いどれ天使」のほうは1時間30分くらいの長さがあります。これらはあとから見ていただくことにして、それぞれ最初の部分と最後の部分だけちょこっと見て時間つぶしをするのですが、するとそれだけで30分くらい過ぎてしまうということになってしまいます。……我慢をしていただきましょう(笑い)。
さて、その前にこんなレーザーディスクがあるんですが、見たことある人いる? みなさん、日本が戦争に負けたっていう話は知ってるよね。それは1945年です。ちょうどそのときに私は生まれました。何か憶えていることはあるんですが、それが45年のことかどうかちょっと定かではありません。はっきりと自分が「何年のものである」といえる記憶は1948年の「三鷹事件」です。知ってる人いる? 「三鷹事件」というのは、列車が脱線したんです。東京の新宿から、今だったら電車で20分くらいでいける距離にある駅です。そこには電車の車庫がいっぱいあるんです。ここから出てきた電車がプラットフォームに突っ込んで脱線してしまったんです。そしてこの事故が「謀略だ」ということをいわれて、当時の鉄道の組合の人たちが逮捕されて、結果的には死刑の宣告を受けます。「松川事件」というような事件もありました。いろいろと鉄道をめぐる怖い事件がありました。……そういう時代なんです。
いまから何を言いたいかというと、日本の戦後というのは、いまちょうどイラクのバグダットであるとか、カブールがむちゃくちゃな爆撃をされて、荒廃した状況の中で復興をしなければならない……、そんな状況だったということです。東京であるとか、名古屋、それから大阪──原爆を落とすために残しておいたのでない、日本の大きな都市は、ほとんどが徹底的に焼夷弾で焼け野原になる。……それは知ってるよね。でもそれがどの程度のものだったかというと、たとえば東京に空襲があるとすると、300機──これはものすごい数ですよ──の、B-29──いまは B-52 かな? ”B” は “Bomber” の”B”です──というプロペラが4つついているたいへん大きな爆撃機が編隊を組んで、東京上空を覆うんです。そして焼夷弾を落とす。焼夷弾というのは、火災を起こすための爆弾です。その編隊が一回来ると、そのたびごとに数万人が死ぬんです。それが何回も来る。はっきりした数字をいま示すことができませんが、100万人とかいう数字の死者が出るんです。一晩のうちに10万人死ぬ。……そういうことをやっていたんです。だから「どこで戦争に負けたのか」ということを考えてみると、今のアフガニスタンや、イラクの戦争を見てもわかるように、「本土」で負けるんです。直接来てしまうんです(笑い)。
この「戦略爆撃」というやり方ですが、これは何もアメリカが始めたことではなく、日本も、その当時中国の政府があった重慶(Chung-King)に無差別爆撃をしております。ほかにも有名なのはゲルニカ──ピカソが描いておりますね。それからドレスデン。ここも無差別爆撃を受けています。つまり、なんというべきか……「連合軍側」とか「枢軸国側」とか、関係ないんだね。そういう戦争の仕方をするようになっていった。いまはもっぱらアメリカがそういうことをやっているので、「アメリカがけしからん」というようなことをいいたくなるかもしれませんが、アメリカだけが、こういう「戦争の技術・技法」を持っているわけではないですね。
……というようなことがあって、日本の大きな都市は空襲でメッチャメッチャにやられちゃうんです。それでどうにもできなくなって、無条件降伏をする。この話が「戦争が終わった頃」の話とどうつながるか。戦争が終わったのは1945年のことですが、46年、47年、48年と、社会がどのように「見えたか」ということを知るのに、こんな「映像」があるんです。ちょっと見てみましょう。すると、「ああそうか、こういう風景のところで、ほぼ同時平行的に、小津安二郎(1903-1963)は『長屋紳士録』をつくり、黒澤明(1910-1998)は『酔いどれ天使』をつくったんだ」ということがわかる。『長屋紳士録』は1947年の公開。『酔いどれ天使』の方は、たぶん1948年だと思います。まあ、その辺のことは資料を見てください。
これから「昭和史──事件と世相(前編)」(レーザーディスク、1987年、NHK)を部分的に見ていただきます。本当は全部見ると面白いのですが、時間がなくなってしまいますので、部分を見るということで。はじめます。
昭和20年8月15日。長い戦争は敗戦によって終わりを告げました。
中尾:全部焼けちゃってますね。これは畑じゃなくて、焼け跡です。
太平洋戦争は300万人の日本人の人命を……(交錯するナレーション。テープ起こし難)
この焼け野原は東京だけでなく、日本各地で見られました。
海外からの復員引き上げは、昭和22年末には、ほぼ完了しました。しかしソ連からの引き上げは昭和21年末に始まり、34年までかかりました。この間、昭和25年には、タス通信が……完了した、と発表。日本政府は37万人の未帰還者があると反論しました。この結果約2,000人の戦犯と30万人のサハリン・千島からの引き上げが昭和34年までに帰還しました。NHKがラジオで尋ね人の放送を始めたのは昭和21年。番組は昭和37年まで続けられました。
残留孤児の悲劇を生んだ、中国東北地方からの引き上げです。
終戦直後の生活をいちばん悩ませたのは、深刻な食料難でした。大都市での主食の配給は成年男子で、1日コメ約300g。野菜75g。魚は4日に一度、イワシ1匹でした。主食の不足量は終戦後2年間で1,200万トンに達しました。昭和21年5月、25万人が参加して「食糧危機突破人民大会」いわゆる「食料メーデー」が皇居前で開かれました。
「……この窮状を……でしょうか。……申し上げても、それは取り上げてくれないのであります。警察にいっても問題にしないのであります。これ以上は、この苦しみを誰に聞いていただいたらいいのでしょうか?」
…建設が急がれました。しかし戸数は少なく、多くの家族が親戚や……に頼る、肩身の狭い生活を強いられました。
6時をお知らせいたしました。平川先生の「英語会話」の時間でございます(「証城寺の狸囃子」のメロディに歌詞をつけた番組のテーマソングが流れる)。
……史上初めての外国軍隊による占領。GHQ──連合国総司令部──進駐軍は絶対的な権威として国民の目に映りました。昭和21年2月にはじまった平川唯一さんのラジオ放送「英語会話」。英会話熱の高まりをうけて……カムカム・クラブが全国に1,000支部も作られました。……このほか日米英会話……が360万部も売れるベストセラーとなり、各地に英語塾が続々と誕生しました。
カムカム・エブリボディの歌にのって英語会話の放送が人気を呼び、アメリカ兵にチューインガムをねだる子どもや「パンパン」と呼ばれるアメリカ兵相手の女性も現れました。
終戦後数年間は、極端な品不足で、配給だけで生活を維持することは極めて困難でした。このため「ヤミ」が公然と横行し、「ヤミなしでは食っていけない」といわれました。コメをはじめ、さまざまな手口でヤミ取引が行われました。巨額の富を築く「ヤミ商人」もあらわれました。
……というような世界だったわけです。
小津安二郎の『長屋紳士録』(1947年)
次に見ていただくのが『長屋紳士録』という映画ですが、小津安二郎って知ってますか? 知らない人手を挙げて。今年はなんか生誕100年なんだって? それで世界中大騒ぎらしいんですよ。『長屋紳士録』のレーザーディスクにはこういう解説書がついていて、こういう感じの映画の写真を見たら小津安二郎だと思えばいい。このあとたくさんいろいろな映画というか、似たようなもんばっかりなのですが、家族が畳に座っていて、それをただ正面から撮っている、というような感じの映画をつくった人です。神様みたいに言われてたんです。大変な人なんですが・・・。皆さんが持っている資料にあらすじがのっています。
これから、はじまりのところだけ、ちょっと見ていただいて、真ん中を飛ばして最後を見ていただきます。さきほど見ていただいた焼け野原だった東京のあるところ──どうも「築地」と呼ばれるところですが、築地は聞いたことあるかな? 魚市場があるところです──、東京の都心に大変近いところなんですが、そこに「長屋がある」という設定なのです。しかも奇妙なことに、その長屋はたいへん懐かしい感じがする。本当だったらこんな焼け野原にバラックをつくって人が住むようになったら、こんな昔懐かしい感じの長屋の人間関係はできないだろうと思います。ところが映画ですからね、つくっちゃった。
登場人物はヘンな人ばかり出てきます。たとえばおばさん(飯田蝶子演じる「おたね」)が出てくるのですが、このおばさんはどういうわけか一人です。ご主人も子どももいない。ひょっとすると、ご主人は戦争で死んだのかな? ……でも、そんなことはよくわからないんです。この人はどうやら雑貨商という設定なんですが、あんまり店をやっているようには思えない。実際、そんなもんだったのかもしれませんが、しかしなんとなくリアルな存在ではない。どうやって食っているか、ということが想像しがたい。
それから子ども(青木放屁演じる「坊や」と呼ばれている少年「幸平」)が出てきます。この子は九段あたりで手相見のおじさん(笠智衆演じる「田代」)にくっついてこの長屋まで来ちゃうという設定なのですが、お父さん(小沢栄太郎が演じている)とはぐれているということらしいのです。この子のお父さんはどうやら大工だということになっています。このお父さんは子どもをつれてどっから出てきたかというと、神奈川県の茅ヶ崎というところから出てきています。神奈川県から鉄道を使って東京へ出てきたんでしょうけど、大工さんだという設定なんです。さっきの映像の中にもありましたが、どんどんバラックを建てている時代だから、大工さんだったら食っていけただろうなと思いますが、その大工さんは八王子──これは東京(都心)より西の方にあるところで、ものすごい空襲を受けた場所ですが──から、茅ケ崎まで疎開をしたのか、あるいは単純に住むところがなくなって、戦後茅ケ崎にしばらくいたのかもしれない。そこから東京に出てきたという設定。そして子どもとはぐれてしまう。はぐれて、八卦見のおじさんにくっついて築地あたりの長屋まで来てしまう。
その八卦見、最初に説明した雑貨屋らしいおばさん、それから染色をしている職人さん一家も出てきます。この一家は子どもも奥さんもいて、夫婦でなかなか一所懸命仕事をしているという場面が見られますね。それからもう一人訳のわからない男(河村黎吉演じる「為吉」)が出てきますね(笑い)。このおじさんは八卦見と部屋をシェアリング──つまり一緒に住んでいるんです。この人がいったいどんな商売なのか? 僕には見当がつかない(笑い)。
それからもう一人長屋の住人がいる。この長屋の住人がアヤしい。さっき「ヤミ屋」という言葉が出てきましたが──いろいろな物資を適当なところからかっぱらったり、あるいはかっぱらってきたものを買ってそれをさらに誰かに売る、というようなことをしている──というような人も出てきます。だけどもう一回言いますが、何だか正体がわかる感じがするのは染め物をしている職人一家だけ。あとの人たちは何をしているんだかわからない。しかしおかしくても、そういう人たちが「地域社会」を作っている、という設定なのです。あれだけ焼け野原になってしまった東京に、もういっかい地域社会をつくるなどということは、はたして可能だったろうか? ほとんどできないことだったのではないだろうか? むしろその地域社会的なものの「夢」を、小津安二郎は映画にしたのではないでしょうか。‥‥解説にもそういう感じのことが書いてありますね。では、始まりのところだけちょっと見てゆきましょう。
ビデオ『長屋紳士録』
夕闇につつまれた路地。木造の家が両脇に並んでいる。街頭の電球が灯り、どこからかカツカツカツカツという、高い乾いた音が一定のリズムで響いている。家々の軒下には樽やら洗濯板の入ったたらいやら、いろんなものが壁に立てかけて並べられている。明かりのついた窓がひとつだけ見える。
どこかの家の中。手前にはなにやらガラクタのようなものがいろいろ置かれており、半分閉められた襖戸の向こうの部屋では、火鉢の上に置かれたやかんがシューシューとしろい蒸気を上げている。
為吉:(最初は姿が見えず、声だけが聞こえてくる)だがな、月を見な。時々は雲もかかるだろう。星ほどにもない人間だ。太い綱にもなろうじゃないか。さっきもさっき、今も今。やさしいことを、うれしいことを、かわいいことを聞くにつけ、後ろからだまし討ちにするような、この身を砕かれるような思いがして、よくよくのこととあきらめて切れると承知してくんな。死ぬよりつらいことなんだ。(と、火鉢の側に座った男がひとり、感情たっぷりに、首を振り、顔をゆがめ、手を胸に当てたり火鉢の縁に手をかけたりしながら、語りかけている。)
中尾:こいつが変なやつでね。ケチなやつなんだね(笑い)。
玄関の引き戸が少し開いている。扉の左側は薄いカーテンが引かれているが、右側には何か糸車の車のようなものが戸にかけられ、下にはドラム缶やストーブのようなものが置いてあるのが見える。引き戸のガラス越しには前の通りが見える。そこへひとりの痩せた背の高い男の姿が現れる。彼は右手に何やら折りたたんだ板の看板のようなものを持ち、左肩には袋をかけている。目深に被った帽子のせいで目元がはっきりと見えないが、入ってきた男は口の上にいくらかヒゲを生やしていて、鼻筋のとおったきりりとした顔をしている。男が後ろを気にするように振り返ると、彼のあとについて子どもがやってくるのが見える。男は半開きになった引き戸から、静かにゆっくりと敷居を跨いで中へ入ってくる。子どもは両手をポケットにつっこんで、戸の向こうに立っている。
為吉:おまえにそんなにすねられては、俺は生きている空はない。
と、言い終わるのを待って、ヒゲの男が
ヒゲの男(八卦見・田代):ただいま。(と、早口で言い、半身をよじって靴を脱ぎながら部屋の中へ入ってくる)
為吉:だがな、俺は・・・。(と、為吉は田代が帰ってきたことに気づかない様子で、さらに言葉を続けようとする。)
田代:ただいま
為吉:おう、おう、おかえり。(と言って、側の小さな台の上に置いてあるガラスのコップに手を伸ばす。ヒゲの男は相変わらず不思議そうな顔で)
田代:誰か来てたんか。
為吉:いいや。
田代:話とったやないか。(と少し問い詰めるように言うが、)
為吉:いやあ、こっちのこったい。今日ははやかったね。
田代:うん。(そして後ろを振り返り、玄関の方を向いて)おいで。(と言って、一段高くなっている部屋へ上がってくる。)
為吉は「誰に話し掛けているのか」と言いたげな、不思議そうな顔で田代を見上げながら、コップの中身を少し飲む。田代は火鉢の側へやってくると、為吉の正面にどっかりとあぐらをかいて座る。玄関に立っていた子どもは、うつむきながら、とぼとぼとした足取りでゆっくり部屋の方へ近づいてくる。為吉はコップを台の上に戻し、二、三度両手をこすり合わせた後、火鉢の上のやかんに持ち上げ、脇へ置く。そしてふと顔を横へ向け、そこに子どもが立っているのに気づく。為吉は子どもの方をむいたまま、少し驚いたように体をのけぞらせる。そして、しばらくその子どもを見つめてから、田代の方を向いて、
為吉:なんだい?
田代:この子ども、拾うてきた。
為吉:どっからよ。(ちょっと面倒なことになりそうだというように尋ねる。)
田代:九段からついてきてしもうて。
子どもはつっ立ったまま、ふたりの男をただ黙ってじっと見ている。
為吉:宿無しかい?(と何かを察したように、問い詰めるように田代に尋ねる。)
ようやく田代のつぶらで、少し潤んだ目が見える。ヒゲはちゃんと伸ばされたものではなく、無精ヒゲのようだ。
田代:いやあ、今朝、親と茅ヶ崎から出てきて、九段で親にはぐれてしもうたんじゃ。今晩、泊めてやってもらえんかなあ?
為吉:よしなよ。(振り返って子どもの方を見て)そんなつまんないもの。
田代:うーん。でもかわいそうでな。
為吉:そんなもの、おまえさん拾うことないよ。押っつけちまいなよ、誰かに。かあやんがいい、かあやん。(と、入り口の方に向いて、顎を前に二度ほど突き出す。)
田代:(こちらに背を向けて座ったまま、子どもの顔をたしかめるように見てから、為吉の方にむきなおして)泊めてやってもらえんかな。
為吉:オレはやだよ、俺は。俺はガキは嫌いだよ。
田代:そうかな・・・。
為吉:かあやんとこおいてきなよ。かあやんとこに。
田代:いい子なんだがなあ。
子どもはムズムズするような様子で、両手はポケットに突っ込んだまま両方の肩を交互に回すように動かす。
為吉:(田代の視線をたどるようにして、子どもの方を見る。また子どもが右肩をぐりっ、ぐりっと回しているのを見て、)おい、いやだぜ、おい。早く置いてきなよ。早くよ。(と胸に手をあて、自分もムズムズしてきたというしぐさをする。そして顔をくちゃくちゃにして、首を強く振りながら田代を急かす。そして眉毛を八の字にして、渋い顔で田代の顔を下からの覗くように見る。)
子どもはその間もずっと背中がムズムズするようで、肩を交互に動かしている。
田代:(何度か為吉と子どもを交互に見やり、)そうかな。(とあきらめたように言って、すくっと立ち上がると部屋の敷居のところへ行く。子どもは背の高い田代を見上げている。)
田代:ほれ、おいで。(と言うと、部屋から降りて出て行く。子どもは田代についていく。田代は靴を履いて、くるりとこちらを向き、後ろについてきている子どもが靴を履くのを見てから、また玄関のガラス戸の方へ向き、歩いていく。)
為吉は身体をひねり、障子戸から半身を乗り出すようにして、田代と子どもが出ていくようすを覗きこんで見ている。田代と子どもは外へ出て行く。
中尾:さきほど、(「昭和期──事件と世相」に)上野の映像がありましたね。みんな何かやってたでしょ? ‥‥シラミがいるんですよ(笑い)。普通の家庭でもね、ノミ、シラミは当たり前でした。いまは、シラミなんか出ると大騒ぎだけどね、当時は普通だったんです。それからね、みなさんは「八卦見」なんて言葉をご存じですか? 「占い師」のことです。笠智衆(1904-1993)って俳優さん──若いですね──、彼は占い師の役なんです。‥‥あまり解説をいれてると、見てる時間なくなっちゃうね(笑い)。
向かいの家から道を渡って、田代がまっすぐこちらへ歩いてくるのが、ガラス戸越しに見えている。ガラス戸の前には台が置かれており、その上には歯ブラシのようなものが何本も筒に立ててある。鴨居から小さな放棄や柄のついた束子のようなもの、うちわなどがぶら下げられている。右端の角には箒が何本も立てられている。手前に少し高い段が見えている。横には障子らしきものがあり、その前に火鉢がおいてある。火鉢にはやかんが乗っていているのが見える。やかんはかすかに湯気を立てている。
田代:(ガラス戸を開けながら、小さな声で)こんばんは。(と言って、こちらへ歩いてくる。火鉢の横のあたりを見て、もういちど今度ははっきりとした声で)こんばんは。
おたね:(火鉢の前に背を丸めて座っている。彼女は手で足袋のようなものを繕っている。そしてゆっくりと顔を田代の方に向けて、)こんばんは。
田代:(ガラス戸のところにたっている子どもの方を向いて、)おい、おいで。
子どもは田代の顔をじっと見て、そのまま田代の方へ歩いてくる。
田代:ねえ、おたねさん。子どもいらんかな、子ども。(と、火鉢と子どもを交互に見ながら言う。)
子どもはポケットに両手を突っ込んで黙って立っている。そして、目を少し細め田代が見ている方を同じように見ている。火鉢の上のやかんから湯気が出ている。
田代:これ、拾うてきてしまって、もろうてもらえんかな?
おたね:(眉を八の字にして)どうしたのさ?
田代:うん。九段の鳥居のとこから、わしについてきてしもうて。余所にいかんのじゃよ。今晩一晩、泊めてやってもらえんかな?
おたね:(強い口調で)そんなら、あんたんとこ泊めりゃいいじゃないか。
田代:うーん。それが、タメさん。イカンと言うんじゃ。
おたね:そんなら、あたしのとこだってヤだよ。
田代:まあ、そう言わんで。タメさんもあんたに頼めと言うとるんじゃ。泊めてやってや。な、頼むけん。
おたね:やだよ。
田代:なあ、こげん頭さげるけん。
おたね:やだよう。あたしゃ、子ども嫌いなんだよ。
田代:そげん言わんで。な、頼むけん、な。(と言って、側に黙って立っていた子どもの肩に手をやり、おたねの方に差し出すようにして、自分はさっと向きをかえて逃げるように入り口のガラス戸の方へ歩いていく。)
おたね:(火鉢の縁に手をかけ、畳から立ち上がりそうになって腰を浮かせながら、)おいおい、田代さん、おまえさん、冗談じゃないよ。
田代:(ガラス戸を開け、背を向けて外へ出て行きながら)な、頼むけん。(と言って、ピシャリとガラス戸を閉めてしまう。)
おたね:(田代の後ろ姿に向かって)おい、田代さん(と言うが、田代が完全に外へ出て行ってしまったのを見て)ちっ、バカにしてるよ・・・。(と悪態をつく。)
子どもは身体は突っ立ったまま、首だけをまわして、田代が出て行くのを見ているが、おたねの悪態に気づいておたねの方を見る。
おたね:(田代が出て行った入り口のガラス戸を見ているが、あきらめて正面を向くと、自分を見ている子どもと目があって)シッ。(と言って、子どもを追い払うように手を前に勢いよく振る。)
子どもは一歩後ずさりする。
おたね:(もういちど)シッ。(と言って追い払うしぐさをする。)
子どもはゆっくりとこちらに背を向けて、とぼとぼ部屋の隅の箒が立てかけてあるところまで歩いていく。そして振り返り、おたねの顔を見る。おたねは怖い顔をしてみせる。それを見た子どもはちょっとおびえたような顔になる。
おたね:(さらに怖い顔をして、語気強く)めっ。(と言って、口を真一文字に結ぶ。)
子どもは目を伏せて下を向き、しょんぼりして顔を横へそらす。一度鼻をすすった後、もう一度ゆっくり顔を上げ、おたねを見る。
おたね:(さっきよりも大きな声で)めっ。(と言って、ギュッと眉根を寄せ、口を結ぶ。)
子どもはまたしょんぼりして顔を伏せる。そして、さっきよりもっと横へ顔をむける。しかし、またゆっくりと顔をおたねの方へ向ける。おたねは一瞬怪訝な顔をし、ギュッと眉間に皺を寄せて子どもをにらむ。
音楽がながれる。翌朝。よく晴れた空。手前のロープに干された手ぬぐいのようなものが、ひらひら風になびいている。奥の物干し竿にも何か干してあるのが見えている。その向こうを車が一台通り過ぎる。物干し竿に干された蒲団が映る。風でほんの少し前後に揺れている。物干し竿に干された蒲団の向こうに、向かい合って立っているおたねと子どもが見える。子どもはうなだれていて、おたねは手に何か持って、子どもを見下ろしている。後ろの家の煙突から出ている白い煙が風に流されている。子どもはおそるおそる顔を上げ、上目づかいにおたねを見る。
おたね:(怖い顔をして)ほら。(と言い、手に持っていたうちわを子どもに差し出す。)
子どもは目線をおたねの顔から、差し出されたぼろぼろのうちわに移す。そして、右手を出してそれを受けとると、もう一度見上げる。
おたね:扇いでよく乾かすんだ。(と強い調子で言う。)
手前に物干し竿に干してある蒲団が見えている。その向こうに立っているおたねと子ども。
おたね:ほらっ。(と言って、干してある蒲団を指差す。)
子どもはポケットから手を出しながら、とぼとぼとこちらへ歩きだす。途中の道はでこぼこが多いらしく、ときどきでこぼこを乗り越えながら、ザックザックと歩いていく。おたねはそれをじっと見ている。蒲団の前に立った子どもがこちらを見ている。ふとんには濡れたあとがある。子どもは左手をポケットに突っ込みながらくるりと蒲団の方へ向き、手に持っていたうちわで蒲団を扇ぎ始める。おたねはそれをじっと見ているが、やがて歩きだして家の方へ入っていく。
不機嫌な顔をしたおたねが為吉の家へやってきて、店先に座っている為吉の前に立っている。
おたね:困っちゃったよ。とんでもないもんおっつけられちゃって。
為吉:なんだい?
おたね:ゆうべの子だよ。とんでもないガキだよ。あたしゃもう断るよ。あたしゃもうごめんだよ。
為吉:どうしたんだよ?
おたね:やられちゃったんだよ。寝ションベン。
為吉:ふ〜ん。
おたね:「ふ〜ん」じゃないよ! 大事な布団、台無しさ。馬のようにたれやがって。ぐしょぐしょだよ。
為吉:そらあ、災難だったな。
おたね:田代さん、どうしたい?
為吉:ああ、たあ公、いま出かけたよ。
おたね:しょうがないねえ、あんなもん拾ってきて。あのガキ、あたしゃもうゴメンだよ。おまえさん、ナントカしとくれ。
為吉:なんとかって‥‥。
おたね:【聴取不能】ようとおまえさんの勝手だよ。あたしゃもう一晩面倒みてやったんだから。今度はおまえさんの番だよ。
為吉:冗談じゃないよ。
おたね:何が冗談さ。考えてもごらんよ。おまえさんにも責任あるよ。田代さん、拾ってきたんだもの。おまえさんとこ置くのが当たり前じゃないか。
為吉:おらあ、いやだよう。やなこったい。そんな馬みたいな寝ションベンするガキ、カアやんイヤだったら、どっかへそっと置いてきなよ。
おたね:冗談じゃないよ。そんならおまえさんどっかへ置いといで。
為吉:しょうがないもの拾ってきやがったな、テンガンキョウ。 カアやんイヤならな、カワヤスさんに頼もう。あそこへ頼んでおいてきちゃえ。な、な。
布団をひとりでぼろぼろのうちわで扇いでいる坊や
中尾:(商売のわからなかった同居人=為吉は)鋳掛け屋さんだね。「鋳掛け屋」って、みんなわかる? 鍋とか釜に穴が開いたら直す人だね。鋳掛け屋さんなのはいいけど、あんなところにいて商売になるのかね?(笑い)繰り返して言いますが、鋳掛け屋さんも独り者、それから八卦見──占いの笠智衆がやってがやってる「タシロ」──も独りですね。このおばさんも独り。あとで染物屋さんが出てきますが、この人だけ家族持ち。それがこの地域社会の主要メンバー──もうひとり、ヤミ屋というか、ヤミ屋よりもっとヤバそうなおじさんが出てきますが──ですね。
ごらんいただいてみなさんも思ったと思いますが、誰も優しくない。‥‥狭量ですよね。ケチです。で、ズルい(笑い)。しかしこれからこの子どもと、特にこのおばさんの間に、だんだんお話が展開をします。おばさんは子どもに一所懸命イケズをするんですけど、いくらイケズをしてもこの子どもはおばさんのところに来ちゃう。でもそのうち、子どもの方も、もうこんなに冷たくされるんだったらヤだっていうかんじになってしまって、いなくなってしまうんです。いなくなられるとおばさんはものすごく心配になって、やはり自分の中に「子どもをかわいがりたい」という気持ちがあることが分かるんです。‥‥そういう話です。
最後になると、このおばさんは、もうこの子を自分の子どもにして育てようと決意をしてしまう。ですが、決意したらとたんに本当のお父さんが現れちゃう(笑い)。そこで非常に重要なセリフをいくつか言って、最後の場面になります。
(ビデオを早送りしながら)多くの人がこの映画を、名画だ、名画だといいますし、みんなが言ってると、みなさんもそんな気になるかも知れませんが、僕にとっては「名画」という感じではないですね。そうではなくて、ある気持ちを一所懸命映像にした、‥‥ということでしょうね。リアリズムではない。──ちょっと待ってくださいね。巻くのに時間がかかるので──さて、「地域社会」という言葉がありますし、「近隣社会」という言い方もあります。小津が考えている日本の「近隣社会」というのは、さっき少し見ていただいてもわかるように、そんなにいい感じではないですね(笑い)。やはり、狭量な人間がいかにして一緒に生きることができるか、という問題がある。とくに背景が戦後の焼け跡の時代です。食糧を手に入れるのもたいへんだった。そういう場面も作中に出てきます。そんな中で子どもを育てようとするのは、「地域社会」や「近隣社会」の問題としてありうるよ、ということを言いたかったと思うのですが、最後のところを見てもらうと、実はそれはたいへんな「願望」だったということがわかる。‥‥そういう仕掛けになっています。
‥‥事前に編集できればよかったのですが、早送りに時間がかかりますね‥‥あ、こんなふうになってたんだ。これは時間がかかる。もうちょっと待ってくださいね。
東京の人っている? あ、いるね。東京のどこ?
男性:世田谷区。
中尾:(ビデオを巻くのが続く)世田谷なんて、ぜんぶ畑だったんですよね。いまは高級住宅地になっている。都心部はみごとに焼け野原でした。そこにバラックで家をつくったんです。だから見ていただいたような広い家はなかったということを思っていてください。あれは映画のセットだからああいうふうにできたんです。農家のように広かったね。そんなことはありえかったんです。‥‥ん〜、このビデオおかしいよ。切れちゃったのかなあ。
男性:画面いちおう動いています。何も映ってませんが‥‥
中尾:回らないよこれ。(うぃーんという機械音)あ、まわったまわった(しゅうん、という音)。‥‥ちょっとこれ(最後の場面)は省略します(笑い)。最後は各自で見てください(笑い)。
最後はですねえ、ひどいんですよ。どんなふうにひどいかと言いますと、本当の親父が出てくるのは別にひどくはない。カアやんと呼ばれている、おたねさんが泣くのです。泣いているのを鋳掛け屋と手相見が見守ります。そこでおたねさんがいろいろしゃべる。自分が泣いているのは、自分になついてくれているあの子がいなくなるのが寂しくて泣いているのではない。うれしい、と。お父さんが見つかったことがものすごくうれしい、と。最近の子どもが、いささか世知辛い世の中で、タバコやクギを拾ったりする。それはお父さんが大工だからクギを使う。それにみんながタバコを拾って、それをほぐして新しいタバコを作るという仕事をみんながしていました。‥‥そういう時代です。
子どもがそういうことをするのを大人が見ていていて、子どもがこんなふうじゃいけない。子どもはもう少しゆとりを持たなきゃいけない、なんて偉そうなことも言ってたんですが、おたねさんは最後の場面で、実は世知辛くなったのは大人で、セコセコして子どもをかわいがることができなくなった。あの子がこの長屋に来て、子どもをかわいがる──ちょっとよい言葉ではないかもしれませんが──ことができるということがわかった、それがうれしいんだ。‥‥という場面があるんですが、そのあとおたねさんはやはり自分も子どもが欲しいという表明もします。「おまえは独りもんじゃないか、そんなことできるわけないだろう」などと言われてしまうんですけど、自分の子でなくともいい。もらい子でもいい‥‥というんです。そして八卦見に、どっちのほうに行ったらそういう子どもに出会えるか、って聞くんです。八卦見は手相‥‥じゃなくて、生まれを聞くのかな? 干支を聞くんです。そして「猪か。猪だったら西だ」と言う。西には何があるか。上野です。ここで映る場面がとんでもない。ほんとうに上野の西郷さんの周辺にいる子どもたちを映すんです。そして映画は終わる。
つまりその部分はリアリズムなんです。しかしいくら地域社会をモチーフにした映画を作ったからといって、東京の焼け野原がこの映画のようになるとはとても思えない。むしろその焼け野原からは、たいへん世知辛い世の中が生まれました。‥‥京都はまたちょっと事態が違ったと思いますが・・・。
黒澤明の『酔いどれ天使』(1948年)
さて、次は「酔いどれ天使」ですね。こんなポスターがあります。これは三船敏郎(1920-1997)という人です。彼が若いときのものです。こんなふうに三船敏郎がポスターに出てて、「酔いどれ天使」なんて書いてあるから、「なるほど、三船敏郎が“酔いどれ天使”なんだな」と思うかもしれません。普通はそう思いますよね? どう考えたってね。でも、どうしてこんなポスターを作ったのか。きっと何かの理由があると思うのですが、「酔いどれ天使」というのは、実は志村喬(1905-1982)──アル中の医者なのですが──なのです。どうもそういうふうに考えて黒澤明は作り始めたらしいのですが、でも作り終わってみたら、これは三船敏郎で売るしかない、という感じになってしまったんじゃないですかね。
これもある意味で言うと、さっきの「長屋紳士録」のように言えるかもしれない。‥‥つまりただ近くに、そこに住んでいるから「近隣」ということではなくて、もうちょっと違う意味で、ある種の「近隣社会」というものを映したかったんだろう、見せたかったんじゃないだろうか、というように思うのですが、どうも単純にそれだけではない。見てみると、どうしても「なんじゃこりゃ?」という感じを持たざるをえない映画にできあがっております(笑い)。
お手元の解説にもありますので、後で読んでいただくといいのですが、戦争中は「統制経済」というようなことをやりますよね。つまりものが少なくなっているから、配給制度になります。たとえば米だったら、ひとりあたりこれくらいしか食べてはいけない、というようなことをしますね。あんまり詳しくやっている時間はないので、省略しますが、統制経済というようなことをやっていたと思ってください。戦争が終わった後も──それは完全に負けだったのですがだったのですが──、政府は秩序を維持する力を失います。‥‥いまのバグダットのようにね。そこに戦争にいってめちゃくちゃなことをさせられた人たちが帰ってきます。で、そんな様子を見たら「なんだこれは?」という感じになりますよね。特に男気のある連中は、こりゃ自分たちでナントカせねば、という気持ちになっただろうし、もうちょっとえげつないのだと、ちょっと弱い奴らをいじめて自分たちがかっこよく見えるようにしたいというようなこともあったでしょう。‥‥そんな事態になって行くわけです。
統制経済だけでは戦後の日本の生活がなりたつわけがなかった。「ヤミ」という言葉は先ほども出てきましたが、どうしてもその「ヤミ」が戦後の日本の生活を救ったという側面がある。今じゃあんまり言わなくなった言葉だと思うのですが、「盛り場」という言いようがありました。今はなんて言うんでしょうね? たとえば四条河原町なんてどういうのかな?
男性:繁華街かな?(笑い)
中尾:繁華街? むかしは盛り場っていう言い方をよくしました。結局のところ盛り場がなんなのか、といいますとヤミ市があるところなんです。時間が経つにつれてその「ヤミ市」は、ヤミ市でないようなものにだんだんと変わったりしました。しかし当時の都市の中心部などはヤミ市によってにぎわい、ヤミ市によってもう一度できあがってきたんですね。
さて志村喬が扮するお医者さんはアル中です。しかしこんなことはまずあり得ない(笑い)。どうしてあり得ないか? アル中で、なおかつ自分がある種の社会的使命を担っている、‥‥自分の仕事を通して、それを貫徹しよう。‥‥そんなことがあるでしょうかね? 奇妙ですよね? まずこの設定が奇妙だということが言えます。反面、ちんぴらやくざの役をやる三船敏郎。たぶんこういう人はいただろうな、と思わせるので、これは奇妙ではないんですね。
では、これもまた最初の部分を見ていきましょう。
ビデオ『酔いどれ天使』
ちょっと恐ろしい感じの音楽が流れる。タイトルロール
どぶのような池の周りにつけられた柵にもたれかかるように3人の女がいる。ひとりは座って煙草を吸っており、真ん中に立っている女は大きく伸びをする。一番右に立っていた女が髪の毛をくしゃくしゃっとやって、横の女に何か話しかける。3人は立ち上がり、どこかへ行ってしまう。
池のほとりの何かに腰掛けてギターのような楽器を弾いている男。
ぶくぶくと泡立っているどぶ池。
こちらに向いてふたりの男がいる。ひとりは立ち上がっていて、足元の石をどぶ池に向かって思い切り蹴る。もうひとりは立っている男の側にしゃがみ、池を眺めている。立っている男が振り返り、座っている男の方へ近づいていく。しゃがんでいた男も立ち上がり、階段の上がり口のところに掛けられた看板のところへ行って、ふたりで煙草に火をつける。
座っていた男:ひでえ蚊だなあ。
どこかの室内。ドアが開き、白衣を着た男が入ってくる。男は左手にうちわを握り、右手に持った手ぬぐいで暑そうに体の汗をぬぐいながら、手前に置いてある机のところへ来る。続いてドアからもうひとり男が入ってくる。男はドアの脇の壁にもたれて、白衣の男の方を見ている。白衣の男はうちわでパンパンと【聴取不能】を叩き、男の方を向いてうちわで椅子を指す。白衣の男はその前に置いてある椅子に腰掛ける。男はゆっくりと歩いて椅子の方へ近づいてくる。男は持っていたジャケットを投げ捨て、布を巻いた左手に右手を添えて、ゆっくりと白衣の男が指した椅子に座る。
白衣の男=医者(志村喬):どうしたんだね?
手に布を巻いた男(三船敏郎):ドアに手をはさまれたんだ。
医者:ふうん。
手に布を巻いた男:釘が出てたいやがったんだ。
医者:釘が、ね。(ピンセットで消毒液のついた綿をはさみ、男の手を拭く。くわえていたつまようじのようなものをプッと床に飛ばして、顔を上げて男の顔をしっかりと見ながら)少し痛いよ。(ピンセットで手から突き刺さっているものをとろうとする。取り出した弾を少し眺めて)つまり、これが釘ってわけか。
手に布を巻いた男:迷惑は掛けねえ。つまらねえ出入りがあってね。駅前のマーケットで松永って聞きゃあ、誰でも知ってるぜ。
また音楽。棚に何かを取りに行った医者は、そばにある窓から下を覗く。さきほどのふたりの男が見える。
医者:(歌いながら棚から何かを取り出し)♪〜あなたとふたりで来たー丘は(ふたたび男の座っているところへ戻る)♪〜港の見える丘(注1:昭和22年に発売されたビクター戦後第1号レコード「港が見える丘」の最初のフレーズ。作詞・作曲は東辰三、歌っていたのは平野愛子。)
松永:若いもんがときどき世話になるそうだな。
医者:おい! ばあさん! おい(診察室のドアまで行って、奥へ向かって大声で)蚊取り線香を持ってきてくれ! (何の返事もないので、ひとり言のように)しょうがないな。もう、寝ちまったのかな。
医者はあきらめて、ドアを開けたままにして自分の席へ戻る。しかし自分の席のところへ来て後ろを振り返ると、ドアがゆっくりと閉まりそうになっていくのがみえ、またドアのところへ行ってドアが開けておく。しかし席へ戻ってまた振り返ると、さきほどと同じようにドアはゆっくりと閉まっていく。ふたたびドアのところへ行ってドアの建付けを上から下まで眺める。松永はそんな医者をじっと見ている。医者はドアが閉じないようにごみ箱か傘立てのような筒をドアの前に置き、ドアが閉まらないか2度ほど振り返りながら席に戻る。そしてドアが開いたままになっているのを確認して、席につく。またさきほど歌っていたのと同じメロディーを鼻歌で歌いながら、松永の手に縫合するための器具を取付け、準備し始める。松永の手からは血が流れており、器具を手にはさまれるたびに痛みの声を漏らす。
医者:前もって断っておくが、治療代は高いよ。ただ飯食っているやつからは、できるだけぼることに決めているんだ。
松永:(痛みに耐え、顔をゆがめているが)おい、何か麻酔剤の注射かなにかないのか
医者:ふん! おまえたちみたいな親不孝者に打ってやる注射なんかあるもんか。
身をよじりながら、痛みを必死にこらえようとしている松永。医者は処置を続けている。
机に肘をついた松永の手に包帯が巻いてある。医者はさきほどの棚のほうへ行って、さきほどからのメロディーを口笛で吹きながら松永のほうへ戻ってくる。そして水の入ったコップを差し出す。その水を飲み干す松永。医者は洗面台で手を洗っている。松永が数回苦しそうに咳をする。それを聞いた医者は松永のほうを見るが、ふたたび洗面台のほうを向き、何かを洗っている。
松永:ああ、ついでに風邪薬もらっていこうか。なかなか抜けやがらねえ。
医者:おまえたちみたいに自堕落な生活しているやつぁ、結核菌にとりつかれる率が多いから気をつけな。
松永:こんな肺病病みがあってたまるかよ。
医者:みかけだけじゃわからないよ。肺病病みはみんな【聴取不能】みてぇだと思ったら大間違いだぞ。スポーツマンによくあることだ。本人も他人も夢にも思わないうちにやられているのが結核さ。肺病ってやつは痛くも痒くもないから始末が悪いんだ。
松永は窓のところへ行きタバコを口にくわえる。また数度咳き込む。
医者:咳や熱が出てやられたと気づいたときはもう遅いんだよ。
松永はくわえていたタバコを口から離す。医者は松永を見る。
医者:ふん、こわいのか?
松永:こわい? (真剣な顔つきになって、タバコを吸いながら医者のほうへやってくると)俺がか?(うっすらと煙を立てているタバコを医者に投げつけ)黙ってりゃつけあがりやがって。ふん。だから好かねえよ、医者は。なんでも大げさにして儲けることばかり考えてやがる。
医者:そうさ。結核患者5人持ってれば医者は左うちわだからな。
また松永が咳き込む。
医者:(それを聞いて、何か机に向かって書きながら)ふん。
松永:じゃあ、診てくれ。この咳が結核か結核じゃないか、診てもらおうじゃないか!
医者:どうやって診るんだ。
松永:なにい?
医者:胸たたいたり、聴診器つけたって、【聴取不能】たってなにがわかるもんか。あんなものおまじないだよ。医者は恰好がつかねえからそんなことするだけさ。ま、気休めにやってやってもいいがね。
松永は上着を脱ぎ、医者の前に座る。医者は聴診器を耳につける。
医者:こんなことでわかるようだったら、それこそいっかんの終わりだね。
胸のあたりに数回聴診器をあて、今度はくるっと後ろを向かせて背中に聴診器をあてる。医者の目が大きく開いて、松永を見る。
松永:どうしたんだ!?
医者:おまえどっかでいっぺんレントゲン撮ってみな。
松永:どうなんだって聞いてるんだ!
医者:レントゲンで見ねえとはっきりしたことは言えねえが、(指で丸を描いて)まずこのぐらいの穴があいてるね。
松永は黙っているが、ゆっくりと医者のほうを向く。
医者:このままほっときゃ、長いことはないね。
松永は立ち上がって、医者につかみかかる。しばしもみ合っていると、呼び鈴のブザーが鳴って、ひとりの女性が診察室のドアのところに立ち、ふたりを見ている。それに気づくと松永は、医者から離れ、上着を着てドアから出て行こうとする。
医者:(松永の背中に向かって枕を投げつけながら)バカヤロウ!
松永はゆっくりと医者のほうを振り返るが何も言わず、そのままドアから出て行く。女性はドア口から少し後ずさりながら、松永が出て行くのを見ている。
女性:どうしたの、先生。
医者:あいつは脈があるぜ。ああいうケダモノほど結核をバカにするやつはねえが、あいつは気にするだけ上出来さ。まだ少しは人間らしいところが残っている証拠だよ。(と言って、窓から身をのり出して帰っていく松永とふたりの男を見ている。)
中尾:なんかわかったかな。なんか変ですね。ドアが開けっぱなしにならない(注2:医者が診察室のドアを開けっぱなしにしておこうとするのだが、開けても開けてもドアがゆっくりと閉じてしまうというシーンがある)、っていうことをなんであんなにしつこくやらないといけないんですかね。喜劇にしようとしていたのかもしれない。でも実はそういうふうでもないんです。じゃあ、悲劇かっていうと、あとで一番最後のところを見てもらいますが、悲劇というふうにもならない。大変奇妙キテレツな映画です。
あそこにちょこっと出てきた女性は、実は医者の娘でもなければ、看護婦でもありません。そうではなくて、たまたまあの医者に世話になった──どうやら結核だったらしいのですが──女性です。彼女には男がいてね、こいつはものすごいワルなんですよ。このワルが要するに彼女を手篭めにしちゃったんだな。そのワルは誰かを捕まえて顔を滅多切りにしたというようなことがあって、刑務所にいま入っているんです。そうすると、彼女としてはどこかに身を隠したかった。それでアル中の医者が面倒をみているということなんですが、アル中の医者には奥さんがいません。さっきの『長屋紳士録』でかあやん(おたね)の役をやっていた飯田蝶子が、アル中の医者の母親役なんですね。したがって、あそこの医院には3人の人間が住んでいるんですが、ひとりは男で医者、あとは年寄りの女性と若い女性という構成になっています。これが変ですよね。変だと思ってください(笑い)。
松永という男には女がいます。その女はキャバレーのいまのところナンバー1というかな。そのキャバレーは駅の前のヤミ市──(セリフでは)マーケットと呼んでいました──そのマーケットのどこかにあります。そのマーケットを仕切っている親分がいるですが、現場ではその手先の松永が仕切っている。いまだったら暴力団と言うんですか。昔はヤクザと言ったり、さらに職業によっては、つまり露天商みたいなのが集まるわけですから、的屋(てきや)と言ったりしますが、それがどういう生態だったか。的屋がいなければ、実はヤミ市は成り立たなかったというような問題もあります。
そういう問題もあるんですが、ご覧のように松永という男は若い。1947年にもしあれくらいの年齢であったならば、兵隊に行っていただろう。「特攻くずれ」という言葉がありましたけれども、兵隊に行って生き残って帰ってきていた若いやつで、多少威勢のいい男、そういう存在だね。女性はたくさん出てきますね。女性は戦地には行かなかった。生存率は比較的高いということになっています。それでその戦争が終わったあとの、さきほどみなさんにみてもらったような、あの戦後の時代にいまのようなドラマがあったということになっているんだね。
最後のほうで、結局松永は死にます。なんで死ぬかというと、岡田というワルが──さっきの若い女性の男──が刑務所から出てきて、松永に代わってマーケットの支配者になるんだよね。その過程で松永はキャバレーの女を取られちゃう。そういうようなことがあって、もうひとつは女性を匿っていたアル中の医者が岡田に狙われるんだね。アル中の医者は──これは何回も言って申し訳ないけども、こういう人はいません。ものすごい無謀ですよ。無謀であって、なおかつ社会の正義だとか、あるいはいろいろ言ってお説教するんだよね。「人間かくあるべし」というようなことを言うわけです。それで片一方で、本当に無鉄砲で、命を惜しまない。しかも酒を飲む。わからんではない。酒飲まなくてやっていけるか、というかんじなのかなとも思うけれども。
医者は岡田っていうやつに殺されてもかまわんというかんじを見せます。そこで、松永が結核のひどい状況になっていたんですが、病の床から這い出してきて、この岡田という自分より兄貴分にあたる男に頭を下げて、「今日だけ見逃してくれ」というようなことを言うんだね。そのあくる日に、松永はまだバカだから、親分のところへ行ってなんとかしてもらおうと思って、親分のところへ行くんです。しかし親分にとっては弱ってしまった松永なんかを使うよりは、岡田を使った方がいいということはもう明々白々で、それが松永にもわかっちゃうんだね。それで最終的に松永は岡田を殺そうと決心をして会いに行くんですが、岡田に殺されちゃうんです。そういう場面が出てきます。
その場面で終われば、これは戦後の日本人が抱えていたある種の精神的葛藤を悲劇のかたちにして終わらせることができたと思います。それからアル中の医者も、そこで若い松永を失ったことを悲しんで、しかし同時に強いものに負けないような、ただ巻かれて負けるという、そういう社会じゃない社会をつくるという決意もすることができたと思うんですが、この映画の終わり方は何か違うんです。いまからそこを見てもらいますが、早送りに失敗しないようにちょっと集中します。
消毒用のアルコールをお茶で割って昼間から飲んでるっていう、しかも社会正義に自分の命を懸けるっていう、そうやついるかい?(笑い)
アンジェイ・ワイダっていう人の『灰とダイヤモンド』(1957年)っていう映画知っている人いますか? これも名画なんですが、『灰とダイヤモンド』の最後の場面は、シーツがたくさん干してあるところに、撃たれた──いまふうに言うとテロリストと言うんですが、テロリストとは言わずにゲリラ戦士っていうのかな。ゲリラ戦士とも言わなかったかもしれませんが──若い命知らずだった男が、映画の過程でホテルのバーにいる女性と恋愛をしちゃうんです。恋をしても、ゲリラ戦士だから戦わなきゃいけないわけですね。最終的には、敵──というか要するにソ連の圧倒的軍事力に負ける運命にあるんだよね。それで撃たれちゃうわけですよ。それでさっきいったまっ白なシーツが干されているところに入り込んで、そこで倒れる。そういうものすごいきれいな場面があるんです。『酔いどれ天使』にも、それと大変よく似た場面が出てきます。ところが、違いは『酔いどれ天使』はそこで終わっちゃわない。そのあと、酔いどれ天使が出てきてね、お説教だかなんだかわけのわからないことをするんですが、その一番最後が本当にこれはなるほどこういう戦後から、いまの俺たちみたいな日本の精神が出てきたのかな、というかんじがする奇妙な場面があります。そこを見ていただきたいと思います。
飲み屋「ひさご」の前。
飲み屋の女:・・・そんな体なんだからね。短気を起こしちゃだめよ。
松永は飲み屋を出て、マーケットを歩く。途中、花屋の店先の花を一本バケツから引き抜いて、持っていく
中尾:これはマーケットにある飲み屋でね、この女性は実は松永に気があったんだね。
少女:あのー。あの、30円いただきたいんです。(店の柱の陰に隠れている男を見やって)どうしてももらってこいって言うんです…。
松永:(それを聞くと、ズカズカと花屋の奥へ入って行き)コノヤロウ(隠れている男に掴みかかって店先へ引きずりだしてくる。)
花屋の男:わわわわ、私は何も・・・。事務所からのお達しで。この縄張りは今日から、おか、おか、岡田さんのものだっ。あんたなんて、もう【聴取不能】
松永は驚いた様子で、目を見開いたまま突っ立っている。花屋の男は逃げるようにその場を去る。
自転車の車輪や壊れた傘などが浮いているいつものどぶ池。
どこかの室内でソファーに横になってギターを弾いている岡田。後ろから女性がきて、岡田の首に腕をまわす。岡田のポケットからドスを取り出して眺めると、ポンとベッドの上へ投げる。どこかのアパートの廊下で、ギターの音の聞こえてくるドアの前にげっそりとした松永が立っている。そしてゆっくりとドアを開けて中へ入っていく。中から先ほどの女性が逃げるようにして飛び出してくる。女性は足をもつれさせ、廊下においてあるバケツのようなものにつまづきながら走って逃げていく。
驚いた表情で松永をみつめる岡田。口で息をしながら岡田の前に立ちはだかっている松永。松永が手にもっていたナイフの刃がカチャリという音とともに飛び出す。ナイフを握りしめ、岡田を壁に追いつめる松永。逃げながら岡田は、何か武器になるものを手で探る。手にしたハイヒールを松永に投げつけるがあたらず、窓ガラスが砕ける。ついに部屋の隅に追いつめられた岡田。松永が岡田を刺そうとした瞬間、松永は血を吐いてしまう。苦しそうに手で口を覆う松永。松永が岡田に背を向けソファーの背もたれにつかまると、岡田はナイフを握っていた松永の手を蹴りナイフを床に落とさせる。そして花瓶のようなもので松永の後頭部を殴る。松永を床に押し倒し、馬乗りになって殴ろうとする岡田。松永はそれに抵抗し、岡田をソファーの向こう側へ突き飛ばす。岡田はベッドの前に飛ばされているが、立ち上がろうとしたとき、ベッドの上に置いてあった自分のドスを見つけ手にとる。松永もようやく立ち上がり、ドスを握りしめた岡田を見る。松永を部屋の隅へ追いつめる岡田。部屋の角に追いつめられた松永は、もう逃げられないとあきらめたように、岡田の顔を見上げたままゆっくりと床に崩れる。
マーケットを歩く医者。「うみたて玉子 一ツ 十八円」と書いた紙が貼ってある屋台の前で、たまごを手にとって確かめるように眺める。
医者:新しいんだろうな。
女性:はい。
医者:病人に飲ませるんだからな。(と言いながら、玉子を一つ一つ丁寧に選んでいる。)
割烹着を着て箒を手にした女性が廊下の向こうから、そろりそろりとある部屋の扉の方へ近寄ってくる。彼女の後ろのほうで、住人らしい数人が心配そうに何が起こっているのか覗き込むようにしている。岡田の部屋から這って廊下へ出てくる松永。割烹着の女性は悲鳴あげて逃げていく。松永は廊下を這って進みながら、ペンキを塗るためにおいてあった足場につかまって立ち上がり、置いてあったペンキの缶を後ろへ投げつける。缶から白いペンキが廊下に撒かれ、それにすべって転倒してしまう松永。その上に手にドスを持った岡田が覆い被さってくる。岡田から逃れ立ち上がる松永。岡田はドスを突き刺そうと松永のほうへ勢いをつけてやってくるが、ペンキにすべって松永ともども床に倒れる。床はペンキでズルズルとすべり、岡田も松永も必死でバランスをとって、相手に向かおうとする。ふたたび松永に向かっていく岡田。しかしすんでのところで岡田のドスから逃れる松永。四つん這いになりなんとか逃げようとする松永は、物干し台の入り口のドアノブに手をかけてようやく立ち上がる。しかし振り返ったとき、岡田のドスが松永の胸を突き刺す。刺された松永はなおも立ちあがり、よろめきながら外へ向かって歩いていく。白いシーツがはためく物干し場に出た松永。柵に倒れ込むが、柵がぐらりと崩れ、半分物干し場から屋根の上へ落ちるように、大の字で仰向けになって倒れる。
医者が玉子を手にしてこちらへ向かって歩いてくる。
ドブ池のほとりに飲み屋の女がひとり立っている。
医者:おい、姉ちゃん。どうした。いやにしょんぼりしているじゃねえか。ええ。身投げするならもう少しきれいな水のほうがいいぜ。
飲み屋の女:相変わらず口が悪いわね。
医者:ふん。悪口でも言わなけりゃ、気が滅入ってしょうがないよ。なんもかんも馬鹿馬鹿しくって反吐が出そうだよ。ふんっ。みんなあのろくでなしのおかげさ。
飲み屋の女:先生、仏の悪口はやめてよ。(ベンチのような板の上に置いた白い包みの方へ目をやる)
医者:うん? そうか。おまえ惚れてたんだっけな。
飲み屋の女:そうじゃないわよ。これ、あの人のお骨なのよ。だから…。
医者:聞いたよ。あいつの葬式も出してやったんだってな。(骨壷に触れようとするが、すんでのところで、すばやく手を引っ込める)だいぶかかったろ?
飲み屋の女:ええ。六千円とちょっと。
医者:ふうん。とんだ散財だったな。
飲み屋の女:でも…、あんまりかわいそうだもん。親分なんていい気なもんね。松っさんは仁義にはずれてるとか、なんとか言いやがってさ。ひきとろうともしないんだからね。そのくせ岡田が捕まったときには、【聴取不能】までまわして大騒ぎしやがるしさ。
立ち上がってどぶ池に石を蹴りいれる医者。
飲み屋の女:あーあ(とため息をついて)、こんなところは、もう一日だって嫌だわ。今度こそ、思いきったわ。先生、どうも長いあいだ…(と言いながら立ち上がって、医者におじぎをする)。
医者:故郷(くに)へでも引っ込むのかい。
飲み屋の女:ええ。松っさんのお骨も故郷(くに)のほうへ埋めたいと思っているの。あたし、あんなことになる少し前に、松さんと話してたことがあるんです。あたし、足を洗って故郷(くに)へ行かないかって口説いてみたんです。
医者:無駄な話さ。俺もそんなふうに考えていたんだ。あいつをヤクザから足洗わせられると思っていたんだ。ところがあのとおりだ。結局ケダモノはケダモノさ。ケダモノを人間にしようなんて考えるのは、そもそも甘っちょろいんだよ。
飲み屋の女:そんな。松っさんはそのとき本当にそう思ってた。
医者:惚れた欲目だよ。
飲み屋の女:惚れてたからよくわかるんですよ。確かに松さんはもう少しであんなことにならなくて済んだんだわ。あたしの話をめずらしくしんみりと聞いていたんだもん。気のせいか、泣いているみたいだったわ。それだのに…。
医者:それなのに…。あんな馬鹿しでかすのがヤクザなんだ。それがくだらないって言うんだ! 愚劣だって言うんだ。
女は声をあげて泣き出す。
医者:泣くなよ。おまえの気持ちは俺にだってよくわかるんだ。だからこそ、あの野郎が許せないんだよ。
女はますます泣いている。遠くの方から少女がこちらに向かって走ってくる。
少女:せんせーい。(と叫びながら、走って医者のところへやってくる)
医者:こらっ。走っちゃいかん。
少女:先生、あんみつよ。はい、卒業証書。(と言って、封筒を医者に渡す)
医者は封筒のなかからレントゲン写真を出して見る。飲み屋の女は少女のほうをちらりと見やる。それに気づいた少女は彼女にむかってにっこりと微笑む。その場に居辛そうに、医者と少女に背を向けてたっている飲み屋の女。
少女:ねっ。あんみつでしょ。
医者:よし。あんみつってやつはどこで売っているんだ。
少女:先生ったらなんにも知らないのね。おしるこ屋さんよ。
医者:よしよし。(飲み屋の女に向って)おお、おまえも一緒に来ないか。お別れにあんみつごちそうするぜ。
飲み屋の女:せっかくですけど、あたしはここで。
医者:そうか。じゃあ、達者でな。
飲み屋の女:先生も。ごきげんよう。
飲み屋の女は医者におじぎをする。医者はうなずくと、くるりと方向を変えて歩いていく。少女もにっこりと笑って、飲み屋の女に一礼してから医者の歩いていったほうに歩いていく。ひとりどぶ池の側にたたずむ飲み屋の女。
少女:ねえ、先生、理性さえしっかりしていれば、結核なんかちっとも怖くないよね。
医者:ああ、結核だけじゃないよ。人間に一番必要な薬は、理性なんだよ! ふん。♪あなたとふたりで来たー丘は♪(と歌いながら、少女と腕を組んでマーケットの方へ歩いていく)
少女:先生・・・(と言ってまわりを気にするようにほかの通行人のほうに顔をやる)。
医者:(少女のほうをみて、歌うのをやめ)はっはっ。
『酔いどれ天使』終
と、いうわけなんですが、一番最後の場面で「人間に必要なのは理性だ」とか言ったよね。それで、あれは高校生くらいかな。高校生くらいの魅力的な女性とマーケットの雑踏の中に入っていく。あんみつ食いに行くんだって。ところが、ポスターはこれなんですよ。どうなっちゃってるのかな、と思います。
男の立場から考えると、黒澤自身は男だったんですね。たぶん戦争が終わった時点、あるいはこの映画をつくった時点では40歳くらいだったのかな。40前後だと思います。小津安二郎はそれより7つほど上の年齢です。もともと違う傾向の映画を撮っていたということはあるんですが、黒澤の映画に見られる、あのなんて言うんかね、なんであんなにペンキの上で滑って、わざわざ下手くそな刺し合いをやらせないといけないのか。たぶんある種の英雄主義に対する反発というか解毒剤みたいなことを、黒澤自身は頭の中で考えていたかもしれないけど、結果的にできあがったのは、別にかっこわるいわけでもなくて、なんか過剰なんだよね(笑い)。エネルギーっていうか、なんていうか、ただの怒りでもなくて、わけのわからない情熱をさかんに表現をしているというかんじがします。
もうひとつは、当然のことながら、女性をどういうふうに描くかということ。まあ、僕自身男だから、そういう目で見ますが、3つのタイプの女性が出てくる。第1のタイプは、今日みなさんに見てもらった部分には登場しませんでしたけれども、ヤクザの暴力の世界に直結をして、例えばキャバレーにいて、ある種の地位を得るというか、親分衆に愛されるっていうか、非常に難しいですが。暴力に近いところにいて、恰好がいいというか、そういう女性が出てきます。だけど、この女性は損得の感情が非常に強くて、松永を裏切るっていう、そういう設定になって出てくるわけですが、大変セクシーな女性ですね。
それから、もうひとつのタイプは、酔いどれ天使役の医者のところに匿われていた女性、あるいは最後の場面で松永の骨を故郷(くに)に持って帰って埋めてやろうとしている女性──飲み屋で働いていた女性ですが、ちょっと乱暴な言葉で言うと、少し古い女性。これが第2のタイプ。
第3のタイプはあの女子高校生。大変明るく朗らかで、【聴取不能】。ちゃんと制服着てんですよ。そして学校行くんですよ。あの場面で出てきた卒業証書っていうのは、それは、実ははっきりわかんなかったかもしれませんが、レントゲン写真です。結核がきれいに治っているよ、ということがわかるような写真だったんだね。映画のなかで、医者と約束をするんです。ちゃんと治したら、あんみつを食べるっていう約束をするんです。それで、実はその約束をしたときに、アル中医者はうれしそうな顔をしてるんだよ。なんという中年男、というふうに思うんですが(笑い)。しかし、それはある意味で言ったら、正直に女性にたいする関心を表明している場面だったと思います。すべて性的関係にしたいというわけではないかもしれませんが、男の目から、そういう3つのタイプの女性像というのがある。
最後のところで、あんみつを食いに行く、というので終わるなんていうのは気に入らない(笑い)。だけど、考えようによっては、それぐらいしか、もう、その当時の中年男には希望がなかった、という気がちょっとするんですが…(笑い)。セーラー服でしょう。もう最近そういうのはあんまり流行らないかもしれませんが、セーラー服フェティシズムというのがあったんですね。みなさんは全然そういうことには関心がないかもしれないけれども、僕ぐらいの年代までは「セーラー服」というのが大変魅力的だと感じていることがありました。そのセーラー服が魅力的だ、なんでセーラー服だとそんなに興奮するのかということと、いまの映画は無関係ではないだろう、というふうに思っています。本当は無関係かもしれませんけれども、そういうふうに思いたいところがあります。
だけれども、結局のところ、3つの女性像というのは、いまでもあるんだよね。しかも分裂したままある。それぞれをまとめていくことがもうできない。全部バラバラ。キャバレー系と飲み屋系とセーラー服系というふうにあるようなかんじがします。そのことと、戦後の社会をどういうふうにつくりあげる、あるいはつくりなおすということは、結局はもう並行的にしか起こらなかった。どうみても、この映画のあとの時代を僕が知っているからじゃなくて、そのあとの時代を知らないとしても、この映画の進行と終わりかたからは、そのあとにつづく地域の姿というのは想像することができない。
つまり、負けた人間──帰る地元がある人はまだいいですよ。だけど都会にいて、しかもそこで空襲で焼け出されてしまえば、例えば親の世代に地方から出てきて、そこへ自分が戻ったとしましょう。それは邪魔もんですよ。それで都会へ戻ってくるしかない。その戻ってきた都会で、もう一回近隣社会をつくることができるかと言ったら、できなかったと思います。あんまりはっきりそういうふうに断言すると具合の悪いことがあるんだけれども、少なくともこの映画からはそういうふうには思えない。
とくに「酔いどれ天使」というのが、実は医者のことを意味していたにもかかわらず、世間で受けとられたのは何かと言ったら、要するに三船敏郎のあの投げやりな死に方がカッコイイということだったんではないだろうか(笑い)。その投げやりな死に方の背後に義憤のようなものがまったくなかったわけじゃない。最終的には医者を守ろうとしたり、そこに匿われていた女性を守ろうとしたりということになったかもしれない。だけれども、映画が始まるところでみなさんが見たように、強さを求める以外になにももう残されていない。俺は強いんだ、と思っている。だから、おまえは弱い、と言われたら、頭にきちゃう(笑い)。そういうイメージです。たぶん、僕よりもうちょっと前の世代は、この映画を見て「俺も三船敏郎みたいになりたい」と思ったにちがいない。それでこういうポスターになった。
なんだか中途半端ですが、片一方で小津安二郎が描こうとしたある種の夢──と言ってしまうと、ちょっと言いすぎかもしれないけれども──つつましいけれども子どもをかわいがることができるような社会。その夢は実際には起こらなかった。もう片方では、結局黒澤はあの映画で何が言いたかったか。最後のところを見て、みなさんわかりますか、ということを僕は聞きたいわけですが、いわば義憤の世界ですね。そこから近隣の人間関係を統合するようなものが生まれてきただろうか。生まれてこなかったんじゃないだろうか。そのことをいまだに僕の世代も、みなさんの世代も実はひきずっているんじゃないかというかんじがしています。
これで終わってもよろしいでしょうか(笑い)。
質疑応答
司会(今回の講演会を企画された京都精華大学情報館の手嶋さん):せっかくの機会ですので、なにか質問とか感想とかそういったものがあれば、手を挙げてください。
中尾:手を挙げなくてもいいですよ。
たいてい、黒澤のほうはあんなゴテゴテして、一所懸命に興奮させようとしているつくりかたですから眠らずに見れるんですが、なんかわめいているなぁとかいうかんじで見れるんですが、小津の映画は、まあ眠りますね。眠ちゃう。眠らないで見るということをすれば、なにかがまた見えてくるということはあるかもしれませんけれども。「名画だ」とか言うけれども、あんなんですよ。黒澤の演出にしても、なんか変でしょう。だけど、やっぱりなにか表現しているんですね。
「芸術とはなにか」という問いは──そもそもくだらない問いのたてかたかもしれませんが──芸術とはなにかというふうに考えてみると、そんなになにかうまい具合に昇華するようなものでもないし、あるいは見ているわれわれがよく噛み砕く──自分の血となり肉となるという意味の消化する、そのどっちもなかなかおこらない芸術というのは山ほどあるな、というかんじが、私はしています。自分たちがすることも、結局のところそんな簡単にきれいにおさまったりするわけがない。
こういう、例えばいま見てきたような問題というのはいまでも残っている。3つの方向にエロスが分解しちゃってるなんて言ったら、批判的立場から言うと、きれいごとですよ。「おまえもあるだろう」と言われたら、否定できない(笑い)。そのことから起こってくる、それこそまた苦しい葛藤の世界もまた避け難くある。それをやっぱり描き続けるしかなくて、いわば記録映画みたいなもんじゃないかな、と。芸術映画というより、要するに記録映画なんじゃないかな、とときどき思います。
「なに言ってんだろうな」と思うかもしれないけど、やっぱり58年も経つと世の中ずいぶん変わるんだよね(笑い)。変わってるんけれども、なんだかすっきりしないわれわれの、この社会の関係。そのひとつのもとになるかたちは、戦後のあの混乱からどうやって自分たちが立ち直ってくるかというところにあったと思う。戦前とはちょっと違うだろうと思います。
手嶋:私の親の世代というのは、戦争が終わるちょっと前くらい、つまり戦中の生まれくらいなんですが、本当にこういう映画を青春時代に見て、いまでもたまにテレビ見ると、字幕だけで楽しいみたいですよ。字幕って、映画の最初に出てくるタイトルロールのことですけれども。
中尾:それは懐かしいと思いますよ。「殿山泰司」(1915-1989)なんて出たら、それだけでもう…。知らないでしょ? みなさん「殿山泰司」なんて知ってますか(笑い)。
手嶋:要するに俳優の名前が出てくるたびに、「あー」とか「うー」とか言っていますね。
中尾:そりゃもう「飯田蝶子」なんて出たら、「うー」って言わなきゃいけないですよ(笑い)。
手嶋:なんかそういう世代なんですけど、そういうリアルタイムで見ている人にとって、ここで描かれているような映画ってどう見えたんでしょうね。たぶんうちの母親なんか本当に映画好きの世代で、見ていた場所はどこかというと、九州の片田舎なんですよね。まあ、片田舎でもないかな。小倉なんですけど。都会ってほどでもないですが、ど田舎でもないですが、たぶんあんなヤクザ的な世界が身の回りにあったというわけではないだろうと思うんですが…
中尾:いや、あったにちがいない。そりゃ、ありましたよ。小倉だったら絶対にあるよ(笑い)。
手嶋:いわゆる東京の【聴取不能】みたいなのとはちょっと距離もあった立場で見てたんだろうと思います。ああいう世界をリアルに感じている人が見たらどう感じるかということもあるでしょうし、当時の日本人のほとんどだった地方に住んでいる人たちにとって、ああいう映画はどういうふうに見えたのかな、と。ある意味で黒澤は非常に過剰に描いているんだろうなと思うんですけれども、小津の映画では、装置的なものをそんなに使っていないですね。でもあそこでみんなが【聴取不能】に入るというようなのも、装置的ではないけれども、ふつうの一般の感覚からみたら、やっぱり過剰にけちんぼな人たちに見えてしまいますよね。
中尾:誇張がありますよね。そのとおりです。そういうことはあると思いますが、みなさんのみかたと僕のみかたがおそらく違うだろうと思います。それがどういうふうに違うかよくわからないということはあるんですが、僕よりさらに上の世代はこういう映画をどういうふうに見ていたかというと、「これは俺だ」というふうに思って見ていたようです。たとえば、三船の役というのは、その世代の若い連中、とくにいったん兵隊になって帰って来た人たちはまったく同一視をしていた。「これは俺だ」というふうに思っていた。というような感じがしますし、それよりもうちょっと下の世代もなんだか要するに「暴れて死んでやろう」という感じがあったようです。そういう意味で言うと、「酔いどれ天使」に自分を重ね合わせられるやつっていうのはいなかったんじゃないか、という感じがします。それから、『長屋紳士録』のほうで言うと、記録としてはあるかもしれないけど、自分のいま生きている状況のなかでは、そんな浮浪児がいても、絶対無視ですよ。そんなものまで抱え込むことはできない。だから、いくら気持ちがあってもそれはできないということだったと思います。しかし、それはできるといいな、という感じがあの映画になった。比較的これは売れた映画らしいですね。だから、なんと言ったらいいかよくわからないけれども、ある意味では自分たちの気持ちを代弁していただろうと思います。ケチで狭量なところというのは、むしろ自分によくあてはまって、ユーモラスに受けとめることができると思うんです。僕らは知りませんから、「名画だ。名画だ」って言われると、まじめに黙って見てるけど、その当時の人はそのけちんぼぶりにみんな笑いながら見てたんじゃないかな、という感じがします。
手嶋:自分の親とか祖父母の、この時代の感覚というものはわかっているようで、よくわからないですね。聞いた話のなかでは、戦争が終わってようやく自由になってほっとしたというような話ですね。
中尾:自由になってほっとしたんですよ、あきらかに。黒澤自身が「『酔いどれ天使』というのは初めて自分で思うようにつくれた、だから自分としては会心の作だ」というか、──それにしちゃバラバラな感じがするんだけど、──本当に「自由にできた」と言っているし、そのなかで彼が描いた──これはものすごい矛盾だと思うんですけどね──マーケットの世界っていうのは実は自由な世界なんです。自由な世界っていうのは、ヤクザの世界なんですよ。それじゃ困るという、いわゆる一般庶民も存在しています。だからマーケットのなかに店を持たない人間っていうのは、マーケットには昼間は近づくことができて、ある程度いろいろ仕入れたりすることはできるし、適当に楽しむこともできるけれども、しかし本当はそこにはこわいところがあるんだ、というふうに思っていたと思います。僕らの時代には「盛り場」っていう言葉があって、盛り場はこわいんです。こわいものを持っているんです。戦争前にももちろんこわいことはありましたよ。だけど、戦後のこわさとちょっと違うんじゃないかと思います。
参加者:「盛り場のこわさ」っていうのはどういうこわさなんですか。いまで言う、【聴取不能】、そういうこわさですか。
中尾:ヤクザがいるっていうことです。
参加者:それがこわい?
中尾:ヤクザがいるっていうことであり、自分の欲望がそこに向かっていくというこわさです。それで悪いもの、悪い道にはまっていく。
参加者:【聴取不能】
中尾:いまの若い人たちは「繁華街に行ったらいかん」なんて言われないでしょう。言われないですよ。僕らの世代はやっぱり盛り場に行ったらいけなかった。しかし、盛り場にだって子どもは生まれますよね。その子たちとつきあうということについては、家庭によってはちょっとつきあうのをやめなさい、ということになった。もともと商人の世界にたいする視線というのはあったと思いますけど、それが戦後はきつかったんですよ。だけど、それがなかったら自分たちも暮らせないっていう(笑い)。そりゃ、みんな統制経済になったら、そんな恐ろしいものいやですよ。自由になりたいじゃない。僕の記憶でも、やっぱりヤミのおばさんたちが担いできて、それを買っていましたね。
参加者:黒澤さんとか、小津さんですか? この作品をつくられた人たちは実際にああいう場所で生活されていたんですか。
中尾:「あそこで生活していた」という言いかたは非常に難しいよね。ずっとあそこに住んでいたという、そんなことはないです。
参加者:それはないですか。
中尾:映画つくる連中はやっぱりもうちょっと優雅ですね。
参加者:そうですよね。ちょっと違いますよね。階級というか…。
中尾:あんな映画でも、その当時にしてみたら贅沢なものですよ。
参加者:すごくお金がかかるだろうし。
中尾:その当時にしてみたらね。だから、それをできる人たちというのは、やっぱりみなさんと一緒や(笑い)。芸術家ですよ。そういう立場は、あそこの人たちとまったく同じことをしていたということはない。
参加者:当時の人たちにしたら、すごい娯楽映画だったわけですよね。
中尾:娯楽映画ですね。黒澤のほうはとくにもうサービス満点っていうか、笠置シズ子の「ジャングル・ブギ」なんて笠置シズ子本人が映画のなかで歌っている。
参加者:出ていましたね。
中尾:そういうこともあるし、バックの音楽もものすごく大胆にしていますね。娯楽としてみなさん見たにちがいない。
参加者:今日はちょっと違うみかただったんですよね。それは娯楽ではなかったんですよね。
中尾:誰のみかた? 僕の?
参加者:そうです。
中尾:僕は娯楽として見てました(笑い)。
参加者:(娯楽として)見てましたか(笑い)。でも地域性とか、近隣社会とか【聴取不能】
中尾:ちょっと違ういいかたになるかもしれませんが、小津安二郎はこれでもうああいうの(『長屋紳士録』のような映画)はなくなっちゃう。(『長屋紳士録』の)あと出てくるのは、親父と娘──多少息子がいたりしますが──全部それです。全部それになっちゃう。核家族映画に変わっちゃう。完全に。
参加者:変ですね。
中尾:いや、変じゃないですよ。日本の社会がそうなったんだもん。だから、小津安二郎っていう人は忠実に記録しているんだね。だけど記録映画っていうジャンルに入らないですね。劇映画です。だけど、結局どういう気分で人間が社会をつくっているかをものすごい忠実に記録しているという感じがします。もちろん演技させているんですよ。演技させているし、そういうふうに撮ってはいるんだけれども、「ああ、こんなになっちゃったのかな」という感じがしますよ。黒澤のほうはたぶんこのあたりから変わってきたのかな。たとえば、『生きる』(1952年)はこのあとかな。変わってきます。だんだんヒーロー映画に変わってくる。この映画はアル中の医者をヒーローにすることに失敗しちゃった。赤ひげじゃないでしょ。あきらかに違う。ヒーローは(三船が大きく描かれた『酔いどれ天使』のポスターを指しながら)こっちになっちゃった。そうしたら、この路線でもっとこいつを強くしないといけない。スーパーマンにしないといけない。その方向でどんどん、どんどんなったと思います。だけど、リアリズムじゃないですよ。けして『酔いどれ天使』はリアリズムじゃないけれども、戦後の精神の混迷状態は比較的忠実に写し取った結果になったんじゃないかと思います。だから、この映画以降の黒澤さんの映画は、要するにヒーロー映画になっちゃった。だから(黒澤は)小津がそのあとも記録しつづけたようには記録できなくなっちゃっているんじゃないかなという感じを、私は持っております。だけど、これは結局僕の偏見をみなさんに言っているだけだからね。みなさんは自分のみかたをつくらないといけないんで…。これで小津を見てみようとか、黒澤を見てみようとか思ってくれたら大変ありがたい。見るとたぶん眠ってしまうと思いますけど。なんか、みなさん言いたいことあるみたいだから、もっと言いたいこと言ってよ。
こういうのを、もし大学のカリキュラムのなかでやろうと思ったらどういうことになるかって言うと、まず映画を見る時間が必要でしょう。しかも、みかたはたぶんここでストップとか、もう1回巻き戻してみるとか、いろんなことしないといけない。そうすると膨大な時間がかかるんだよね。『長屋紳士録』は1時間ちょっとしかないけども、そのことを授業のなかで教師が言いたい放題言うだけじゃなくて、みなさんもそれを見て、ちゃんと批評をしてというプロセスを入れようと思ったら、まあ半年はかかるよね。そうしたら、できない。そういうことをなんかもうちょっとみなさんがどんどんできちゃっていて、ゼミみたいな場面でいわゆる丁丁発止やりあえるようになったらおもしろいんだけど、そういうふうにするにはどうしたらいいだろうか(笑い)。いつもそれは悩みのタネなんです。今日、実はしまったなと思ったんだよ。映画なんて言うんじゃなかったな、って。黒澤と小津なんて、ふたりも言っちゃったからね。どうしようかと思ったんだけど、まあこの程度しかできませんね。
手嶋:先生ご自身は、ちょうどこの時期というのはどこで過ごしていたんですか。
中尾:東京の三鷹というところにいたんですが、映画を初めて見たのは1951年です。なにを見たかというと、『白雪姫』。ディズニーのです。記憶があやしいんだけど、ものすごくあやしいんですが、白黒だったように思います(注3:たしかに本人の言うとおり、中尾ハジメの記憶は少しあやしいようです。『白雪姫』は1937年にディズニーによって制作され、世界最初の色彩長編動画として知られています)。そのつぎに見たのはなんだったか忘れたけど。ああ、もうちょっと遡らないといけない。最初に見たのは、小学校の校庭に夏の夜大きな白い幕を張って、そこに映した。それを見に行って、その中身は美空ひばりとエノケンが出てきてましたね(注4:中尾ハジメが小学生になるかならないか頃<1950年前後>に、エノケンこと榎本健一と美空ひばりが共演した映画は2本。1950年に『エノケンの底抜け大放送』、同じく1950年の『東京キッド』がある)。なんか『孫悟空』(注5:1940年にエノケン主演で『孫悟空』の前編、後編の2本がつくられている)だったかなんだったか忘れたけど、そんなこともありました。しかし、だんだん、だんだん東京の郊外にも映画館ができて、新宿にはもちろんたくさん映画館ができて。要するにテレビがその頃まったくなかったですからね、ラジオしかない。だから映画っていうのはよく見に行きましたよ。電車に乗ってわざわざ見に行った。
参加者:高価なものでしたか。
中尾:いやいや、そんな高価じゃない。だって、たくさんお客が入るしね。それなりに回転してましたよ。
参加者:いくらぐらいでしたか。
中尾:記憶にないけど、さっき見てわかるように「たまご1個18円」って書いてあったでしょう。18円高いな、と思うじゃない。思いませんか? 1個18円だよ。葬式六千円だって言っていたでしょう。今日は見ませんでしたが、博打をやっている場面も出てくるんですが、十万円ずつ賭けるとかね(笑い)。だから、まあメチャクチャな時代だよね。ものすごいインフレが片一方であって、しかしもう片一方では葬式屋はそんなに儲けがないような、そういう時代でしょうね。だから映画いくらかと言っても、あんまりはっきりしませんが、例えば小学校1年生のとき映画を見てた料金と2年生のとき見た料金とは全然違うっていうような、どんどんどんどん物価が変わっちゃう時代でした。だけど貧乏人でも見れた。たぶんいま映画を見に行くよりは安い感じだったんじゃないかな、と思いますけど。あんまりよくわかりません。
参加者:たくさんの人がこの2本の映画を見たということですよね。
中尾:ほかにも木下恵介(1912-1998)とかいろいろいますからね。1950年前後から、あるいはこの映画が出たころから、映画は日本の大衆にはたいへんなものだった。要するに大衆文化というものをずっと担ってきたと思いますよ。でもこんなもんだよ。名画とかなんとか言われているけど、なんだ(画面が)真っ黒じゃないか(笑い)。
『長屋紳士録』で子どもおしっこをもらした布団があるでしょう。あの場面は実は3回くらい出てくるんだよ。それで時間が経過しているはずなの。でもあれは1回しか撮っていないんですよ。だからいつも地図のかたちが同じで…(笑い)。それでもいいんだよね。そういうことに意味があるんじゃなくて、要するに見ている人間に読み取らせるということに意味がある。そういう感じの映画です。しかし、最後に上野公園が出てくるのはね、見せたかったけどね。どうにもならないですね。そこだけ本当に上野公園が出てきて、西郷さんの下に子どもたちがいて、たばこ吸ったりしているのが見える。
参加者:それは実際のその場面を撮っているわけですよね。
中尾:だと思います。(ビデオ上映できるか)もう1回試してみようか(笑い)。でももう7時17分前だよ。
手嶋:また近いうちに同様のシリーズでなにか【聴取不能】。もういいでしょうか。どうもありがとうございました。
中尾:お粗末でした。
※ 講演中は『長屋紳士録』の最後の部分を上映することができませんでしたが、どうしても見てみたいという声がありましたので、講演後に上映しました。その部分のセリフを起こしたものも最後に掲載しておきます。
付録:『長屋紳士録』最後の部分
坊やと父親が帰っていくのを店の外で見送るおたね。中へ入って、呆然としたように腰掛けていると、為吉と田代が店の入り口から入ってくる。おたねはふたりの方にゆっくりと顔をやる。
為吉:かあやん、来たんだな、親。みっかってよかったな。これで今夜から、かあやんもほっとだろう。やっぱり、なにかい、はぐれたのかい。
おたね:(つぶやくように)うん。
為吉:そうかい。まあ、うまくキリがついてよかったよ。
手で顔を覆って泣き出すおたね
為吉:なんだい。何も泣くことはねえじゃねえか。おまえさん、あの子、初めっからあんまり好きじゃなかったんじゃねえか。やっぱりいけねえかい?
おたね:(顔を覆っていた手を下ろし、為吉の方を向いて)あたしゃ、悲しんで泣いてんじゃないんだよ。あの子がどんなにうれしかろうと思ってさ。やっぱりあの子ははぐれたんだよ。さぞ、不人情なおとっつぁんだと思ってたら、どうしてとってもいいおとっつぁんで、ずいぶんあの子を探してたんだよ。それが会えてさあ、これから親子が仲良く一緒に暮らせると思ったら、どんなにうれしかろうと思って…泣けちゃったんだよ。(再び顔に手をあてて泣き出す)おとっつぁんだっていい人だよ。ちゃんと挨拶のひととおりは知っててさ。わりと品もあるし、やさしかったよ。あんなら坊やも幸せだよ。
為吉:そうかい。そりゃあ、まあ、よかったな。
おたね:なんてったって坊やも子どもだよ。おとっつぁんの顔見たら、せっかく集めた釘や吸殻すっかり忘れて置いてちゃったよ。
為吉:そうかい。
おたね:親子っていいもんだね。うれしかったよ、あたし。こんなことなら、あたしももっとうんとかわいがっといてやりゃよかったと思ってね。
為吉:(だまってうなずく)
おたね:かわいそうに、何にも知らない子どもを邪険に小突きまわしてさ。考えてみりゃあ、あたしたちの気持ちだって、ずいぶん昔とは違ってるよ。自分ひとりさえよきゃいいじゃ、すまないよ。早い話が電車に乗るんだって、人を押しのけたりさ。人様はどうでもてめえだけは腹いっぱい食おうって了見だろ。いじいじしてのんびりしてないないのは、あたしたちだったよ。
為吉:うん。そう言われりゃ、たしかにそうだな。そうだったよ。耳が痛いよ。
おたね:いいもんだね、子どもって。あの子と一緒に暮らしたのはほんの一週間だったけど、考えさせられちゃったよ、いろんなこと。欲言や、もうひと月、ふた月一緒に暮らしたかったよ。どうだろう、田代さん、あたしにはもう子ども授からないかね。
田代:おまえさんが? あんた授かったらおかしかろが。後家さんじゃぞ、あんた。
おたね:ううん。もらうとか、拾うとかさ。
田代:そんなら授からんこともないじゃろうが…。
おたね:急にほしくなっちゃったんだよ、子ども。
田代:うん、子どもはよかもんじゃけん。
おたね:どうだろう。ちょいと見とくれよ、どうかさ(と言って、左手を差し出す)。
田代:あんたイノシシじゃったか?
おたね:うん。
田代:イノシシなら戌亥の方じゃよ。
おたね:戌亥ってどっちさ。
田代:本郷か北谷の方じゃろうか。
おたね:北谷なら上野の方だろう?
為吉:うん。上野なら西郷さんだよ。
田代:まあ、その近所探してみるんじゃよ。
おたね:(つぶやくように)西郷さんねぇ、銅像ねぇ。(と言って、自分の左手の掌に目をやる)
右斜め前から写された西郷隆盛の銅像。銅像の前でめんこで遊ぶ子どもたち。銅像の台座やそのまわりを囲む柵にはたくさんの子どもたちがもたれかかったり、座ったりしている。柵に座ってタバコを交代で吸っている子どもがふたり。台座にもたれるように座って、絶えず足を掻きながら、何かするめのようなものを噛み切っているこども。銅像の脇にある木に縄をかけて遊んでいる子どもたち。右斜め後ろから写された西郷隆盛の銅像。
「長屋紳士録 終」